亀井聖矢が語るコンクールとこれから

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2025 高坂はる香のピアノコンクール追っかけ日記 from ブリュッセル6

取材・文と写真:高坂はる香

 エリザベート王妃国際コンクール ピアノ部門で第5位に入賞、「これで国際ピアノコンクールへの挑戦は最後にする」として、音楽家としてまた新しい一歩を踏み出した亀井聖矢さん。

エリザベート王妃国際コンクールの表彰式より ©Thomas Léonard

 セミファイナル最終日の5月某日。モーツァルトのピアノ協奏曲の演奏を終えたばかりの彼は、夜にファイナリストの発表が控えているという緊張していてもおかしくない状況でありながら、すでにどこか晴れ晴れとした表情を浮かべていました。それは1週間前、1次予選の演奏直後に見せていた表情とは、明らかに違うものだったように思います。

 亀井さんは今回、4月末にショパン国際ピアノコンクールの予備予選に挑み、その結果発表を経てすぐにエリザベートコンクールの舞台に立つことになりました。ショパンコンクールの結果が望むものでなかったことで、一時はかなり落ち込んだようですが、そこから数日で気持ちを立て直し、エリザベートコンクールではのびのび自分の音楽を奏で、それが聴衆や審査員に受け入れられたことで、また前向きな気持ちを取り戻していたように見えました。

 そもそも亀井さんは、2025年にはエリザベートコンクールとショパンコンクールに挑戦しようと、ロン=ティボーコンクール(2022)に優勝する以前から考えていたといいます。
 一般的に国際コンクールは、演奏活動の場を広げるため、キャリアやスキルを飛躍させるために受けるという若者が多いなか、すでに全国を巡るリサイタルツアーを行う多忙な彼がコンクールに挑んだ背景には、どんな想いがあったのでしょうか。また、このスケジュールで二つのコンクールに挑むにあたり、どんな心境を経験し、乗り越えてきたのでしょうか。
 そして最も大切なこと。亀井さんは、アーティストとしてこの先のご自身にどんな可能性を見出し、どちらの方向に進もうとしているのでしょうか。

 これはまだエリザベートコンクール第5位入賞という最終結果が出る以前の段階で、亀井さんが感じている自分と音楽の関係について語ってくれたお話です。

*****

—— コンクールという場でモーツァルトのピアノ協奏曲を演奏して、いかがでしたか?

亀井 本番に向けて、繊細なニュアンスや音の立ち上がり、多様な変化を持たせるためにどうしたらいいかを考え、また最初に作品を見たときどう感じていたかを思い出して見直すということをしながら、準備をしていきました。頭で考えているだけでは流れがつかめないので、ここ数日は通して弾きながら、自分の体と頭を紐づけることに時間を費やしました。
 実際の本番では自然なテンポを感じながら前進していくような演奏になって、その緊張感が自分の集中力を引き出してくれたように思います。
 オーケストラがとても音楽的で、それを聴きながら自分もノッてくる感覚がありました。指揮者のヴァハンさんも嬉しそうにしてくださっていて、すごく楽しかったです!

セミファイナルではモーツァルトのピアノ協奏曲第15番変ロ長調を演奏
©Thomas Léonard

—— セミファイナルまでの演奏が終わったところですが、ここまでを振り返っていかがですか? ワルシャワでショパンコンクール予備予選のステージに立ち、そのままブリュッセルに来て、エリザベートコンクールが開幕してから結果を見ることになりました。その後、気持ちを立て直して1次予選に臨む必要があったのですよね……。

亀井 そうですね。“どんな結果でもコンクールの評価がすべてではないのだから落ち込まないようにしよう”と思っていたのですが、実際に結果を知ったら、正直、すべてが覆ってしまったような気持ちになりました。
 ショパンコンクールについては、自分なりに、今までにないくらい時間を費やして一生懸命頑張って準備をしてきたつもりだったので、それがうまく出力されず評価もされなかったことで、悔しいというよりは、報われない努力だったと感じてしまったのです。
 ただ、結果が否定されるとその過程のすべてが良くなかったと思いがちですが、そうではなく、思い返してみれば、勉強して、自分が成長していく感覚が楽しかった瞬間もたくさんありました。得たものも大きかったと思います。
 今改めてショパンコンクールの予備予選当日とそこまでの数日間のことを思い出すと、緻密に準備をすることと、自由に音楽を生み出すことのバランスが、なんとなく噛み合わなくなっていったような気がしています。それは、準備に集中するためコンサートを入れていなくて久しぶりの本番になっていたことや、自分が思っている以上にプレッシャーを感じ、期待を背負っている気持ちになっていたことが原因だったのかもしれないと気づきました。
 結果発表の数日後にはエリザベートで弾くことになるのがわかっていましたから、その意味でも、予備予選に通過した状態でいなくてはと思っていたところがあったのでしょう……自分では思っていないつもりでしたが。
 でも正直なところ、ここで結果へのプレッシャーから真に開放された感覚もありました。おかげでエリザベートでは、今演奏している音楽だけに集中できるモードになれたと言えるかもしれません。

ファイナルではサン=サーンスのピアノ協奏曲第5番「エジプト風」を披露
©Thomas Léonard

—— 確かに、ショパンコンクールは予備予選から10月の本大会まで、まだ長いですもんね。

亀井 そうなんです。その意味では、このタイミングでコンクールから開放されて、フラットに自分が「やりたいこと」と改めて向き合い直す機会を与えてもらったのかなとも感じています。
 もちろん、この結果を受けて、いろいろなことを言う方もいます。でも、それだけ注目していただけるのはありがたいことですし、すべてがいい経験だと思えるようになってきたところです。

—— そもそも、そんなプレッシャーのあるコンクールという場に挑戦することにしたのは、なぜなのでしょうか。

亀井 コンクールは、注目してもらうきっかけになる場です。だからもちろん、コンクールがすべてでもゴールでもなく、そこからコンサートを積み重ね、演奏を聴いてもらう場を増やしていくことが目的です。
 その意味で今の僕には、コンクールに縛られず、演奏活動を地道に着実に積み重ねていくほうの選択肢もあったことはわかっていました。ただ、挑戦したかったんです。自分の音楽をまったく新しいステージで届けて、それが新しいお客様や審査員にどう受け取られるのか、試してみたかった。挑戦しないという選択はありませんでしたし、同時にここを最後にしようとも決めていました。

©Alexandre de Terwangne

—— この4月、5月は亀井さんのキャリアにとって一つの区切りになりそうですね。

亀井 そうですね。これからは作曲にも集中して取り組みたいですし、そのための勉強の時間もたっぷり取りたいです。僕は作曲だったり謎解きだったり、昔から何かを創作するのがすごく好きで。
 自分が好きな作品を演奏してたくさんの方と共有することに加えて、自分の作品を届けていくことにも力を入れていきたいと思っています。

—— いわゆるクラシック界の“世界的コンサートピアニスト”という方向を目指しているわけではないということですよね?

亀井 はい。よく演奏しているレパートリーにも表れているかもしれませんが、僕は、音楽から生まれる強いエネルギーのようなものを伝えられる作品が好きです。
 いわゆるクラシックのジャンルの音楽には、そういうシンプルな楽しみ方ができるものもありますが、それだけでなく、もっと深い楽しみ方が求められるものもあります。でもそれは、聴き手に“素養”や“理解力”がある前提で成り立つ部分がありますよね。歴史、文化、言語や時代背景を知っていることで、改めて説明しなくてもわかる人にはわかる、というような。オペラなどは良い例で、多くの日本人にとっては外国語の歌でストーリーが進められるのですから、万人が簡単に親しむには少し難しいと思われるのはやむを得ないでしょう。
 僕は子どものころから、そういうすべてのことをすんなりと“わかってきた”側の人ではないので、だからこそ、もっと別のアプローチはないだろうか、今の人たちにもっと伝わる方法を考え出すことはできないかなと。

—— でも、ポップスとはまた別の形でということですよね?

亀井 そうですね。僕が模索しているのは、まだ具体的なものはなにも見つかっていないですけれど、例えば大好きな謎解きやストーリーを考えることと組みあわせることで何かができるのではないかとか……。斬新な作曲技法を編み出すというような話ではなく、聴きやすさを保ったなかで、文脈の作り方を変えることによる新しい音楽の見せ方のようなものが、もう少し腰を据えて勉強していったら見つかるような気がしているのです。

—— そうすると、ショスタコーヴィチとかジョン・ケージあたりを研究するとか? 謎解き音楽の先輩みたいな気がしますけれど。

亀井 研究対象としておもしろそうですね。ショスタコーヴィチのような響きも好きですし! 
 逆に古典派のベートーヴェンのシンフォニーの楽譜も、そういう意識で分析してみることはすごく楽しいんです。今では当然のものとなった音楽の構成が、当時の人々を楽しませるために生み出された行程を考えるという、もう一歩根源に立ち返るみたいなことには関心があります。
 そうやってこれからもっと勉強していけば、思いつくことも増えていくのではないかなと。
 コンクールの結果によっては、また勉強と演奏活動の時間配分のコントロールに気を使わないといけなくなるかもしれませんが、いずれにしても今は、自分のやりたいものと、求められるもののバランスを考えながら、長い目で人生をもう一回設計し直す時期に来たと思っています。

*****

 コンクールは一つの通過点にすぎないし、結果はその時の運も大きく左右するもの。頭ではわかっていても、結果が好ましくなければ、自分の音楽が否定されたと感じてしまうこともあるかもしれません。
 
 一つの答えのない世界で懸命に自分なりの音楽を模索し、コンクールの結果や他人の評価がすべてでないとわかっていても傷つき、自分で自分がわからなくなる瞬間もあるかもしれません。でもそれを乗り越え、次に進んでいくことを決心する。そこには、アーティストそれぞれにしかわからない信念や葛藤があると思います。だからこそ、その先に生まれるものが千差万別になるし、時に人の心を動かすエネルギーを発するのでしょう。

 亀井さんがこの先どんな音楽を生み出して私たちに届けてくれるのか……もしかしたら音楽にとどまらない何かを爆誕させることになるのかもしれませんが、彼の無限の可能性に期待しましょう!

高坂はる香 Haruka Kosaka
大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動。雑誌やCDブックレット、コンクール公式サイトやWeb媒体で記事を執筆。また、ポーランド、ロシア、アメリカなどで国際ピアノコンクールの現地取材を行い、ウェブサイトなどで現地レポートを配信している。
現在も定期的にインドを訪れ、西洋クラシック音楽とインドを結びつけたプロジェクトを計画中。
著書に『キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶』(集英社刊)。
HP「ピアノの惑星ジャーナル」http://www.piano-planet.com/