
ドニゼッティの《愛の妙薬》は、すぐれた演奏に出会うと飛び切りの感銘を受ける。牧歌的で明るいが、少しホロリとさせられる恋物語、という説明を超えて、もっと深いなにかを突きつけられる。たとえば、全国共同制作オペラでこの作品を指揮する、ベルカント・オペラのスペシャリストとしても名高い、セバスティアーノ・ロッリならどう深めるだろうか。インタビューすると、《愛の妙薬》の「凄味」が幾重にも語られた。
ドイツ音楽から学び始めたロッリは当初、イタリア・オペラは音楽として通俗的だと誤解していたという。だが、音楽院の師匠の導きで見方が変わった。
「イタリア・オペラがドラマとして魅力的なのも、音楽の構造が複雑で深いからだと知らされ、楽譜の研究を始めました。強いインパクトも、登場人物の心理的な深さも、みな音楽の構造によるものでした」
徹底して音楽的な書法を探求してきたロッリから見て、《愛の妙薬》はどんなオペラだろうか。
「ナポリで生まれたオペラ・ブッファ(喜歌劇)はエゴや意地悪が皮肉を込めて描かれ、観客が登場人物に同化し、一緒に悲しんだり喜んだりできるものではありませんでした。ところがドニゼッティは、《愛の妙薬》でブッファを大きく前進させました。主役のネモリーノは農夫で、庶民です。でも、過去に描かれた庶民と違い、人間として深く造形され、控えめで貴族のように品位があります。そのことは音楽でも表現され、彼のアリアは、それまで女王のための楽器だったハープに導かれます。ドニゼッティはこうしてブッファの枠を破り、音楽を介して、庶民に貴族と同じ感情があると示したのです」
音楽面の先進性をさらに語ってもらう。
「喜劇とロマン派叙情劇とのバランスが絶妙です。薬売りのドゥルカマーラは、早口言葉など古典的なブッファの音楽で描かれますが、ネモリーノとアディーナはロマンティックで、深い感情をいだき、美しいメロディを歌います。すごいのは第1幕フィナーレ。ネモリーノはアディーナに、結婚を1日延ばしてほしいと哀願しますが、彼女の婚約者ベルコーレに遮られます。そこでアディーナはベルコーレの怒りを鎮めようとしますが、彼女はネモリーノの旋律でベルコーレに訴えるのです。ドニゼッティはここでネモリーノとアディーナを同じ音楽で結び、誰と誰が結ばれるかを予言するのです」
そんな高度な音楽的仕掛けが、随所に凝らされていると語る。
信頼を寄せるセルジオ・ヴィターレ(ドゥルカマーラ博士)以外、高野百合絵(アディーナ)、宮里直樹、糸賀修平(以上ネモリーノ)らとは初共演だが、ドニゼッティの音楽が活きるように、全員が軽やかに柔らかく歌うように求めるという。また、現代に通用する「普遍的な物語」だからこそ、杉原邦生のオペラ初演出にも期待を寄せる。
「いま世界中で分断が起き、戦争も止みません。《愛の妙薬》がそんな状況を解決するツールとまでは言いませんが、1832年に庶民の貴族性に気づき、それを表現して観客の共感を生んだこの作品が、現代をよりよく生きる一助になれば、と願います」
取材・文:香原斗志
(ぶらあぼ2025年9月号より)
2025年度 全国共同制作オペラ ドニゼッティ:歌劇《愛の妙薬》新制作(全2幕、イタリア語上演/日本語・英語字幕付き)
2025.11/9(日)14:00 東京芸術劇場 コンサートホール
問:東京芸術劇場ボックスオフィス0570-010-296
11/16(日)14:00 フェニーチェ堺 大ホール
問:フェニーチェ堺072-223-1000
2026.1/18(日)14:00 ロームシアター京都 メインホール
問:ロームシアター京都チケットカウンター075-746-3201
https://rohmtheatrekyoto.jp/lp/the-elixir-of-love2025/
※配役などの詳細は上記ウェブサイトでご確認ください。

香原斗志 Toshi Kahara
音楽評論家。神奈川県生まれ。早稲田大学卒業、専攻は歴史学。イタリア・オペラなどの声楽作品を中心にクラシック音楽全般について執筆。歌声の正確な分析に定評がある。日本ロッシーニ協会運営委員。著書に『イタリア・オペラを疑え!』『魅惑の歌手50 歌声のカタログ』(共にアルテスパブリッシング)など。歴史評論家の顔もあり、近著に『お城の値打ち』(新潮文庫)。

