高坂はる香のワルシャワ現地レポート 第3回
取材・文:高坂はる香
ショパンコンクールは2次予選がスタートしたところですが、今回のこのステージの課題曲、ちょっとクセが強いので、一旦ここで内容を整理してご紹介したいと思います。
まず、各人の演奏時間は40~50分。これは前回よりも10分長く、40名ものコンテスタントが、いわば普通のリサイタルの前半まるまるかそれ以上のプログラムを演奏することになります。そのため客席に座って聴いていると、体感として「長いな」という印象をどうしても受けてしまうこともしばしば。ただし稀に長いと感じない時もあるので、これこそが音楽の不思議です。
このステージで必須の課題となっている作品は、下記の通り。残りは自由に選んで、時間内に収めることになります。
◎「24の前奏曲」op.28から、no.7-12、no.13-18、no.19-24のいずれか6曲
◎「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」op.22、「ポロネーズ」op.44、「ポロネーズ」op.53、「ポロネーズ」op.26 no.1&no.2…からひとつ
最初にこの課題を見たときに思ったのが、例えば「雨だれ」のような作品を1曲弾くとかなら良いけれど、「24の前奏曲」の1ブロックだけを弾くのって不完全な感じがしないのだろうか、ソナタを1楽章だけ弾くみたいな感覚にならないのだろうか、ということです。
そこで、その時たまたま会った、とあるピアニストに尋ねてみたら、「言っていることはわかるけど、自分は一部だけ弾くのもおもしろいと思える。プレリュードの一部を弾くということはリヒテルもやっていたし、自分的にはアリ。むしろソナタを1楽章だけ弾くほうが、断然気持ち悪い」とのことでした。
とはいえ、「24の前奏曲」は全部弾いてこそ!と感じるピアニストは、時間的に、残りのプレリュードを演奏して24曲全部を演奏する選択も可能です。
ただしその場合、残り時間は必須のポロネーズを弾くとうまってしまうので、いわばこれらの「2ジャンル」で、自分の全てを見せなくてはならなくなります。
そして今回、40名の2次予選進出者のうち、10名が「プレリュード全曲を弾く」という選択をしています。
2次予選の初日の10名のなかで、この「24の前奏曲」全曲を弾いたのは3名。実際に聴いて、現時点で感じているのは、「我こそは24の前奏曲で全エモーション表現できます!しかも絶対飽きさせません!」という人でないと、選ぶのは少しリスキーかもしれないということ。
3次予選くらいまで絞られてきたあとなら別ですが、まだ40名のコンテスタントがいる中なので、審査員も、個性と能力を判断する要素ができるだけほしいでしょう。さらに2人連続でトータル演奏時間約35分の「24の前奏曲」が続いたりすると、聴くほうもかなりの集中力が求められます。
ただし逆に言えば、それでも最初から最後まで飽きさせない、個性や信念の伝わる演奏をすれば、かなりの好印象が与えられるということになります。
一方でこの「24の前奏曲から1ブロック6曲だけ」を弾くことにした場合、どの部分を選ぶのか、プログラムのどこにはさむのかに、かなりセンスが表れると感じます。
プレリュードの真ん中のパーツを、プログラム全体の真ん中に置くというのもありでしょう。もしくは、最後のパートを選んでプログラムの最後に置くのもありかもしれません。逆に「第24曲」のあの絶望的な3つの低音を打ち鳴らしたあと、そのままさらに絶望的な何かを弾くという手法もありかもしれません。
ちなみに初日の最後に演奏したガオ・ヤン Yang Gaoさん(中国)は(1次予選でもとても個性的な演奏をして印象に残っています)、まず「24の前奏曲」を全曲を演奏しましたが、通常拍手なしで全プログラムを弾く決まりになっているところ、「第24曲」を弾き終えておもむろに立ち上りました。

まさかポロネーズを弾かずに忘れて帰ってしまうのではないかと一瞬心配になりましたが、無事、ピアノのもとに戻って弾いてくれたので安心しました(若干、プレリュードでやり切って緊張の糸がきれたかなという感じもありましたが)。…ただ、プレリュード全曲を弾き終えたら、立ち上がって拍手を受けたくなるのは、自然な感情だろうなと思いました。
一方で、プレリュードを6曲にしておけば、時間的にかなりゆとりがあるので、自由曲としてさまざまな選択が可能です。
初日で特に印象に残ったのは、まず、滅多に演奏されることのないピアノ・ソナタ第1番を演奏したチャン・カイミン Kai-min Changさん(台湾)。彼ほどの鮮やかなテクニックで弾かれると、「ショパンの習作」と言われることの多いこのソナタも、とてもチャーミングに聴こえます。

気になるのは、これが師匠で審査員のダン・タイ・ソンさんレコメンドの選曲だったのかな?というところ。(実は、ソン先生はコンクールの選曲についてかなり戦略的なアドバイスをするタイプとのうわさ)
もう一人はやはり、エチュード op.10全曲を選んだ、ケヴィン・チェン Kevin Chenさん(カナダ)です。op.10のどの曲も他のステージで弾かないように避け、ここで全部を入れてくる。緊張のコンクールのステージでも完璧に弾ける自信があるからこその選択でしょう。
その信じ難いほどのスピードで軽やかに駆け抜けるエチュードの数々に、聴きながら、「あとで配信の映像で一体指がどうなっているのか確認しないと」と思ってしまいました。

もちろんエチュードは速く弾けばいいというものではありません。でも審査員の先生たちの脳裏に、「審査員の中に、彼のよりうまく弾ける人はいるだろうか」という、かつてショパンコンクールで審査員をつとめたルービンシュタインが、ポリーニが現れたときに言ったという言葉がよぎったのではないかなと思わずにいられませんでした。もっとも、この後ケヴィンに対して審査員がどんな評価を下すのかはわかりませんが。
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ところで今回、2次予選の演奏を前に、NIFC(ショパン研究所)主催のリサイタルで、希望者が次のプログラムを演奏する場が用意されていました。これらはワルシャワ市内のホールを会場に、普通に有料の公演として開催されています。
先日、牛田智大さんもこの企画に参加するということで、コンサートを覗いてまいりました。
会場は、豊田泰久さんが音響設計を手がけた新しいホールだというNowa Miodowa。客席がかなり急勾配でびっくりしましたが、視界も音響も良い感じです。

そしてさすがショパンコンクール、「1次予選に出場したコンテスタントの演奏会」という雰囲気は越えていて、満席の聴衆が見守る中で行われる普通のプロの演奏会の雰囲気…ただ演目がコンクールの2次予選の内容だというのが、少し独特です。牛田さんも非常に集中力の高い演奏を聴かせていて、会場からは長い長い拍手と歓声が送られていました。

終演後、ヴァイオリンとピアノを勉強している学生だという2人のポーランドの若者たちが、「僕たちはもうすっかりウシダの大ファンになった! 彼の演奏に心を動かされた」といって、一緒に写真を撮ってほしいと頼んでいました。(一見、牛田さんが若いおにいちゃんたちに絡まれているように見えなくもないのがおもしろいですが)

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長いと思っていたコンクールも、すでに3分の1が終了。ここからどんな名演が聴けるのか、そして、3次、ファイナルには誰が進出するのか。楽しみに見守りましょう。
Chopin Competition
https://www.chopincompetition.pl/en
【Information】
第19回ショパン国際ピアノ・コンクール2025 優勝者リサイタル
2025.12/15(月)19:00 東京オペラシティ コンサートホール
2025.12/16(火)19:00 東京芸術劇場 コンサートホール
第19回ショパン国際ピアノ・コンクール 2025 入賞者ガラ・コンサート
2026.1/27(火)、1/28(水)18:00 東京芸術劇場 コンサートホール
2026.1/31(土)13:30 愛知県芸術劇場 コンサートホール
出演
第19回ショパン国際ピアノ・コンクール入賞者(複数名)、アンドレイ・ボレイコ(指揮)、ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団
他公演
2026.1/22(木) 熊本県立劇場 コンサートホール(096-363-2233)
2026.1/23(金) 福岡シンフォニーホール(092-725-9112)
2026.1/24(土)大阪/ザ・シンフォニーホール(ABCチケットインフォメーション06-6453-6000)
2026.1/25(日) 京都コンサートホール(ABCチケットインフォメーション06-6453-6000)
2026.1/29(木) ミューザ川崎シンフォニーホール(神奈川芸術協会045-453-5080)


高坂はる香 Haruka Kosaka
大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動。雑誌やCDブックレット、コンクール公式サイトやWeb媒体で記事を執筆。また、ポーランド、ロシア、アメリカなどで国際ピアノコンクールの現地取材を行い、ウェブサイトなどで現地レポートを配信している。
現在も定期的にインドを訪れ、西洋クラシック音楽とインドを結びつけたプロジェクトを計画中。
著書に「キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶」(集英社刊)。
HP「ピアノの惑星ジャーナル」http://www.piano-planet.com/




