INTERVIEW 世界最高の“オランダ人歌い”
エフゲニー・ニキティン(バスバリトン) 〜13年ぶりの新国立劇場に同役で登場!

取材・文:室田尚子

 2012年に引き続き、新国立劇場《さまよえるオランダ人》(2025.1/19〜2/1)のタイトルロールを演じるエフゲニー・ニキティン。1996年サンクトペテルブルク音楽院在学中にマリインスキー劇場とソリスト契約をし、以来、欧米の主要な歌劇場・音楽祭に出演。ワーグナー、特にオランダ人役では世界屈指の歌い手として知られている。そんなニキティンに、今回のプロダクションについて、また愛するワーグナーについて語ってもらった。

Evgeny NIKITIN

ワーグナーのオペラ改革は
《さまよえるオランダ人》から始まります

———のちの大規模な「楽劇」に繋がる要素を備えているといわれる《さまよえるオランダ人》の特徴はどのような点にあるのでしょうか。

ニキティン ワーグナーにおけるオペラの改革の過程で重要な節目となった作品が《さまよえるオランダ人》《タンホイザー》《ローエングリン》です。ワーグナーは音楽と演劇の融合、音楽的で演劇的な動きの連続性を目指しました。壮大で本質的なストーリーの具現化を目指した結果、レチタティーヴォ・スタイルの優位、アリアやその他の「コンサート」スタイルで終わる歌の廃止、オーケストラの支配的役割、そしてライトモチーフ技法という特徴が現れました。これらはまさに《さまよえるオランダ人》から始まります。歌詞にも多くの注意が払われるようになり、音楽、歌詞、演技、そして舞台美術が、まるで1枚の絵画を描くように一つの流れの中に融合していったのです。

———「世界最高のオランダ人歌い」といわれるニキティンさんからみて、オランダ人とはどういう人物でしょうか。

ニキティン 彼は第一に船乗りであり、船長です。つまり、強い意志を持ち、リーダーシップのある人物で、海賊集団を支配する権威を持っています。一方で、深い不幸を抱え、苦しみ、感性が高く、悲しんだり夢を見たりすることができる人物でもあります。しかし、地上の幸福を見つける希望は失っています。
 ご存知の通り、彼は偶然ゼンタとエリックの会話を聞いて、彼らが婚約していることを知り、それが彼にとってすべてを決定づけました。ゼンタもまた誠実ではないのです(この場合、エリックに対してですが)。このキャラクターは非常に複雑で、歌唱と演技の両方において特定のスキルが必要です。

2012年公演でオランダ人を演じるニキティン
撮影:三枝近志
撮影:三枝近志

———新国立劇場のシュテークマン演出の優れた点はどのようなところだとお考えでしょうか。

ニキティン いわゆるレジーテアター*が台頭する中で(特にヨーロッパにおいて)、このような演出は目の保養になります。伝統的で、観客が受け入れやすく、美しい衣裳もあります。音楽を聴く妨げにならず、演出で観客の注意を引こうとしません。シュテークマンは作曲家に非常に配慮し、音楽を美しく引き立てる形で演出を行います。しかし、多くの演出家はしばしばその逆を行い、音楽を無秩序で逸脱した幻想の背景にしてしまうことがあるのはご存知でしょう。

*レジーテアター:演出家が主体となって、自由に時代や状況設定などを変更して行うオペラ演出の手法。1980年代半ばのドイツ語圏を中心にヨーロッパで盛んになった。

————今回指揮をするマルク・アルブレヒトさんとは共演のご経験がおありになりますね。

ニキティン マルクとはオランダ国立オペラの《ローエングリン》で共演しました。彼は素晴らしい音楽家で、音楽が織りなす繊細な感覚を持っています。非常に要求が厳しく、必要なものを常に歌手から引き出そうとします。さらに、高い文化的コミュニケーション能力を持ち、歌手を尊重し、決して圧力をかけることはありません。彼と一緒に働くのは楽しく、面白く、何より重要なのは、常に結果が得られることです。今回の共演で、オランダ人について、今までとはまったく違った印象を持つことになるのではないかと期待しています。

稽古場よりニキティン(オランダ人)、松位浩(ダーラント)
撮影:堀田力丸
稽古場より 撮影:堀田力丸

私の声のタイプが
まさに私をワーグナーへと導いたのです

———数々のワーグナー作品に出演していらっしゃるニキティンさんですが、ワーグナーを歌うようになった経緯はどのようなものだったのでしょうか。

ニキティン ワーグナーを歌うことは確かに光栄なことですが、これは自然な選択でした。私の声のタイプが、まさに私をワーグナーへと導いたのです。
 私の声は、例えばヴェルディやバロック音楽にはあまり適していません。さらに、私がプロとして活動を始めた1995年、マリインスキー劇場では現在に至るまで続く“ワーグナー時代”が始まり、どの歌手も何らかの形でワーグナー作品に関わるようになりました。そのため、私のレパートリーも、彼の作品が中心になりました。

2012年公演よりニキティン
撮影:三枝近志

———キャリアの最初に、ご自身にとって最も適した作品と出会えたのは素晴らしいことですね。今年、52歳になられるそうですが、歌手を続けていく上で気をつけていらっしゃることはありますか。

ニキティン 健康でいられれば、あと15年ほどは働けると思います。大切なのは声のコンディションを保つことですが、そのためには、逆説的ですが、できるだけ歌わないことが必要です。だから今は、すべてをやろうとはしないようにしています。

———本公演は18歳以下を無料招待することになっていますが、若い聴衆に向けて、オペラの魅力や楽しみ方をニキティンさんの言葉で語ってくださいますか。

ニキティン オペラに行く前には、まず作品の題材を理解することが大切です。たとえば、シラーの戯曲を読んだりオペラの台本を読んだりすることです。そのオペラがどのように作られたのか、(少なくともウィキペディアなどで)調べてみてください。そして、その知識を持って劇場に行くべきです。そうすれば、難解な音楽もよりわかりやすくなり、鑑賞が義務感からではなく、面白く魅力的なものになりますし、2時間が20分のように感じるでしょう。

撮影:三枝近志
撮影:三枝近志

PROFILE

エフゲニー・ニキティン(バスバリトン)
Evgeny NIKITIN

ロシア北部ムルマンスク出身。ヘヴィーメタルバンドで活躍後オペラ歌手に転向。サンクトペテルブルク音楽院に入りマリインスキー劇場とソリストとして契約、欧米の主要劇場や音楽祭に招かれるようになる。最近の主な出演にパリ・オペラ座《ホヴァンシチナ》シャクロヴィートゥイ、メトロポリタン歌劇場、テアトロ・レアル、カナディアン・オペラ・カンパニー、ライプツィヒ歌劇場、新国立劇場《さまよえるオランダ人》、メトロポリタン歌劇場《トリスタンとイゾルデ》クルヴェナール、ソフィア王妃芸術宮殿《パルジファル》アムフォルタス、チューリヒ歌劇場、オランダ国立オペラ《サロメ》ヨハナーン、ウィーン国立歌劇場《フィデリオ》ドン・ピツァロ、《ローエングリン》テルラムント、バーデン・バーデン音楽祭《トスカ》スカルピア、《ドン・カルロ》フィリッポⅡ世、ザルツブルク音楽祭《イオランタ》イブン・ハキアなど。マリインスキー劇場へはボリス・ゴドゥノフ、フィリッポ二世、オランダ人、アムフォルタス、ヴォータン/さすらい人、ドン・ジョヴァンニなどの得意役で出演を重ねている。新国立劇場へは2012年《さまよえるオランダ人》以来の登場となる。

INFORMATION

新国立劇場オペラ 2024/25シーズン
ワーグナー《さまよえるオランダ人》全3幕

(ドイツ語上演/日本語及び英語字幕付)

2025.1/19(日)14:00、1/22(水)18:30、1/25(土)14:00、1/29日(水)14:00、2/1(土)14:00
新国立劇場 オペラパレス

指揮:マルク・アルブレヒト
演出:マティアス・フォン・シュテークマン

出演
ダーラント:松位浩
ゼンタ:エリザベート・ストリッド
エリック:ジョナサン・ストートン
マリー:金子美香
舵手:伊藤達人
オランダ人:エフゲニー・ニキティン

合唱:新国立劇場合唱団
管弦楽:東京交響楽団

問:新国立劇場ボックスオフィス03-5352-9999
https://www.nntt.jac.go.jp/opera/
https://www.nntt.jac.go.jp/opera/derfliegendehollander