及川浩治(ピアノ)

ベートーヴェンの「運命」が僕を救ってくれたのです

C)Yuji Hori
 ベートーヴェン生誕250年の今年、及川浩治が交響曲第5番「運命」(ピアノ版、リスト編)を全楽章演奏するリサイタルを行うことになった。前半はJ.S.バッハ、ショパン、エルガー、リストなどの名曲が組まれている。

「『運命』は生まれて初めて録音で聴いた音楽で、父がレコードをかけてくれました。僕は長男ですので、及川家の運命とかけたのでしょう。まず、ベートーヴェンの最高傑作をピアノで弾けるように編曲してくれたリストに感謝したいですね。この交響曲は稀に見る完璧な音楽。一音たりとも無駄がなく、作曲の苦労を感じさせない完全な和声、統一感が特徴。第1楽章のはげしい音楽から究極の美である癒しの第2楽章、さらに第3楽章から最終楽章へのもって行き方は秀逸です。苦悩から勝利へと進むベートーヴェンの哲学が表現されています。
 僕は小さいころからオーケストラ作品に憧れ、レコードに合わせて指揮したり歌ったりしていました。いまはリスト編の楽譜の脇にiPadでオーケストラのフルスコアを表示し、比較しながら練習しています。リストの編曲版はピアニストに高度な技術と知識、解釈を求められますが、原曲の偉大さをまったく損なっていない点がすばらしい。今回は『運命』だけですが、他の交響曲も演奏したいです」

 コンサートではベートーヴェンをこよなく愛し、そしてリストを深く愛する及川の真骨頂が味わえそうだ。その大曲の前には名曲の数々が組まれている。
「僕は偉大なバッハを尊敬していますし、ショパンやリストもぜひ演奏したいと思い、緩急を考えたプログラム構成にしました。コロナ禍の時代にあって、みなさんが聴きたいと願う曲を選んだつもりです」

 現在は生の演奏を聴く機会も減り、人々の心が音楽を渇望している。この時期に彼はどう音楽と対峙しているのだろうか。
「僕自身、絶望的な気持ちになり、何もする気が起きない時期がありました。人間は夢や希望がないと生きていかれないことを痛感しました。僕を再び奮い立たせてくれたのが『運命』の練習を始めたときです。まず第4楽章の勝利の音楽から開始し、徐々に他の楽章へと進み、引き込まれていきました。ベートーヴェンが、『運命』が、僕を救ってくれたのです」

 ベートーヴェンの音楽に救われた及川の演奏は聴き手の心の深奥に響き、今度は私たちの心の救済を果たしてくれるに違いない。その真意を演奏から受け取りたい。
取材・文:伊熊よし子
(ぶらあぼ2020年10月号より)

及川浩治 ピアノ・リサイタル「名曲の花束」
2020.10/25(日)14:00 ザ・シンフォニーホール
問:ABCチケットインフォメーション06-6453-6000 
https://www.asahi.co.jp/symphony/
10/31(土)14:00 サントリーホール
問:チケットスペース03-3234-9999 
https://www.ints.co.jp