古典派・ロマン派の歴史的演奏研究の世界的権威であるクライヴ・ブラウン博士(Dr. Clive Brown リーズ大学名誉教授/ウィーン国立音楽大学客員教授)が2024年11月に初来日しました。ケント・ナガノ&コンチェルト・ケルンとの《指環》プロジェクトでも大きな役割を果たしている博士。いかにも英国紳士然とした佇まいが印象的です。ピリオド楽器のムーブメントが19世紀から20世紀にまで及ぼうとしている昨今、私たちはそれとどう向き合うべきなのか。柴田俊幸さんと大いに語っていただきました。まずは前編から。
Chapter 1 HIP(歴史的知識にもとづく演奏)の覚醒
柴田俊幸 こんにちは、ブラウン博士。日本にようこそ。このコーナーは二人の音楽家による対談形式の連載ですが、今日は博士がゲスト!ということで、聞き手に徹してたくさんのことを学べればと思っています。初めての日本、いかがですか?
ブラウン 日本の音楽家たちと彼らの国で会い、意見交換ができたこと、また、何人かの音楽家と社交的に交流できたことは、心から嬉しいことでした。あと日本料理について、特に魚料理のさまざまな調理法について多くを学びました。とても印象に残る食事を楽しみましたよ。
柴田 では、本題に入りましょう。単刀直入ですが、今日の古楽界をどう思いますか?
ブラウン とても基本的な問題かもしれませんが…人は同じことを続けることを望まない、という人間の本質についてです。変化は自然に生まれてくるものです。今の世代は、前の世代とは異なることをしたいと思うものです。その事実を曲げることは出来ません。生徒が教師の言う通りにするという概念は、とても非現実的と言えます。
事実、歴史を振り返ってみると教師に叛逆的だった生徒の例は数多く見られます。例えばカール・フレッシュ(注:ハンガリー出身のヴァイオリニスト。ヴァイオリン学習者にはお馴染みの教則本の著者として知られる)。彼はウィーンで勉強しましたが、もし彼の若い頃にウィーンでいわゆる「フランス式」ポルタメントを使った生徒がいたとしたら、音楽院から追い出されていたでしょう。しかし1920年代に彼は教則本『ヴァイオリン演奏の技法 Die Kunst des Violinspiels』を書き、この「フランス式」ポルタメントの使用を推奨しました。つまり、彼は教師から言われたことをそのまま実践したわけではないのです!
柴田 つまり、今日の古楽界も古楽復興運動をリードした初期の世代の頃から変化しているということでしょうか?
ブラウン 変わり続けています。例えば、時代考証演奏法(HIP; historically informed performance)などという概念は、私が若い頃には存在しませんでした。この考え方と初めて出会ったのは1970年代で、私自身、非常に興味深いと感じました。その当時の音楽家たちは私が聴いたことのない、見たことのない楽器を使っており、彼らが奏でる音は、非常に変わっていました。ですが、その奏法が本当に昔の演奏方法だったのかどうかについて、それほど考えた覚えはありません。なぜなら、それらの異なる音色や音質を耳にすることが何よりも刺激的だったからです。
レパートリーも新しいものでした。当時、バッハやヘンデル以外のバロック音楽はほとんど演奏されておらず、演奏されたとしても、非常に堅苦しいスタイルで演奏されていました。ピリオド楽器奏者は、バロック時代のレパートリーでそれまで一般的だったテンポよりも速く、アーティキュレーションも軽快に演奏することが多かったのです。最初期の古楽器奏者たちはメインストリームの一流の音楽家ほど技術的に熟達していないという批判もありましたが、1970年代には、小編成のアンサンブルによるピリオド楽器演奏が徐々に大きな成功を収めるようになり、中世、ルネサンス、バロック音楽の録音が大手レコード会社から数多く発売されるようになりました。 1970年代の終わり頃になると、一部の音楽家たちは「ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの作品をピリオド楽器で演奏してみたらどうだろうか?」と考えるようになりました。
1980年に出版された『ニューグローヴ音楽事典』には、アメリカの音楽学者ハワード・メイヤー・ブラウンの演奏法に関する項目が掲載されており、その中で彼は「ベートーヴェンの交響曲を古楽器で演奏するのに十分な数の奏者を集めてオーケストラを編成することは、まず不可能だろう」と推測しています。その記事が発表されてから12ヵ月以内に、新たに結成されたハノーヴァー・バンドによるベートーヴェンの交響曲の古楽器演奏を収録した初めてのCDがリリースされました。
柴田 古楽がクラシック音楽の「グレイテスト・ヒット集」と出会ったターニングポイントのひとつですね。各レコード会社が「これは売れるかも」と思うぐらい、今までに聴いたことのない衝撃的な音がした、と。
ブラウン 確かに、彼らは古楽器の管楽器とガット弦を使用していましたが、弦楽器奏者には「ヒストリカル」な背景を持つ奏者ではなく、「モダン」の背景を持つ奏者も含まれており、カラヤンがベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と共に行った演奏と基本的に同様の演奏習慣が採用されていました。ベートーヴェンの交響曲第1番の第2楽章は、その良い例です。ハノーヴァー・バンドの録音では、ベートーヴェンのメトロノーム記号を無視して、カラヤンの録音(テーマをゆっくり歌う)とまったく同じテンポで演奏されています。
そして、ロジャー・ノリントンが登場し、それまでほとんど無視されていたベートーヴェンのメトロノーム記号通りのテンポで交響曲を演奏することを決意しました。そして、彼はかなり速いテンポで演奏しています(交響曲をかなり速く演奏しています)。それ以降、モダン楽器による演奏でも、カラヤンのテンポはもはや使われなくなりつつあります。
柴田 変化は段階的に起こったというわけですね。
ブラウン その通りです。変化は徐々に起こります。探究心があれば、以前に経験したことから学び、新しい知識を得ることでさらに次の段階へと進むことができます。私の発見の旅は、オックスフォードに在学中、また1980年以降は講師として、友人たちと趣味で弦楽四重奏を演奏して大いに刺激を受けました。当時、私たちはフェルディナント・ダヴィッドやヨーゼフ・ヨアヒムといった19世紀の音楽家によるボウイングや運指の記譜法が記載された版や、シュポーアの弦楽四重奏曲のオリジナル版など、さらに古い時代の資料で演奏するのが常でした。これらの筆写譜に記された19世紀の演奏記号は、私の現代的なヴァイオリン奏法にとって大きな課題となりました。 自分がやっていることが筆写譜や自筆譜の内容と一致しないことが常にありました。これらの譜面で弦楽四重奏曲を演奏していると、左手や右腕の位置が間違っているとできない指示がしばしばありました。例えば、弓のフロッグ(注:手元部分)付近でやや速いスタッカート音を演奏している時に、アップボウの指示のついた長い音符に行き当たると、アップボウができませんでした。弓先のほうで演奏することを想定した指示だったのです。これは目から鱗の発見でした。なぜなら、私はその手のパッセージの場合は、弓の中央より下でストロークを行うように教わっていたからです。
今日の「当たり前」が過去の音楽家たちの演奏と根本的に異なっていることがわかると、彼らの演奏テクニックやスタイルが我々のものとどう違うのかについて、さらに疑問が湧いてきます。彼らは明らかに弓の使い方が異なります。したがって、アーティキュレーションも違ってきます。そして、他に何が違っているのかを問うようになります。左手の運指が、効果的で洗練されたものとして学んできたこととは正反対の方法で使われている理由を解明するために、運指法をより詳しく調べるようになります。以前の運指では、レガート・パッセージで聴衆に気づかれないようポジション・チェンジを行うことはしばしば不可能でした。そしてすぐに、彼らは「ここでポルタメントを聴きたい」と聴き手に思わせるつもりだったに違いないと気づきます。
そこで私は自問しました。なぜ、表現力豊かなメロディのロングトーンで、開放弦とフラジオレットが使われたのでしょうか? 私は、そのようなパッセージを常にヴィブラートで演奏するように訓練されてきたのに。明らかに、ヴィブラートを期待していたわけではないのです。このように自問を繰り返していくと、過去は自分が思っていたものとはまったく異なる世界だったことがわかってきます。
Chapter 2 作曲家の意図と楽譜
柴田 ではHIPの目的は、特に今日の状況において、一体何なのでしょうか? 昔の演奏法を復活させることでしょうか?それを歴史的な楽器だけに限定すべきでしょうか、それともモダン楽器にも応用して演奏を豊かにすることが可能でしょうか? それは正しさや「本物」であることを求めるためなのか、それともより創造性を高め、演奏をより豊かにするためなのでしょうか? そして、その目的は、音楽という芸術にどのように関係すべきでしょうか?
ブラウン もう使われなくなった古い楽器で演奏することは、新しいことではありません。1960年代の HIP復活以前の、20世紀の最初の数十年間にも、パリ音楽院で学んだヴァイオリニストのアーノルド・ドルメッチがチェンバロやヴィオールなどの歴史的楽器を使い始めました。1888年にノヴェロ社からコレッリのヴァイオリン・ソナタ集の楽譜を出版した際、彼は19世紀の典型的な運指を記載しましたが、コレッリがそのような運指法を使用したことは決してありませんでした。
自分が育った環境で学んだ技術や美学から脱却するのは非常に難しいことです。そして、それはHIPにおいても同様で、後期バロック、古典派、ロマン派のレパートリーの演奏にも当てはまり、あまり変化は起こりませんでした。
柴田 「作曲家の意図に忠実に」とよく学校で学ぶと思うのですが、その当時のコンテクストを理解した上でそれを学ぶことはとても難しいのです。特に若い学生たちにとっては。
ブラウン 私たちの世代も、作曲家の意図を尊重すべきだという信念のもとに育ちました。つまり、ベートーヴェンを演奏するとき、モーツァルトを演奏するとき、バッハを演奏するときには、作曲家が望むであろうことにできるだけ近づくようにすべきだという信念です。
20世紀になると、楽譜に書かれたテキストを可能な限り厳密に演奏することが、作曲家の意図を尊重することであると、ますます考えられるようになりました。鍵盤でのアルペジオ奏法や弦楽器・管楽器でのポルタメント、また楽譜に記されていないリズムやテンポの変化など、楽譜からの明らかな逸脱は、作曲家の意図を軽視しているとみなされました。
一方で、20世紀に生み出され、今日でも多くの奏者によって行われている持続的なヴィブラートは、作曲家の意図からの逸脱とはみなされませんでした。それは、美しい音を奏でるための要素の一つとして捉えられていたからです。昔の演奏家がやっていたことの多くは、初期の録音で今でも聴くことができますが、それらは味気ない、あるいは無能とさえみなされていました。
1980年代後半に学会で講演をした際、1903年のヨアヒムのヴァイオリン演奏の録音を流したところ、ある教授が「今そんな演奏をしたら、君は生きていけないだろう」と嘲笑的に言っていたのをよく覚えています。また、講演会で、ベルリオーズやヴェルディ、チャイコフスキーなど同時代の著名な作曲家たちから賞賛されていたソプラノ歌手アデリーナ・パッティの演奏の録音が流された際には、聴衆の一部から疑うような失笑が漏れました。
柴田 大学の講義でも聴きましたが、確かにこんな風に試験で歌ったらびっくりされるような歌い回しかも。でも美しい!
柴田 Urtext(原典版)という言葉がクラシック業界に与えた影響も大きいですよね。あの版を買うだけで作曲家や作品に忠実になった気がする「免罪符」のような…。
ブラウン 作曲家の意図が楽譜に明確に反映されているという見解は、クラシック音楽家たちの間で非常に強固なものとなりましたが、それは原典版楽譜の入手が容易になったこととも関連しています。楽譜に書かれていることを正確に、かつ繊細に演奏すれば、作曲家の意図に沿った演奏ができると、音楽家たちはますます信じるようになったのかもしれません。 作曲家が記譜した中にその意図が込められているのは確かですし、楽譜をできるだけ明確にしようと多くの苦労をした作曲家もいます。
しかし、音楽の演奏法に対する彼らの期待は大きく違っていたのです。楽譜をほぼ正確に演奏することは「正しい」こと、つまりドイツ語で「richtig」であるとされ、学生には確かにそう期待されていました。しかし、それは「美しい」こと、つまりドイツ語で「schön」ではありませんでした。
1804年にアウグスト・エーベルハルト・ミュラー(注:1767-1817 ライプツィヒの聖ニコライ教会オルガニストやトーマスカントルを務めた)は、「もし音楽家が『正しい演奏』を超えることができないのであれば、オーケストラの奏者や合唱団員になるべきであり、それは『有益ではあるが、芸術ではない』」と述べています。19世紀初頭の多くの論文、例えばフンメルやシュポーアの論文などでは、「正確な」演奏と「美しい」演奏の区別が明確にされています。なぜなら、それは楽譜に書かれているものから大幅に逸脱するものであり、演奏者の音楽性や想像力があって実現できるものだからです。そして、これこそが、HIP運動の初期の数十年間において私たちが理解できなかったことでした。
柴田 HIPは音楽家の多様な解釈を決して否定しない、と。
ブラウン そう。実際、私たちがHIP運動と呼ぶものは、実際には非常に多様性をもっていました。私たちは「歴史的背景を考慮した演奏」という用語を使用していますが、その多くは真の意味で「時代考証」をしたものではなく、少なくとも、『ほんのわずか』しか考証されていませんでした。