高橋悠治(作曲/ピアノ)

思索で紡ぐアンソロジー

え:柳生弦一郎

 80歳を超えてなお、作曲・ピアノで瑞々しい活動を続ける高橋悠治。今年3月に浜離宮朝日ホールで行われたリサイタルのライヴによる新譜『ことばのない詩集』は、ハンガリー出身のチャポー・ジュラ(1955-)の「『優しいマリア』変奏曲」を軸にしたスリリングな選曲だ。

 高橋とこの異才との出会いは10年ほど前にさかのぼる。
「2009年に彼の『砂漠の行進曲』をリサイタルで弾きました。湾岸戦争への批判が込められた珍しい曲です。『「優しいマリア」変奏曲』は昨年世界初演され、本人から録音と楽譜が送られてきたので、演奏会で弾くのにちょうどいいと思いました。『優しいマリア』は15世紀の宗教歌。今回はアルノルト・シュリックが1512年に出版したリュートと歌のためのアレンジをまず弾いて、そのあとにチャポー・ジュラ作品を置きました」

 さらにフランソワ・クープランとジャン・フランチェスコ・マリピエロ(1882-1973)の洒脱な作品、そして2016年作曲の自作「空撓(そらだめ)連句」と組み合わせた。

「クープランの『花開くユリ』『葦』はそれぞれブルボン王朝の紋章、そして人間の弱さを象徴する曲です。マリピエロは戦前、ヴェネツィア音楽界で要職に就いていたので、当時の政権と全く無関係ではいられなかったのでしょう。ですから戦後はあまり演奏されず、最近ようやく日の目を見るようになりましたね。『アーゾロ詩集』『きらめき』は旋律を軸に自由に展開していくような作風です。連句の技法による『空撓連句』は、強弱もなく、senza tempo(テンポ設定なし)なので毎回演奏も変わります」

 もともと高橋のレパートリーはバロックと現代音楽が中心で、通常ピアニストが手掛けるようなスタンダードな曲は少ない。

「ショパンやリストなどであれば、弾く人がいっぱいいるでしょう。でもショパンは面白いと思いますね。ノクターンやマズルカはいくつか弾いたこともあります。リストは晩年の曲、『灰色の雲』などがいいですね」

 付き合いの長い調律師が選んで調律したピアノを弾くので、普段から楽器に特に注文をつけることはないという。「どんな楽器でも弾ける」のは、若い頃のオペラの稽古ピアノの経験が原点だ。

「若い頃、二期会のコレペティトゥアを5年くらい担当していました。歌手が歌いやすいように弾くのが仕事で、指揮者にも合わせなくてはいけない。普通のピアニストとは違いますね。イタリア歌劇団の来日公演やアメリカでも裏方でピアノを弾きましたが、濡れタオルをかぶって震えていたデル・モナコや大きな犬を連れていたテバルディなどを思い出します」

 聴き手自らにそれぞれの曲の面白さを見いだしてほしいという高橋。知的好奇心をかき立てるディスクである。
取材・文:伊藤制子
(ぶらあぼ2019年7月号より)

CD『ことばのない詩集』
マイスター・ミュージック
MM-4059 ¥3000+税
2019.6/25(火)発売