エレオノーラ・ブラット(ソプラノ) | いま聴いておきたい歌手たち 第8回 

text:香原斗志(オペラ評論家)

待ち望まれた「正統派」ソプラノ

なにが正統であるかについては議論があるので、軽々に「正統派」という言葉は使いたくないが、ここではわかりやすさを優先し、よくいわれる「正統派」について語ることにする。すなわちヴェルディのリリックな役、たとえば《シモン・ボッカネグラ》のアメーリアや、あるいはプッチーニ《ラ・ボエーム》のミミなどで心底満足できるソプラノが、最近あまり現れない。昔ならミレッラ・フレーニ、近年もバルバラ・フリットリという巨人がいて、私事で恐縮だが、そのフリットリが2005年に《ルイーザ・ミラー》のルイーザ役で初来日する前は、文字通り彼女の「追っかけ」として、《イル・トロヴァトーレ》、《オテッロ》、《シモン・ボッカネグラ》と、現地で聴いて回ったものだ。

そのフリットリも50代になり、以前にくらべると輝きが失せている。だれか代わる若手はいないのか。その問いへの回答の一つが、北イタリアのマントヴァ生まれのエレオノーラ・ブラットである。実際、彼女が日本にお披露目されたのは2014年、ローマ歌劇場日本公演の《シモン・ボッカネグラ》で、フリットリの代役だった。もちろん、フリットリが聴けない落胆は大きかったが、ブラットの歌の、高い音圧によって一定の力強さが保たれたうえでのやわらかな響き、美しくなめらかで品位あるフレージングと、よく制御されたピアニッシモで、フリットリの穴をかなり埋めてくれた。

メトロポリタン歌劇場《トゥーランドット》より リューを演じるエレオノーラ・ブラット C)Marty-Sohl/Metropolitan Opera

デビュー早々、指揮者のリッカルド・ムーティに見出されたブラット、上記の代役もムーティ指揮のもとであった。また、2016年のウィーン国立歌劇場日本公演では、やはりムーティの指揮で《フィガロの結婚》の伯爵夫人を歌い、モーツァルト歌手としての力も日本の聴衆に示している。

ブラットにはピアニッシモからフォルティッシモまでの間で、音量と音の強さを細やかに制御できる力がある。そして、それらの音がつながって旋律になったときに、やわらかさとともに気品が加わる。またアジリタも高い水準で歌いこなす。それは声を自在に、柔軟に動かせるからだが、すると言葉も活きてくる。だから、質の高いモーツァルトが歌えるのである。

軽やかさにも力強さにも無理がない

ところで、声とフレージングの美しさ、やわらかさを測るうえで、ロッシーニ《ランスへの旅》のコリンナという役は絶好である。これはドニゼッティ《アンナ・ボレーナ》やベッリーニ《ノルマ》を創唱したジュディッタ・パスタのために書かれた役で、フィナーレにおいてハープの伴奏で歌うソロは、レガートを基本に装飾を交えながら歌われ極めて美しい。だが、美しく聴かせるのが至難の曲でもある。これをブラットほど美しく歌える歌手は、滅多にいない。

こうした力があるからである。上に記した《シモン・ボッカネグラ》の翌年、2015年10月、彼女のミラノ・スカラ座デビューに当たる《愛の妙薬》のアディーナを聴いたが、軽やかに歌われるべき旋律を、もちろん軽やかに、しかし軽い声のソプラノには出せないやわらかい光沢を加え、必要な箇所では自在に声を絞って、美しく表現力に満ちた歌を聴かせた。

今年4月にはシチリア島のパレルモのマッシモ劇場で、《イドメネオ》のエラットラを聴いたが、こちらはこの猛女の役にふさわしく、アディーナを歌ったのと同じ歌手とは思えないほどの、実に力強い声を披露した。だが、力強くても無理がないのだ。一つひとつの音符が大切にされ、フレージングの美しさが担保されたうえに、力が加えられている。だから破綻がないばかりか、穏やかに歌われる箇所で、エレットラの女らしさにハッと気づかされたりするのである。

ブラットの今後の予定を見ると、《ラ・ボエーム》のミミを歌う機会が目立つが、われわれが身近に鑑賞できるものには、まずMETライブビューイング2019-20シーズンの開幕公演であるプッチーニ《トゥーランドット》のリューがある。続いて2020年3月には、新国立劇場でモーツァルト《コジ・ファン・トゥッテ》のフィオリディリージを歌う。この役は強い声が必要だが柔軟性が不可欠という、彼女にうってつけの役。ポスト・フリットリの成長ぶりの確認も兼ねて、聴き逃すことができない。

メトロポリタン歌劇場《トゥーランドット》より リューを演じるエレオノーラ・ブラット C)Marty-Sohl/Metropolitan Opera

Information

METライブビューイング2019-20《トゥーランドット》
上映期間:2019.11/15(金)~11/21(木)
*東劇のみ11/28(木)までの2週上映

*エレオノーラ・ブラットはリュー役で出演。詳細は下記ウェブサイトでご確認ください。
https://www.shochiku.co.jp/
https://www.shochiku.co.jp/met/program/2072/

*11月6日(水)18:15〜 METライブビューイング《トゥーランドット》プレミア試写会(MET音楽監督ヤニック・ネゼ=セガン舞台挨拶付)に5組10名様をご招待。応募は2019.10/30(水)まで。
詳細は下記ウェブサイトでご確認ください。
https://member.ebravo.jp/6148/

新国立劇場 オペラ《コジ・ファン・トゥッテ》
2020.3/18(水)18:30、3/20(金・祝)14:00、3/22(日)14:00、3/24(火)14:00 新国立劇場 オペラパレス

https://www.nntt.jac.go.jp/opera/cosi/


profile
香原斗志 (Toshi Kahara)

オペラ評論家、音楽評論家。オペラを中心にクラシック音楽全般について音楽専門誌や新聞、公演プログラム、研究紀要などに原稿を執筆。声についての正確な分析と解説に定評がある。著書に『イタリアを旅する会話』(三修社)、共著に『イタリア文化事典』(丸善出版)。新刊『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)が好評発売中。