今年7月、兵庫県立芸術文化センターで《蝶々夫人》の表題役を歌い、観客総立ちの大喝采を浴びた迫田美帆。サントリーホールのオペラ・アカデミーでは研修中から逸材と感じていたが、ここ2年ほどで著しく成長した。課題の弱音もいまや完璧に制御され、表現が変幻自在になった。
「舞台に立つと緊張はしますが、それ以上に集中できました。お客さんが熱心に観てくださるのを感じながら、相乗効果で役に入り込めました」
兵庫での感想をそう語る。だが、声の強弱や高低を問わず均質に響き、役を輝かせる理想の楽器を、迫田はいつの間に手に入れたのか。
「昨年からアメリカで暮らしていて、サンフランシスコやヒューストンの劇場でオペラを観る機会がありました。そこですぐれた歌手の声を聴くと、どんな広い空間でも同じように声と言葉が届いて、大きな声が飛ぶのとは違う響き方をしています。それからは空間での声の飛ばし方、言葉の届き方を工夫し、ほかの歌手の聴き方も、勉強する際の意識のし方も変わりました」
こうして一皮むけた迫田が11月に挑むのが、藤原歌劇団創立90周年記念公演・NISSAY OPERA 2024として新制作上演される、ドニゼッティの後期の傑作《ピーア・デ・トロメイ》の表題役である。政略結婚で嫁いだ相手に一途な愛を捧げながら、嫉妬や誤解のせいで悲劇的な最期を迎えるピーア。ベルカント・オペラの心躍らされる歌唱美と、骨太で劇的な表現が融合した魅力的な役柄だ。
「ドニゼッティのオペラを通して歌うのははじめてですが、この役は全体として無理なく歌えて、フレーズも作りやすい。いまの私の持ち味を発揮できる作品だと思います。蝶々さんなどと違うのは、(小さな音符の連なりを敏捷に歌う)アジリタがある点ですが、個人的にはアジリタは好きなんです」
この7月、ローマに行き、師匠のジュゼッペ・サッバティーニのもとで訓練を積んできた。
「《トスカ》も聴いてもらい、そのあとで《ピーア・デ・トロメイ》を歌ってもハイDまでちゃんと出せる状態だったので、“いい調子で歌えている”といわれました」
だが、この役は感情表現も難しいのではないか。
「ただ、男性たちが右往左往するなか、ひとり純粋な愛を貫いているという軸がある点では、役を作りやすいと思います」
嫁いだ男性への愛をなにがあっても貫く——。じつは蝶々さんと似ているようにも思う。
「そうかもしれません。自分の意志を貫きとおす強い女性。そういうキャラクターの特性はつかみやすいと思います」
演出は、迫田が「音楽から読み取れるところで演出してくださり、歌い手は歌いやすい」と絶賛するマルコ・ガンディーニ。今回は何を期待するか。
「最後の場面では、殺伐としたなかでも愛を貫いたピーアがみんなを許し、周囲の人の心が浄化されていく。そうした点が引き立てられると想像します。ピーアの慈愛にスポットを当ててくださるのではないかと思うので、そこに応えたいです」
日本人ソプラノの頂点に立とうとしている迫田美帆にとって、いま一番ぴったりの、歌唱美があふれ、強い精神性を帯びた役。そして、それを引き立てる演出がある——。期待せずにいられようか。
取材・文:香原斗志
(ぶらあぼ2024年10月号より)
藤原歌劇団創立90周年記念公演 NISSAY OPERA 2024
ドニゼッティ《ピーア・デ・トロメイ》ニュープロダクション(字幕付き原語[イタリア語]上演)
2024.11/22(金) 、11/23(土・祝)、11/24(日)各日14:00 日生劇場
問:日本オペラ振興会チケットセンター03-6721-0874
https://www.jof.or.jp
※迫田美帆は11月23日に出演。配役などの詳細は上記ウェブサイトでご確認ください。