2月20日、半生を追ったドキュメンタリー映画
『ブーニン 天才ピアニストの沈黙と再生』が公開

取材・文:山崎浩太郎
通訳:蔵原順子
写真:有田周平
1966年、モスクワに生まれたスタニスラフ・ブーニンは、1985年のショパン国際ピアノコンクールで優勝して一躍スターとなり、日本でも「ブーニン現象」と呼ばれる大ブームを巻き起こしたことで知られている。1988年に西ドイツに亡命した後も世界各地で演奏を続けた。
しかし2013年、左手の麻痺がきっかけで、9年にわたる活動中断を余儀なくされた。その沈黙から復活を遂げようとするさまを、2025年12月のサントリーホールでのリサイタル映像とともに映画化したのが、ドキュメンタリー『ブーニン 天才ピアニストの沈黙と再生』である。
自らの半生を描いたこの映画の印象について、ブーニン自身にきいた。
——1985年のショパンコンクールでのご自身の演奏をご覧になって、どのようにお感じになられましたか。
「猫のワルツ」を最初に聴いたとき、速すぎると思いました。素材を提供していただいたNHKの方に、「再生速度を変えましたか?」とたずねたぐらいです。でも「何もいじっていません」とおっしゃる。もう一度聴かせてもらいました。すると、今度は違う印象を抱きました。
ショパンがこの短いワルツで表現したかったことに合っていると感じたのです。このテンポには、息づかいのような要素がある。踊るためのワルツではなくて、人々の息づかいを聴き、コケティッシュなしぐさを観察しているような、そんな場面を想像させるワルツだから、このテンポがふさわしいと思いました。そして何よりも、この曲が呼び起こす熱狂。それがあの映像にはあります。

——会場にいた人々を興奮させる力のある演奏だと、私もあらためて感じました。ではその翌年、1986年の初来日でのお客さんの熱狂ぶりは、ブーニンさんの目にはどのように映りましたか。
当時、あの熱狂には驚きましたし、批判する人もいました。でも私は、クラシック音楽にとっても良いことだと思いました。クラシック音楽にはあれだけ人を熱狂させる力があり、その力を私が持っていると思えるのは、とても素敵なことだと感じたのです。実際、あのときの大興奮が実を結んで、現代にもつながっていると私は思います。
——おっしゃるとおり、現代の日本にはファンが熱心な「推し活」をする魅力的なピアニストが増えました。ブーニンさんが起こした現象はその原点ですね。では、その後のことについてはどう感じられましたか。
ピアニストとしての自分は、1990年代の終わりから21世紀の初めにかけての演奏が、客観的にみてもいちばんよかったと思います。しかし映画では、そこは省略されました。その後、私が事故にあい、状況にどう向き合い、どうやって舞台に復帰しようとつとめてきたかにポイントをおいています。とても重いテーマですが、取り上げていただいたことには感謝しています。

壊疽した部分を切除する大手術を経て、厚底の靴、特注のペダルを使用し演奏に臨んでいる。
Ⓒ2026「ブーニン 天才ピアニストの沈黙と再生」製作委員会
——ありがとうございます。続いては、映画に登場する日本の若いピアニストたち、反田恭平さん、桑原志織さん、亀井聖矢さんの印象をお話しください。
反田さんは、ショパンコンクール出場の準備をされているときに最初にお会いしましたが、そのときから私に非常に強い印象を残しました。滅多にないことなんですが、とても感動したのです。例外的な存在で、この数十年、日本にああいう才能はいなかったと思います。反田さんは真の音楽家として、傑出していると思います。
桑原さんは、音楽のとらえかた、強い確信がとても素晴らしい。彼女もちょっと珍しいタイプですね。発展を続けて、お客様から評価されるピアニストになってほしいと心から願っています。
亀井さんはまだ私にはつかみきれないところがありますが、若いし、これからが期待できる方ですね。いずれにしても、この7、8年、突然日本に優秀な音楽家がどんどん現れている印象を受けます。以前はそうではなかったと思いますから、とても興味深いことです。
——まったく同感で、そうおっしゃっていただけてとても嬉しく思います。では次に、ブーニンさんご自身が今ピアノを弾くうえで、最も大切にされていることをお聞かせください。
お気づきと思いますが、舞台での演奏の際、まだ私は完全に思いどおりに表現することができていません。左手がきちんと弾けているかに、どうしても気をとられてしまいます。多くのことができるようになりましたが、自由な創造の魔法のようなものは、まだ取り戻せていません。その問題を抱え続けています。
でも、過去のいちばんよかったときについて先ほどお話ししましたが、これからも生きているかぎり、自分を見失うことなく、諦めることなく、可能性を追求し続けたいと思っています。

——自由な創造の魔法を取り戻されることを、心から願っています。さて、この映画に登場する昨年12月のサントリーホールの演奏でも、たくさんのお客様が熱い拍手を送っていましたが、どのように感じられましたか。
舞台に一歩踏み出したときから、最後には満足感と喜びに満ちあふれて舞台から降りたいと思っています。ですから、あのように熱い思いを届けてくださることは、本当に大きな幸せと喜びをもたらしてくれます。
でもすぐ後には、なんであそこをあんなふうに弾いてしまったんだろう、あんなに速く弾いてしまったんだろうとか、自分自身に対する怒りがわき起こってくるんです。私にはこの怒りがずっとついて回る気がしますね。
——アーティストの宿命かもしれませんね。真摯にお答えくださりありがとうございました。おしまいに、これから映画をご覧になるお客様へのメッセージをお願いします。
この映画には、本当のことが多く描かれています。私にとってつらいことが多いのですが、それらはすべて真実です。人生に対する私の見方や姿勢が、映画を見てくださるお客様に伝わることを願っています。

映画『ブーニン 天才ピアニストの沈黙と再生』
2026年2月20日(金)⾓川シネマ有楽町ほか全国公開
出演:
スタニスラフ・ブーニン
中島ブーニン榮子
小山実稚恵、ジャン=マルク・ルイサダ、桑原志織、反田恭平、亀井聖矢
監督:中嶋梓 総合プロデューサー:小堺正記
製作:宮田興 遠藤徹哉 共同プロデューサー:吉田宏徳 苗代憲一郎 服部紗織 山田駿平
撮影:宮崎剛 編集:髙木健史 音楽監修:スタニスラフ・ブーニン 音楽録音:深田晃 音響効果:三澤恵美子 公演収録:メディア・フォレスト
製作:NHKエンタープライズ/KADOKAWA 制作:NHKエンタープライズ 映像提供:NHK 特別協力:日本アーティスト サントリーホール
協賛:藤野英人 ダイキン工業 伊藤忠商事 岩谷産業 阪急電鉄 三井住友銀行 村上財団 サントリー 大和ハウス工業
配給:KADOKAWA
公式X:@movie_bunin
https://movies.kadokawa.co.jp/bunin/

山崎浩太郎 Kotaro Yamazaki
1963年東京生まれ。演奏家の活動と録音をその生涯や同時代の社会状況において捉えなおし、歴史物語として説く「演奏史譚」を専門とする。著書は『演奏史譚1954/55』『クラシック・ヒストリカル108』(以上アルファベータ)、片山杜秀さんとの『平成音楽史』(アルテスパブリッシング)ほか。
Facebookページ https://www.facebook.com/hambleauftakt/

