初めて自分でチケットを買って聴きに行ったクラシックのコンサートは「第九」だった。もちろん、ベートーヴェンの「第九」が大好きだから、という理由もあるが、年末になれば必ず演奏されるので足を運びやすかったのだ。「第九」演奏会には季節の風物詩といった性格もあるので、年越しそばを食べに行くとか、初詣に出かけるように、年中行事のひとつとして暮らしに取り入れやすい面がある。初めてコンサートホールで聴いた「第九」は、驚きと感激の瞬間の連続だったが、やはり「歓喜の歌」が高らかに鳴り渡る瞬間は格別で、以後「第九」を何十回聴いたかわからないが、毎回、あの瞬間には特別な感慨がわき起こる。

ベートーヴェンの「第九」のなにがすごいかといえば、第1楽章から第4楽章まで、すべてがハイライトと言える密度の濃さ。「第九」でいちばん好きなのはどの楽章か、という定番の問いがある。最初は迷うことなく第4楽章と答えることができた。なにしろ声楽が入るのはこの楽章だけなのだ。最初にそれまでの3つの楽章を回想して「いや、これじゃない!」と自己否定した後で、「歓喜の歌」が登場する。こんな熱い展開があるだろうか。最後の爆速コーダは熱狂的で、ライブであれば「ブラボー」のかけ声必至。会場が沸きあがる。最高の体験だ。
だが、盛り上がるという点ではリズミカルな第2楽章も負けていない。ティンパニが主役になって活躍する。血湧き肉躍るという点では第2楽章がベストでは?
が、じわじわと好きになってくるのは第1楽章だ。音楽でこれほどの荘厳さを表現できるとは。苦悩しながら高揚するのはベートーヴェンの真骨頂。冒頭部分も強烈だ。曖昧模糊とした虚無から巨大な音楽が爆発的に立ち昇る。オーケストラによる音のビッグバンだ。なんというカッコよさ。
しかし、真打はゆったりとした第3楽章ではないだろうか。最初はピンと来なかったこの楽章が、やがてもっとも深遠で、味わい深い音楽であることに気づく。これは祈りなのか、瞑想なのか。第3楽章は指揮者によって大きくテンポが異なる楽章でもある。たっぷり18分かける人もいれば、さらさらと12分ほどで振る人もいる。遅くても速くても、それぞれに魅力があるのがこの楽章。
今日の指揮者はどんなタイプの「第九」を聴かせてくれるのか。そんな指揮者の解釈の違いも大きな楽しみだ。
文:飯尾洋一

飯尾洋一 Yoichi Iio
音楽ジャーナリスト。著書に『クラシックBOOK この一冊で読んで聴いて10倍楽しめる!』新装版(三笠書房)、『クラシック音楽のトリセツ』(SB新書)、『マンガで教養 やさしいクラシック』監修(朝日新聞出版)他。音楽誌やプログラムノートに寄稿するほか、テレビ朝日「題名のない音楽会」音楽アドバイザーなど、放送の分野でも活動する。ブログ発信中 http://www.classicajapan.com/wn/

