繊細さと力強さと——ラヴェルでみせる音楽的成熟
ショパン国際ピアノコンクールでの優勝から早9年。30歳という節目の年を迎えるチョ・ソンジンが今回の来日リサイタルで披露するのは、ラヴェルとリストによるプログラムだ。
ミューザ川崎公演は、オール・ラヴェル・プログラム。ラヴェルのみによるピアノリサイタルというのはもともとそう多くないが、それをショパン・コンクールの覇者である彼が行うのだから、いま表現したいことへの並々ならぬ思いがあっての選択と思える。「グロテスクなセレナード」のような最初期の作品から、「鏡」や「夜のガスパール」という充実した時期の人気曲、「クープランの墓」という円熟期の楽曲まで、さまざまな年代のラヴェルから、詩情に溢れた作品ばかりが並ぶ。
一方のサントリーホール公演は、前半がラヴェル、そして後半がリストの「巡礼の年 第2年『イタリア』」というもの。〈ダンテを読んで〉はこれまでにも披露してきたが、今回は曲集を全曲通しての演奏となる。〈ペトラルカのソネット〉をはじめ、リストの作品の中でも文学的な要素が強い楽曲で、ラヴェルからの滑らかな流れが生み出されるだろう。確信に満ちた音楽作りで、作品の魅力を改めて伝えてくれるはずだ。
現在はベルリンを拠点とするチョ・ソンジンだが、18歳の頃、生まれ育った韓国から出て初めて留学したのはパリで、フランス近現代音楽の名手であるミシェル・ベロフのもと研鑽を積んだ。「レッスンでは、音楽について、人生について、本当にいろいろな話をする。先生はとても強い個性とやさしさを持つ音楽家で、人間としても影響を受けている」と話していたことが記憶に残る。また、パリ生活ではよく美術館に通っているとも言っていた。そうした暮らしの中で自然と身につけたさまざまな価値観や感性は、チョ・ソンジンのフランス音楽の表現に反映されていることだろう。すでにドビュッシーについては録音を残しているが、今度はラヴェルで、これまでに培ってきたものを披露してくれることになる。
ノーブルな音楽性と透明感のある音の持ち主なので、美意識の高さを感じるひたすらクリーンなラヴェルを聴かせてくれるように思いがちだが、近年自由さを手に入れたチョ・ソンジンのことなので、おそらくそうはならないだろう。彼が、あの一見落ち着いた表情の奥に持つ、熱さや強さ、遊び心、そしてどこか斜に構えたスタンスが反映された、複雑なラヴェルの世界に期待したい。
ところでチョ・ソンジンとラヴェルといえば、思い出すのはショパン・コンクール期間中のことだ。すべての演奏が終わったあと、結果発表前のインタビューで、コンクール中どんなふうに過ごしていたかを聞くと、練習以外の時間は部屋でゆっくり音楽を聴きながらお風呂に入っていたと話していた。何を聴いていたのかと思えば、ショパンではなく、ラヴェルのト長調のピアノ協奏曲だという。コンクール後に演奏会の予定があったこともあり、「耳で練習していた」そうだ。
彼の人生を変えたあの優勝の背後に、日々ラヴェルがいたというのは、余談ながら、チョ・ソンジンとラヴェルの関係を示す一つのエピソードといえるかもしれない。
文:高坂はる香
(ぶらあぼ2024年3月号より)
2024.6/11(火)19:00 ミューザ川崎シンフォニーホール
6/12(水)19:00 サントリーホール
問:ジャパン・アーツぴあ0570-00-1212
https://www.japanarts.co.jp
他公演
2024.6/5(水) 福岡シンフォニーホール(092-725-9112)
6/6(木) 鳥取県立倉吉未来中心(0858-23-5391)
6/8(土) 愛知県芸術劇場コンサートホール(CBCテレビ事業部052-241-8118)
6/9(日) 大阪/ザ・シンフォニーホール(ABCチケットインフォメーション06-6453-6000)
※公演によりプログラムは異なります。詳細は上記ウェブサイトでご確認ください。