【GPレポート】藤原歌劇団が29年ぶりに上演するグノー《ファウスト》

磨かれた細部が統率されて壮麗なグランドオペラに

村上敏明(ファウスト)

 恋もせず老境に達した哲学者ファウストが、悪魔メフィストフェレスにそそのかされ、あの世で悪魔に仕える代わりに青春を手に入れ、清純なマルグリートを口説いた挙句……。グノーの《ファウスト》は、文豪ゲーテによる同名の戯曲の前半から、情熱と悲恋の物語を借用し、叙情美に満ちた恋愛悲劇に仕立てている。藤原歌劇団の29年ぶりの上演では、その叙情美を活かしつつ、悪魔性およびそれと対称をなす聖性が鮮やかに描かれ、壮麗なグランドオペラの世界が構築される。1月27日、28日に東京文化会館で上演後、2月3日には名古屋のNiterra日本特殊陶業市民会館 ビレッジホールでも公演(管弦楽はセントラル愛知交響楽団)がある。取材したのは村上敏明が表題役を歌う組の最終総稽古(ゲネラルプローべ)だ。
(2024.1/25 東京文化会館大ホール 取材・文:香原斗志 写真:寺司正彦)

左:村上敏明(ファウスト) 右:アレッシオ・カッチャマーニ(メフィストフェレス)
左より:砂川涼子(マルグリート)、岡昭宏(ヴァランタン)

 演奏がはじまるやいなや、オーケストラの音と表現に惹きつけられた。東京フィルハーモニー交響楽団を指揮するのは阿部加奈子。パリ国立高等音楽院指揮科で学び、フランスのドーム交響楽団音楽監督などを務める俊英で、音が粒だっているといえばいいだろうか。一音一音が明瞭に響いたうえで状況に応じ起伏がつけられる。すなわち、各部分は叙情的であり、祝祭的であり、魔的であり、それらが見通しよく統率されている。過去のインタビューを読むと「建築にも関心が」あって、「構造を俯瞰し、構築することに興味がある」と話していて、納得である。

 ダヴィデ・ガラッティーニ・ライモンディ演出の舞台はシンプルだ。置かれているのは机と椅子のほかは、三幅対祭壇画のように立てられた3つのスクリーンだけだが、その配置を変えつつ投影される映像の情報が豊富なのである。たとえば、歳を重ねたファウストが書斎で絶望する冒頭では、レオナルド・ダ・ヴィンチの人体図から目や脳の絵までが映され、彼の五感が学問一筋に捧げられてきたことが示される。別の場面では、木や家を映して情景が描写されるが、そこにイタリア人ならではの美意識が貫かれている。

前列左より:アレッシオ・カッチャマーニ(メフィストフェレス)、岡昭宏(ヴァランタン)、向野由美子(シーベル)、大槻聡之介(ワグネル)

 一方、ドメニコ・フランキによる衣裳は、あまり抽象化されることなく15~16世紀の世界にいざなってくれる。舞台がシンプルだから、なおさら衣裳が映える。

 ファウストの村上敏明は、声を絞り出すような表現が、年齢を重ねての焦燥にも、若返ってのちにマルグリートを恋慕する思いにも重なって説得力がある。最大の聴かせどころである第3幕の〈この清らかな住まい〉では、最高音のハイCを延々と引っ張って聴かせた。また、阿部の指揮がここぞとばかりに叙情のかぎりを尽くすので、アリアが際立つ。

向野由美子(シーベル)

すぐれた歌唱、冴えた合唱とバレエ

 メフィストフェレスはイタリアから招聘されたアレッシオ・カッチャマーニで、ドスが利いた深い低音を響かせるが、場に応じてデモーニッシュにもコミカルにも表現でき、この悪魔の多面性を表しつつ、ドラマの心棒のような存在感をたもった。また、砂川涼子はマルグリートの清らかさを見事に体現した。正確な音程と美しいフランス語はもとより、〈宝石の歌〉なども、ときめきが体内から自然に表出するような歌唱である。

 歌唱を視覚的に活かす演出にも感心した。たとえば第3幕の、二組の男女に分かれての四重唱。ファウストとマルグリートの背後のスクリーンは屋内を表現し、メフィストとマルト(マルグリートの隣家の女性)の背後には木々が映し出される。そして、ファウストらには暖色系の照明が、メフィストらには白色の照明が当てられる。こうした対比によってシンプルな舞台が立体的になり、ファウストらの清純な愛とメフィストらの世俗的な愛の違いも際立つ。

左:アレッシオ・カッチャマーニ(メフィストフェレス) 右:山川真奈(マルト)

 最後の場面も、マルグリートが息絶える前に、スクリーンは真っ暗になってすべてが無に帰したかと思わされるが、続いてゴシック建築の三角破風が並んで映され、魂の救済が視覚的に表現され、清らかな合唱の効果が増す。

 上記場面だけでなく、このオペラにおいて重要な役割を果たす合唱は、終始、音楽を見事に支えた。とくに第5幕は、合唱に加えてNNI バレエアンサンブルのバレエもキレがよく、暗めの照明のもと、幻想性が強調された。それらを交えて正味3時間のグランドオペラが、やはり阿部の指揮の手腕が大きかったと思うが、鮮やかに、かつ立体的に構築された。

Information

藤原歌劇団公演 グノー作曲《ファウスト》ニュープロダクション
(全5幕/原語(フランス語)上演・字幕付)

 
2024.1/27(土)、1/28(日)各日14:00 東京文化会館
2/3(土)14:00 名古屋/Niterra日本特殊陶業市民会館 ビレッジホール

 
総監督:折江忠道
指揮:阿部加奈子
演出:ダヴィデ・ガラッティーニ・ライモンディ
 
出演
ファウスト:村上敏明(1/27)澤﨑一了(1/28, 2/3)
メフィストフェレス:アレッシオ・カッチャマーニ(1/27, 2/3)伊藤貴之(1/28)
マルグリート:砂川涼子(1/27, 2/3) 迫田美帆(1/28)
ヴァランタン:岡昭宏(1/27, 2/3)井出壮志朗(1/28)
シーベル:向野由美子(1/27, 2/3)但馬由香(1/28)
ワグネル:大槻聡之介(1/27, 2/3)高橋宏典(1/28)
マルト:山川真奈(1/27, 2/3)北薗彩佳(1/28)
 
合唱:藤原歌劇団合唱部
バレエ:NNI バレエアンサンブル
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団(東京)、セントラル愛知交響楽団(名古屋)
 
問:日本オペラ振興会チケットセンター03-6721-0874
https://www.jof.or.jp