アリス=紗良・オット(ピアノ)

©Marie Staggat/DG
©Marie Staggat/DG
 2008年のデビュー以来、常に新しさへの挑戦を厭わず、同時に自らの立脚点を見失うこともなく、その音楽的な軸を着実に磨き上げているアリス=紗良・オット。14年にはフランチェスコ・トリスターノとのデュオアルバム『スキャンダル』で話題の的となり、今年のソロ・リサイタルでは彼女の音楽的原点とも言えるJ.S.バッハやベートーヴェンと改めて向き合って作品への眼差しを深めた。そしてこの秋、アリスはもう一度、自らの出発点ともいえる協奏曲へと立ち返り、メタレベルから自分の演奏を捉え直そうとしている。チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を、アンドレス・オロスコ=エストラーダ指揮、フランクフルト放送交響楽団と共演するのだ。
「実は、この作品からしばらく距離を置いていました。17歳の時にコンサートで初めて演奏して以来、世界中のオーケストラと毎月のように演奏し続け、この10年間で70〜80回は弾いてきましたね。そこまで弾き込むと、森の隅々まで知り尽くしながらも、森全体の形がよく見えなくなるような、そんな感覚を抱くようになりました。あまりに頻繁に弾き続けますと、昔からの弾き方を続けてしまい、それが耳にも記憶にも定着してしまいます。それを恐れて、しばらくはこの作品から離れることを選んできたのです。最後に弾いたのはトロントでの演奏会なので、1年ほど前ですね」
 そんなチャイコフスキーの作品に、改めて向き合うことを決めたアリス。どのような想いがあっての決断なのだろうか。
「再び演奏しようと決めたのは、なにか特別なものを作り上げようという気持ちからではありません。その森を、やはり全体像として改めて俯瞰してみたいと思うようになり、それをお客様にお見せできればと思ったのです。また、自分自身の演奏を、第三者のような耳で聴けるようになりたいという思いもあります」
 よく知られる名曲だけに、「皆さんそれぞれの曲のイメージがあるでしょうから、冒頭を弾き始めるのがもっとも難しい」と語る。アリスにとって一番思い入れがあるのは第3楽章だ。
「かつてロシアのカーメンカという村にあるチャイコフスキーの博物館を訪れ、本人愛用のピアノを弾かせていただいたことがあります。その時に館長さんから、第3楽章に現れる旋律はウクライナの民謡なのだと教えてもらいました。実際、ウクライナの人たちがその民謡を歌うのを聴いたらメランコリックな響きがしていました。以来、私は第3楽章を弾くときはその民謡を歌いながら演奏しています。ただ元気に勢いよく弾くだけでなく、もとの民謡が持っていた哀愁を感じながら弾きたいのです」
 77年コロンビア生まれの指揮者、オロスコ=エストラーダとは初共演となるが、フランクフルト放送響とは桂冠指揮者のパーヴォ・ヤルヴィとともにリストやラヴェルのピアノ協奏曲を共演してきた。
「とても綺麗な音色を持ち、温かみのあるオーケストラですね。幅広い年齢層の、さまざまな国籍の楽員で構成されています。協奏曲ではピアノとオーケストラとの掛け合いがありますが、ピアノが伴奏にまわるとき、ソロ・パートの楽器奏者に目線を送ると、きちんと目線を返してくれるので嬉しいですね。息が合っていることを実感できます。以前、彼らの日本ツアーでご一緒したときは、皆さんと一緒に焼き肉を食べに行ったり、カラオケにも行きましたよ。クラシックの音楽家は割と幅広いジャンルの音楽を聴いていますから盛り上がりましたね(笑)。彼らと再会できるのが楽しみです」
 ソロ・リサイタル、室内楽、協奏曲と幅広いコンサートをこなすアリスだが、「その日のホール、ピアノ、お客様によって響きは変わります。その瞬間に相応しい音を探し出すのが奏者の務め。それは結局ソロでもアンサンブルでも、私にとっては変わらない」と迷いなく語る。アリスの“新・チャイコン”に、期待が膨らむ。
取材・文:飯田有抄
(ぶらあぼ + Danza inside 2015年11月号から) 

アンドレス・オロスコ=エストラーダ(指揮)
フランクフルト放送交響楽団
アリス=紗良・オット(ピアノ)
グリンカ:歌劇《ルスランとリュドミラ》序曲
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番 ベルリオーズ:幻想交響曲
11/18(水)19:00 サントリーホール
問:ジャパン・アーツぴあ03-5774-3040 
http://www.japanarts.co.jp

他公演
11/14(土)ハーモニーホール座間(046-255-1100)
11/19(木)東京芸術劇場 コンサートホール(0570-010-296)
フランクフルト放送交響楽団の来日公演の詳細は(http://www.japanarts.co.jp)でご確認ください。