今こそ柴田智子の歌を聴け!
「つらい思いの人を歌で抱きしめたい」〜柴田智子の歌人生
クラシックのジャンルを超え、オペラからミュージカルやビートルズまで幅広いレパートリーをもち、クロスオーバー歌手の先駆けとして知られる柴田智子さん。これまでの歩みは誰から作られたものでもレコード会社からの思惑でもなく、「自ら音楽で生きていく」決意の表れでした。クロノス・クァルテットと新作初演を手がけるなど、長年ベースとしたニューヨークでの活動は多岐にわたりました。
シアター(音楽劇)が大好きで、アメリカではミュージカルにも出演。日本に拠点を移した今も、独自のスタンスで、心に届く世界中のメロディを集め歌い続けています。その歌い手人生は、まさに波乱万丈。でもそこにはいつも “自由”がありました。2月にサントリーホールでのコンサートを控えている柴田さんに、これまでの歩みについてたっぷりとお話を聞きました。
取材・文:池田卓夫(音楽ジャーナリスト)
「ようやく経験してきたことすべてを母国語の歌に乗せ、心からお伝えできるようになった気がします」。柴田智子は「ソプラノ歌手」を生業(なりわい)とするが、表現者として、オンリーワンの道を歩む。私は柴田が歌った〈瑠璃色の地球〉に深く胸を突かれて以来、絶えず芸術や発声の進化を見守り、特別な体験、感触の理由を探してきた。
♪バーンスタインのことばを胸に
「物語の始まりはニューヨークでした」。医師の家の三姉妹の真ん中に生まれ、“お嬢様”学校に通い、音楽大学へ進学…と華やかな外見とは裏腹に、家族関係は複雑だった。早くから自立を目指して24歳の時、アルバイトで貯めた200万円を手に単身渡米する。ニューヨークのマネス音楽学校在籍中、大きな転機が訪れた。
日本とかかわりのあるオペラを上演していたハーモニア・オペラ・カンパニーが《夕鶴》(團伊玖磨作曲)の英語上演に際し、主役「つう」の大役を柴田が射止めた。リンカーン・センターでの「正真正銘のオペラ・デビュー」公演は、ニューヨーク・タイムズ紙にも批評が載り、「ソプラノの柴田智子は素晴らしくコントロールされた繊細さ、軽やかでしなやかな声により、つうの“壊れやすさ”を際立たせた」(エドワード・ローススタイン)と絶賛された。
「日本が欠点ばかり指摘しがちなのに対して、アメリカ、とりわけニューヨーク・タイムズがまったく無名の私をここまで評価してくれたことには心底、『すごい!』と思いました。真正面から、最初の扉を開いてくださったのです」
「アメリカで生きていく」。その時から、人生を学びながら物価の高いニューヨークで声楽やボーカルを究める旅が始まった。
レッスン代のかさむ音楽学校をやめ、グリーンカード(米国永住権)取得を目指して働きに働いた。1985年。指揮者で作曲家のレナード・バーンスタインが第二次世界大戦終結と広島市への人類最初の原子爆弾投下から40周年の節目にユース・オーケストラとともに広島を訪れ、「広島平和コンサート」を開催しようと決める。コンサートで世界初演する新作も公募、広島出身の糀場富美子の「広島レクイエム」を選んだ。柴田がニューヨークに来た糀場の世話を引き受けた縁でバーンスタインとも面識ができ、彼のオフィスのスタッフと親しくなった。「もっとベルカント唱法を勉強しなさい」というバーンスタインのアドバイスは、次の扉に向けた通奏低音として、柴田の体内で鳴り続けた。
クロノス・クァルテットとの共演など現代音楽の演奏も続けていたある日、ピアニストに訊かれた。「あなた、どれくらい(ちゃんと)歌の練習している?」。グリーンカード取得後も働き詰め。「パフォーミングの実力がついても、現代作品で要求されるような金属質の声だけが残ったら(ソプラノでは)使い物にならない」と気づく。一切活動を辞め、奨学金を得てヨーロッパに飛んだ。かつてバーンスタインが指摘した、ベルカントを学ぶ旅でもあった。
♪イタリアからふたたびニューヨークへ
ヨーロッパを回り数多くのボイストレーナーの門を叩き、ミラノに落ち着いた。出会った教師の下で発声を一から練り直すうち、「ベルカントの質=クオリティが持つ意味を理解しました」。イタリアに家を持つロック歌手のスティングが「この国ではまだ、人間が人間への関心を失わず、愛しています」と語ったように柴田も音楽以上に「何か大切なもの」をミラノで吸収、3年後にニューヨークへ戻った。「イタリア語の歌唱を取り入れたことで、歌手のランクが上がりました」。1993年にはニューヨークのリンカーンセンターで、ウェストチェスター交響楽団と共演。この活動を知った演出家の蜷川幸雄とスタッフが柴田の声とキャラクターに注目、日本で新作ミュージカル『魔女の宅急便』(宇崎竜童&阿木燿子作曲)のオソノ役に抜擢された。その後はオーケストラとの共演、テレビ出演などにも活躍の世界を広げた。
さらに東芝EMI、ビクター音楽産業、EPICソニー(いずれも当時の社名)の3社からCDデビューの話が持ち込まれた。結局EMIと専属契約、1995年に最初のアルバム、バーンスタインやミュージカルの名曲を並べた『マンハッタン・ドリーム』をリリースした。CBSマスターワークス(現ソニーミュージック)でバーンスタインやブルーノ・ワルターら巨匠指揮者の名盤を製作したジョン・マックルーアが、共同プロデュースを引き受けた。セカンド・アルバムはビートルズの14曲をソプラノで再現した『LET IT BE』で、ロンドンの名門室内オーケストラ、アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ(アカデミー室内管弦楽団)と共演した。「サラ・ブライトマンよりも早く、それまで誰も手がけなかったクロスオーバーのアルバムを世に送り出したとの自負はあります」。今の時代に「再度この名盤を」と、2枚のアルバムは2021年、現在の原盤権所有者であるユニバーサルミュージックから再発売された。
♪さまざまな経験を積んだいま、届けられる歌を
好事魔多し。デビュー盤発売と前後して父が悪性リンパ腫となり、介護のために帰国を決意。見送った後は日本の音楽大学にも勤務したが、合わない。レコード会社の契約も切れ、再起を期してニューヨークへ戻った2001年、9月11日の同時多発テロに自宅から至近距離で遭遇。眼前で多くの死を目撃して呼吸器障害、パニック症候群などの後遺症に苛まれていた2005年、キューピーをスポンサーにしたコンサートシリーズ「サラダ記念日」を日本で始め、15年まで続けた(その他、プロデュースした公演は現在までに100を優に超える)。2006年には乳がんの宣告を受ける苦難にも見舞われたが、翌年に現在の本拠である自由が丘オペラハウスを建設、一線に復帰した。ニューヨークを完全に引き払ったのは2010年。「私は私なりによく奮闘したと思います。これからは自分にできることすべて、体がまだ元気なうちに挑戦して終わる」と、目標を定めた。
日本での柴田が、オペラやミュージカルの舞台に立つ機会は限られる。「お世辞も言えない。お酒もパーティーも苦手」という。日本のオペラ界と条件が合わずに出演できなかった作品を自身のプロダクションに生かし、シアター仕立ての演出で持てる才能を生かす道に進んだ。2017年に制作した「LIFE」(作詞・演出:柴田智子 作曲:内門卓也)では自身のライフストーリーをシアター化、好評を博した。同年には東京オペラ・プロデュース公演《ビバ!ラ・マンマ》(新国立劇場)でオペラ復帰を果たす。
2022年2月27日、サントリーホールのブルーローズで開く「柴田智子の自由で素敵なコンサートシリーズVol.6 “Cocoro N.YーJapan Modern Melodies”」もバラエティに富んだプログラムで興味深い。第1部は日本では知られていないムーアやゴードンの現代シアターソングス、バーンスタインやプレヴィン、ミュージカルなどアメリカの作品、第2部はフィンランド民謡、日本の歌を多彩な共演者とともに紹介する。とりわけ、自作曲や追川礼章作への委嘱作〈明日へのことば〉を交えるのが柴田らしい。「世界中の名曲を自分の足で見つけ、日常会話ができない国の言葉は全部日本語に訳して歌う」「逆境を力に変え、人生の歌を歌いたい」と語る“柴田ワールド”が全開するだろう。
コンサートの後も「コロナ禍の中で遭遇した新しい歌」を中心にしたCDリリース、IPA(International Phonetic Alphabet=国際音声記号)に基づく発語法の書籍出版予定と、攻めの発信が続く。
「つらい思いをした人を幸せにしたい。歌で抱きしめたい」「クラシックをベースにできうる限り COCORO=心に沁みる歌を、最後まで歌い続けたい」── キラキラした笑顔で自身の世界を語り続ける柴田の目には、さらなる新しい世界が見えている。
【Concert Information】
■柴田智子の自由で素敵なコンサートVol.6
Cocoro N.Y ― Japan Modern Melodies
2022.2/27(日)14:45 サントリーホール ブルーローズ(小ホール)
出演:柴田智子(ソプラノ) With 追川礼章(ピアノ・作曲・アレンジ)
ゲスト:中野亜維里(ソプラノ) 今井学(ボーカル) 近藤大夢(ピアノ)
ムーア:戻らぬ夏
ゴードン:その朝に・星たち
プレヴィン:魔法が欲しい オペラ「欲望という名の電車」
バーンスタイン:序曲、華やかで浮気っぽく オペレッタ「キャンディード」
ソンドハイム:死んだ毎日、悲しみのクラウン ミュージカル「リトルナイトミュージック」
カーペンターズ:青春の輝き
ビートルズ:ラブレター「アリアになったビートルズ」
宮本益光:うたうだけ、私の歌
石崎ひゅーい:虹
村松崇継:いのちの歌
藤田麻衣子:手紙
柴田智子:静かな歌
追川礼章:明日へのことば(世界初演)
フィンランド伝承歌:カレリアの丘 他全20曲
※プログラムは変更される場合がございます。
お問い合わせ:
TSPI 03-3723-1723 info@tspi.co.jp
二期会チケットセンター03-3796-1831(平日10:00~18:00 土曜日10:00~15:00 日祝休)
カンフェティチケット 0120-240-540 http://confetti-web.com/tomokoshibata2022
チケットご予約・ONLINE配信 https://salondart.art/lc-lending/shibata-6/
Biography
柴田智子 Tomoko Shibata, soprano
今を生きる喜びとして心に響く歌を、世界に発信するソプラノ。アメリカ音楽のスペシャリスト。現在は日本語の歌にも力を入れる。ジュリアード音楽院に学び、リンカーンセンター、カーネギーホール、サントリーホール、新国立劇場等でオペラ出演。ニューヨーク・タイムズ紙から高い評価を得る。クロノス・クァルテット等と現代音楽の初演を数多く手がけた。イタリアへ留学、バーンスタインの音楽の普及に努める。国内外でミュージカルにも出演。新日本フィル、読売交響楽団、東京交響楽団、アカデミー室内管弦楽団等とも共演。EMI専属歌手として3枚のCDをリリース、特にアリアになったビートルズ『Let It Be』は、史上初の女性カバーアルバムとして世界的な反響を呼び、2021年にユニバーサル ミュージックより再発売される。NHK/日本テレビ/NHK/J-WAVE等に出演。昭和音楽大学・桜美林大学講師。自由が丘音楽大使。東京二期会。
http://www.tomokoshibata.com