松平 敬(バリトン)

オトとコトバの新たなる邂逅

©Lasp Inc.

 現代音楽のスペシャリストとして知られる松平敬だが、難解な作品ばかりを歌っているわけではない。この新譜を制作するきっかけとなった佐藤聰明による歌曲集「死にゆく若者への挽歌」(全4曲、約43分)は、シリアスな英語詩に負けない強度をもった驚くべき音楽で、調性的な美しさを湛えた傑作だ(この曲を聴くためだけに本盤を買う価値があると断言したい!)。

 「最近の聰明さんの曲はどれもテンポが遅くて、この1曲目も1拍が30という指定。つまり2秒で1拍という異様な遅さなんです。当然歌うのは大変なのですが、声域が自分に合っているので良いレパートリーになりました。今後も歌っていきたい作品です」

 この作品が核となったため、松平のソロアルバムとしては初めて「歌とピアノ」という編成に。その結果、“音と言葉”というシンプルなコンセプトとなり、彼自身の造語『オトコト』がアルバムタイトルに付けられた。全部で12人の作曲家が異なるアプローチで“音と言葉”と向き合う姿を堪能できる。尋常ならざる熱量で圧倒される新実徳英の「魂舞ひ」も聴きものだ。

 「新実さんは随分前から僕のために曲を書きたいとおっしゃっていたのですが、2022年の東京文化会館での公演、“四人組とその仲間たち”でやっと実現しました。初演では、予想していなかったほどお客様に受けて、盛り上がりましたね」

 こうした日本人作曲家による歌曲創作の最前線に触れられるのもこのアルバムの魅力だが、なかでも本盤を語る上で欠かせないものとなったのが、昨年亡くなった西村朗と松平頼曉の作品である。

 「アルバムの構想を2022年12月に練っていたら、翌年1月に頼曉さんが亡くなったので、追悼になってしまったなと思いながら夏に録音したんです。そうしたら録音の1週間後に西村さんも…。それでおふたりの作品を冒頭に並べることにしました」

 頼曉の〈イッツ・ゴナ・ビー・ア・ハードコア!〉は、もともと1980年に書かれたソプラノのための歌曲なのだが、2005年に改作されたバージョンを松平が初演している。一方、萩原朔太郎の詩による西村の〈猫町〉は松平が委嘱した2015年の作品だ。

 「西村さんは大変な猫好きで、当時うちも猫を飼っていたんです。そういう繋がりもあったからか、児童合唱のために西村さんが作曲したオペラ《ふり返れば猫がいて》では、猫の王様役を演じさせてもらったこともありました。そういう経緯があったから西村さんは猫にまつわる曲を作ってくださったのかもしれません」

 この曲に合わせてアルバムジャケットにも猫があしらわれているが、実は松平自身がAIで試行錯誤を繰り返して生成された画像なのだという。現実には存在しない猫に誘われ、あなたも「猫町」に迷い込んでみませんか?
取材・文:小室敬幸
(ぶらあぼ2024年4月号より)

CD『オトコト』
コジマ録音
ALCD-137,138
¥4070(税込)