Alfred Brendel 1931-2025

アルフレート・ブレンデルが去る6月17日、ロンドンの自宅で世を去った。享年94。20世紀後半から今世紀初めにかけての一時代を代表する大ピアニストとして尊敬を集めた彼だが、すでに2008年をもって演奏活動に終止符を打っていたので、最近はあまり話題にのぼらなくなっていた感がある。若い世代では彼の名前すら知らない人がいるということも聞いたが、演奏からはもう長らく離れてしまっていたので、それも無理からぬことかもしれない。
ブレンデルは1931年に北モラヴィアに生まれ、その後移住したザグレブやグラーツで教育を受けているが、ピアニストとしての本格的な活動は10代後半にウィーンに移ってからのことである。当時ウィーンには1歳違いで生粋のウィーン子だったフリードリヒ・グルダがおり、若い頃のブレンデルは何かとグルダと比較されることがあったようだ。しかし正統派から出発しながらもやがてそれに反抗するような活動を展開するようになるグルダとは対照的に、ブレンデルはドイツ・オーストリア系のレパートリーを中心とした正統路線を究めていったピアニストで、その方向は1971年にロンドンに移住した後にさらに深められていくことになる。
そうしたブレンデルの生き方の根底には知的・学究的な姿勢があった。音楽学はもちろんのこと、ヨーロッパの芸術や文化全般に通じた博識家である彼は、作品解釈においてもこのような広い知識を土台に、曲に内在する深い意味と精神性を追求する演奏家だった。スター的な華やかさやこれみよがしの効果を排し、ひたすら作品の本質のみを求めるかのようなブレンデルの演奏はどこか思索的な趣があり、求道者風の孤高な雰囲気を漂わせていた。
このように言ってしまうと、彼が堅苦しく近寄りがたい演奏をするピアニストのように思われてしまうかもしれないが、決してそういうことはない。ブレンデルが奏でる音楽は、学究肌の演奏家にありがちな生真面目な味気無さとはおよそ正反対で、聴く者をごく自然に自身の世界に引き込んでしまうような大きな包容力と懐の深さがあった。自ら詩を書いたり絵を描いたりといった芸術家気質の持ち主であった彼は、血の通った表現でもって聴き手を作品の深みへ誘うことを何よりも重んじた芸術家だった。
音楽に対するそうしたブレンデルの真摯な姿勢はリサイタルなどの生演奏でとりわけ実感ができたものだが、もちろん彼が残した多数の録音からも十分に感じ取ることができる。ライフワークであったベートーヴェンをはじめ、モーツァルト、ハイドン、シューベルト、シューマン、リスト、ブラームスほか、彼の数々のレコーディング遺産は今日でもまったく色あせるところがない。それどころか演奏スタイルが多様化して伝統的な流れが見失われつつある今だからこそ、もう一度再評価されるべきだろう。生涯にわたってヨーロッパの正統的な演奏スタイルの王道を究め続けたピアニストの偉大な足跡がそこには刻印されている。
文:寺西基之
(ぶらあぼ2025年8月号より)


