追悼ピエール·ブーレーズ 1925-2016

In Memoriam Pierre Boulez 1925-2016

 20世紀後半以降を代表する最大の作曲家・指揮者として偉大な功績を遺したピエール・ブーレーズ氏が1月5日、ドイツ、バーデン=バーデンの自宅で死去した。享年90。この日は奇しくも、盟友マウリツィオ・ポリーニの誕生日だった。 
(文:ぶらあぼ編集部)

©Jörg REICHARDT/DG

©Jörg REICHARDT/DG

 ブーレーズ氏は1925年フランス生まれ。パリ国立音楽院で作曲家メシアンに師事、40年代にはその門下として頭角を現しはじめ、50年代には「ル・マルトー・サン・メートル(主のない槌)」「プリ・スロン・プリ」などの傑作を次々と発表。ドイツのシュトックハウゼン、イタリアのノーノと共に「前衛三羽烏」と呼ばれ、同時代における代表的な作曲家としての名声を不動のものとした。この時期の作曲スタイルは「トータル・セリエリズム」の確立、そして「管理された偶然性」の導入で知られる。 

 当初、自らの作品を披露するために始めた指揮活動は、60年代からは他分野にもおよび、71年にはニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督とBBC交響楽団の首席指揮者に就任した。76年にはバイロイト音楽祭100周年記念公演で、ワーグナー《ニーベルングの指環》全曲(演出:故・パトリス・シェロー)を指揮、後世に残る名舞台として評価され、その後のワーグナー演奏の指標ともなった。 

 70年代半ばには、第19代フランス大統領ジョルジュ・ポンピドゥーの指導の下、ポンピドゥー・センターの関連組織としてパリにIRCAM(音響と音楽の探究と調整の研究所)を設立、76年、責任者として所長に就任。同時にそこでの作曲研究を実践としてかたちにするため、精鋭ソリストからなる合奏団、アンサンブル・アンテルコンタンポラン(のちに現・東京交響楽団音楽監督のジョナサン・ノットも音楽監督を務めた)も創設、初代音楽監督に就任、現代音楽の潮流を創った。

 92年には、ザルツブルク音楽祭のコンポーザー・イン・レジデンスとしてアンサンブル・アンテルコンタンポラン、ウィーン・フィル他を指揮し、大きな話題を呼んだほか、その後もシカゴ響、ベルリン・フィル、ウィーン・フィルなどの定期演奏会にも数多く出演した。 

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 IRCAMの電子音響技術(「4X」と名付けられた特殊なハードウエア)を応用し、空間的、時間的な様々な位相を伴う別々の周期パルスを組み合わせる様式で書かれた代表的な作品が、「6人のソリスト、室内オーケストラとライヴ・エレクトロニクスのための『レポン』(1981-84)」で、95年、5月18日から6月1日にかけて東京で開催された『ピエール・ブーレーズ・フェスティバル in 東京 1995』でも披露された。 

 

 

 同フェスティバルには、ブーレーズ氏のほか、ポリーニ、ジェシー・ノーマン、マイケル・ティルソン・トーマス、ダニエル・バレンボイム、ギドン・クレーメルら、錚々たるアーティストが参加、ブーレーズ氏自らも13公演中8公演(ロンドン響、シカゴ響、N響、アンサンブル・アンテルコンタンポラン)を指揮、著名な音楽評論家の故・吉田秀和が「今世紀後半を代表する一人の音楽家が到達した精神的均衡の美しさ」(朝日新聞1995年5月24日夕刊)と評するなど、質・量ともに空前絶後の演奏を披露、わが国における“現代音楽受容”にも一石を投じた。 

【CD】シェーンベルク:交響詩《ペレアスとメリザンド》他(ユニバーサルミュージック/DG UCCG-1568)

【CD】シェーンベルク:交響詩《ペレアスとメリザンド》他(ユニバーサルミュージック/DG UCCG-1568)

 その後も、2002年に『ポリーニ・プロジェクト 2002 in 東京』にロンドン響と参加、03年にはグスタフ・マーラー・ユーゲント・オーケストラと来日し指揮、本公演の一部はCDリリースされている(シェーンベルク:交響詩《ペレアスとメリザンド》他 ユニバーサル/DG UCCG-1568)。 

 13年にはドイツ・グラモフォン(DG)がDGの録音だけでなく、エラートやハルモニア・ムンディ・フランスなどの音源も使用し、自作全てを収録した13枚組CD『Pierre Boulez – Complete Works』(直輸入盤・完全限定盤、DG 480-6828)を、15年には、生誕90年を記念して同じくDGがブーレーズ指揮の自作を含む音源をまとめた44枚組CD『20世紀音楽の芸術 Boulez 20th Century』(直輸入盤・完全限定盤、DG 479-4261)をリリースした。 

 第1回高松宮殿下記念世界文化賞音楽部門(1989年)、第25回京都賞(思想・芸術部門、2009年)を受賞。 

 なお、2013年に『ircam×東京春祭 〜フランス発、最先端の音響実験空間』としてブーレーズ作品を紹介した東京・春・音楽祭では今年4月、ポリーニのプロデュースによる公演『ポリーニ・プロジェクト ベリオ、ブーレーズ、ベートーヴェン』を開催する(4/14、4/15 東京文化会館(小))。

ピエール・ブーレーズ・フェスティバル in 東京 1995でのパーティの様子。 前列左より)マウリツィオ・ポリーニ、梶本眞秀、ピエール・ブーレーズ、ジェシー・ノーマン  写真提供:KAJIMOTO

ピエール・ブーレーズ・フェスティバル in 東京 1995でのパーティの様子。 前列左より)マウリツィオ・ポリーニ、梶本眞秀、ピエール・ブーレーズ、ジェシー・ノーマン 
写真提供:KAJIMOTO

◆「ピエール・ブーレーズ・フェスティバル」を開催したKAJIMOTO(旧・梶本音楽事務所)代表取締役社長・梶本眞秀さんからのメッセージ
「マサ(梶本眞秀さんの愛称)、クラシックはこのままでは滅んでしまうだろう。あまりにも定番化、固定化されすぎていて、革新がない。音楽をプレゼンテーションする方法はもっと多様であるべきだ。その可能性を切り拓いていかないと、クラシックは過去の遺物になってしまうだろう」 
 1995年に東京で開催した「ピエール・ブーレーズ・フェスティバル」でブーレーズが私に語りかけてきたこの言葉が「梶本音楽事務所」から「KAJIMOTO」に社名を変えた大きなきっかけのひとつでした。 
 彼の言葉が胸に突き刺さり、私は社名を変え、パリにリエゾン・オフィスを設立し、そこからシャトレ座との共同プロジェクトが始まり、さらにはラ・フォル・ジュルネという音楽祭に出会いました。 
 私にとってブーレーズはメンター(人生における助言者・心の支え)であり、今の私のヴィジョン、指針の元となるきっかけを作ってくれた恩人です。 
 ピアニストのポリーニは、ブーレーズのやろうとしていたことを受け継ごうとしています。ブーレーズがポリーニの誕生日に亡くなった、というのは単なる驚きだけでなく、とても強い運命の力を感じずにはいられません。 
 もう一つ注目すべき点は、彼が優れた音楽家であるだけなく、政治的にも長けている人だったということ。彼がいたからこそ、シテ・ドゥ・ラ・ミュージック、アンサンブル・アンテルコンタンポランが生まれ、フィルハーモニー・ドゥ・パリが建設されたのも彼のアイディアによるところが大きかったと思います。ああいった音楽家でありながら、国や人を動かすことができたのも、彼の優れた才能だったのではないでしょうか。 
 今後ポリーニをはじめ、ブーレーズに影響を受けた多くのアーティストやプロデューサー、マネージメントなどが彼の意志をきっと継いでくれることでしょう。
(ぶらあぼ + Danza inside 2016年2月号より)

ピエール・ブーレーズをしのんで
2月1日(月)【1月31日(日)深夜】午前0時20分〜3時45分 NHK BSプレミアム

追憶のブーレーズ〜現代音楽の巨匠をしのぶ〜(0:20:00〜0:32:30)
【出演】野平一郎(作曲家・ピアニスト)
    藤倉大(作曲家)
ブーレーズ IN ルツェルン(0:32:30〜1:44:30)
【演奏】(管弦楽)ルツェルン音楽祭アカデミー管弦楽団(指揮)ピエール・ブーレーズ
【収録】2009年9月3日、10日 ルツェルン文化会議センター コンサートホール
【曲目】ドビュッシー:遊戯
    ブーレーズ:ノタシオン オーケストラ版から
         :レポン

ピエール・ブーレーズ指揮グスタフ・マーラー・ユーゲント管弦楽団演奏会(1:44:30〜3:45:00)
【演奏】(管弦楽)グスタフ・マーラー・ユーゲント管弦楽団(指揮)ピエール・ブーレーズ
【収録】2003年4月21日 サントリーホール
【曲目】ベルク:管弦楽のための3つの小品 作品6
    ウェーベルン:管弦楽のための6つの小品 作品6
    マーラー:交響曲第6番イ短調〈悲劇的〉