サントリーホール 作曲家の個展Ⅱ 2018 金子仁美 × 斉木由美 愛の歌 Les Chants de l’Amour

不協和を越えた「愛の歌」へ


 「愛の歌」。平凡といえばとてつもなく平凡だが、シンプルかつ美しい言葉ではある。おそらく、こんな意味のタイトルをもった曲はどの時代にも、どこの国にも、どの言語にも存在するに違いない。ゆえに、このタイトルを冠した曲を書くというのは、もっともライバルが多く、困難な賭けに身を投じることだともいえる。
 今回、その挑戦者となるのは金子仁美と斉木由美の二人。実は、11月30日に行われる「サントリーホール 作曲家の個展Ⅱ 2018」において彼女らが掲げたテーマこそが、この「愛の歌」なのである。曲は、金子の「レクイエム」、斉木の「アントモフォニーⅢ」、それに二人の新作の世界初演。演奏は沼尻竜典指揮の東京都交響楽団、野平一郎のピアノ。

作曲家グリゼイの存在、協和と不協和

 もっとも、これまでの情報から透けて見えるのは、「愛の歌」という演奏会テーマが、今は亡きフランスの作曲家ジェラール・グリゼイ(1946-98)の作品「Les Chants de l’Amour(愛の歌)」から発想されていることだ(ちなみに日本語にすれば単に“愛の歌”となるけれども、原語のタイトルは複数形と定冠詞を持っている)。グリゼイは一般に「スペクトル楽派」のひとりと見なされているフランスの作曲家で、生涯にわたって倍音構造を徹底的に探究しながら、全く新しい「協和・不協和」の概念を提出したことで知られる。
 我々は一般に「ドミソ」は協和音、「ドファシ」は不協和音などと簡単に区分しているけれども、グリゼイらの目論見は、倍音列に沿った音は(自然科学的にも)協和しており、そうでない音は不協和だという、コロンブスの卵のようなアイディアを音楽に封入することだった。このコンセプトに照らし合わせてみれば、我々が普段使っている「平均律」のピアノは、ひどい不協和音ばかりをたたき出すポンコツ楽器になってしまい、一方で下手な管楽器奏者が思わず出した「ピョー!」という突拍子もない高音は、むしろ協和した音ということになる。実際、グリゼイの曲における、時には雑音のような倍音の渦は、なんとも優しく「協和して」響くのだ。
 金子仁美は、フランスでの修業時代にグリゼイに指導を受けており、この師からの直接的な影響下で創作を行ってきた。一方の斉木由美は制度的にいえばグリゼイの弟子ではないが、やはり同じ時期にパリ音楽院に在籍していたから、当然ながら彼のことをよく知っていただろう。実際、二人のこれまでの作品はいずれも倍音の構造を存分に生かしたものだ。
 50代前半という、私見では作曲家としてもっとも脂ののった時期に属する二人は、どうして今、グリゼイの「愛の歌」を参照点に選んだのだろう。どうしてこんな賭けに出たのだろう。

時代性と創作

 もちろん推測でしかないけれども、それはきっと2018年という、この時代と深く関係している。二度の大戦に輪郭づけられた20世紀をようやく乗り越えてはみたものの、いまわれわれの目の前にひろがっている世界は、何故かごく狭い自分の身の回りの利益に汲々としてばかりいる。だから、大きな戦争こそ起こっていなくとも、そこら中で小さな諍いが、微細な不協和が後を絶たない。彼女らがグリゼイの教えを抱きながらいま示そうとしているのは、この中における一筋の希望であるはずだ。
 となれば、「愛の歌」はすなわち新しい協和の謂いに他ならない。グリゼイは多くの声をコラージュのように重ねながらそれを実現しようとした。この二人が、いったいどうやって、この時代の新しい協和を創ろうとしているのかはわからない。そんなことが可能なのかも不明だ。しかし、その意志と蛮勇は讃えなければいけない。まだ見ぬ協和のためにも。
文:沼野雄司
(ぶらあぼ2018年11月号より)

2018.11/30(金) 19:00 サントリーホール
※18:20よりプレコンサート・トークあり
問:サントリーホールチケットセンター0570-55-0017 
http://suntory.jp/HALL/