INTERVIEW 田中彩子(ソプラノ)

コロラトゥーラの歌声に〈遊び Play〉と〈祈り Pray〉の願いを乗せて

 田中彩子は不思議な歌手だ。ソプラノの中でも最高の音域を持ち、コロラトゥーラを自在に操るその声は一度聴いたら忘れられない印象を残す。だが、田中が「不思議」だというのはその声のことだけではない。18歳で単身ウィーンにわたり、22歳の時にソリスト・デビュー。そこから本拠地をウィーンに置き続け、ヨーロッパ、さらには南米にまで活躍の場を広げる。その過程で子どもたちへの教育プログラムに関わるなど社会貢献活動も活発に行い、2019年には Newsweek 誌の「世界が尊敬する日本人100」に選ばれた。いわゆる日本の「音大」出身者とはまったく異なるキャリアの積み方をしてきた田中の存在そのものが、日本にいる私たちクラシック・ファンに様々な問いかけをしているように思えるのだ。

Ayako Tanaka ©Andrej Grilc

 4年ぶりにリリースしたニュー・アルバムのタイトルは『Play Coloratura』。田中は「プレイ」という言葉に「遊び」と「祈り」の二つの意味を込めたと語る。

「自分が歌手として活動していくにあたって、これからもみなさんと一緒に遊んでいこう、という思いから“遊び=Play”というタイトルを考えました。同時に“祈り=Pray”も、みんなが楽しく笑顔で生きていけたらという思いが入っています。今年でウィーンに住んで21年になりますが、今、いちばん心を痛めているのがウクライナ問題です。ヨーロッパには至るところ戦争の傷跡がある。それなのにまた戦いが始まってしまった。平和とは何だろうと真剣に考え、そこで、ひとりひとりが笑顔で優しい気持ちでいられたら、誰かに対しても優しい気持ちになれて、それが少しずつ連鎖していくことが平和に繋がるのかなあ、と思いました。私にできることは、このアルバムを聴いたみなさんに、少しでもそういう楽しい気持ちを持っていただくこと。その願いを込めてつくったアルバムです」

 全13曲の前半はクラシック作品、後半はジャズや現代音楽など「ぶっ飛んだもの」という構成になっている。

「4年ぶりのアルバムなので、前半は私が長く住んでいるウィーンにゆかりの作曲家で、コロラトゥーラが用いられている作品を中心に選びました。特に2曲目のモーツァルトの〈ああ、やさしい星よ、もし天に〉は、コロラトゥーラのためのコンサート・アリアの中で一番難しいのではないかと思える曲。前半最後はヘンデルの有名なアリア〈私を泣かせてください〉にしましたが、この曲ではあえてコロラトゥーラを使わず、できるだけシンプルな音色で歌っています」

©Andrej Grilc

 後半は祈りの曲であるプライズマン〈アヴェ・マリア〉からスタート。これは録音の現場でチェロの植木昭雄から提案され、その場でアレンジを考えて即興的に録音したのだという。そこからジャズに向けての流れが生まれるというつくりが心憎い。個人的に後半パートでもっとも印象に残ったのは、ミヒャエル・プブリック作曲の〈アー・ユー・シリアス?〉。これまでの田中彩子の透明感あるイメージを保ちつつ、どこか新しさを感じさせる演奏だ。

「プブリック氏はウィーン大学のジャズ科の先生で、個人的な友人でもあります。このアルバムではアレンジを担当してもらいましたが、1曲私のために書いてほしいと頼んで出来上がったのがこの曲です。彼は南米に長く住んでいたこともあり、サルサやタンゴなど南米の民俗音楽を思わせる要素も入っていて、すごく大人な雰囲気の曲に仕上がりました」

 アルバムの最後はチック・コリアの2曲で締めくくられる。「人生は挑戦」というのが田中のモットーだそうだが、今回ジャズに挑戦したのはまさにそのあらわれ。コロラトゥーラという自分の声を活かしたジャズ、という新しいステージを田中は開いたといえるのかもしれない。

 このニュー・アルバムを引っ提げて、全国7ヵ所でのコンサート・ツアーもスタート。「クラシックが好きな方が聴いても満足できるようなマニアックな選曲だと思います。またそうでない方でも、メロディ・ラインが美しいものばかりなので聴きやすいと思います」と自信をのぞかせる。
 コンサートでの田中彩子は、「声」という武器を片手に、この混沌とした世界に光を投げかけるミューズのすがたに重なってみえるにちがいない。

取材・文:室田尚子

【CD Information】
『Play Coloratura』2023.10/11発売
AVCL-84155 ¥3,300(税込)

収録曲
01 モーツァルト:コンサート・アリア「私の感謝をお受けください、慈悲の人よ」
02 モーツァルト:コンサート・アリア「ああ、やさしい星よ、もし天に」
03 バッハ:「あなたがそばにいたら」(伝G.H. シュテルツェル作)
04 バッハ:アリア「ああ、なんて美味しいの、コーヒーは!」
05 ヘンデル:「私を泣かせてください」(涙の流れるままに)
06 プライズマン:「アヴェ・マリア」
07 プレヴィン:ソプラノ、チェロとピアノのためのヴォカリーズ
08 ピアソラ:「タンティ・アンニ・プリマ」(アヴェ・マリア)
09 ニールセン:「幸せなのに」
10 渋谷慶一郎:「BLUE」
11 ミヒャエル・プブリク:「アー・ユー・シリアス?」
12 チック・コリア:「クリスタル・サイレンス」
13 チック・コリア:「ホワット・ゲーム・シャル・ウィ・プレイ・トゥデイ」
田中彩子(ソプラノ)

佐藤卓史(ピアノ)
植木昭雄(チェロ) 5-8
ミヒャエル・プブリク(編曲) 9, 12, 13

[録音] 2023年4月25日~27日 高崎芸術劇場 音楽ホール

【Concert Information】
田中彩子 ソプラノ・リサイタル2023 〜Play Coloratura〜
共演:川田健太郎(ピアノ)

福岡|10/15(日)14:00 FFGホール(KBCチケットセンター 092-720-8717)
札幌|11/3(金・祝)13:30 札幌コンサートホール Kitara(小)(オフィス・ワン 011-612-8696)
名古屋|11/12(日)15:00 三井住友海上しらかわホール(東海テレビ放送 事業部 052-954-1107)
大阪|11/19(日)14:00 住友生命いずみホール(ABCチケットインフォメーション 06-6453-6000)
東京|11/23(木・祝)14:00 紀尾井ホール(完売)
長崎|11/26(日)15:00 とぎつカナリーホール(NBC長崎放送 095-820-1022)
浜松|12/2(土)14:00 アクトシティ浜松(中)(テレビ静岡事業部 054-261-7011)