イゴール・レヴィット ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ・サイクル・イン・ジャパン Ⅰ&Ⅱ

ベートーヴェンを生きる——行動する人間は世界に問う

(c)Felix Broede / Sony Classical

 イゴール・レヴィットはセンセーションだ。彗星のように疾く、世界を席巻し続ける。知性と情熱と意欲を熱く漲らせて。

 レヴィットのピアノは鋭利で明敏だ。緊密な集中と確信で決然と語り、パーソナルな感情も切実に歌う。しかも近年ますます雄弁に、ラディカルに、自身の表現と自由を高めているように思える。

 大曲に次々と取り組むだけでなく、小品の巧緻なプログラミングにも独自の思念と私的な感情を籠めてきた。現代のクラシック音楽シーンにおいて、最高にアクティヴな表現者として動向が注視される人物である。

 もちろん、このような才能が一日にして成るはずもない。ゲンリフ・ネイガウスの曾孫に当たるそうだし、早くから期待を集め、2004年には浜松国際ピアノアカデミーコンクールで第1位、翌年のルービンシュタイン国際コンクールで第2位を得ている。それもかなりの昔日に感じられるほど、レヴィットはここ10年で遥か遠くまで独立独歩で踏み越えてきたように思える。

 どこか生き急いでいるようにもみえる。イゴール・レヴィットは行動し、発言し、意見する人間だ。自身による肩書は「シチズン(市民)。ヨーロピアン。ピアニスト」。遠大な音楽世界に臨むときに真率であるように、現代の社会に生きることにも真剣だ。つまりは怖れることを知らない、というよりも、自己の強い信念にまっすぐだ。となれば、自ずと思い浮かぶのはベートーヴェンの音楽と人物像だろう。レヴィット自身が熱い共感を寄せるからなおさらである。

 ベートーヴェンがいまこそ重要なのは、彼が音楽の天才にして革命家であるからだけでなく、自己を誠実に生き貫くことに必死だった、その生きる姿勢の懸命さにあると私は思う。狂おしい熱があり、無器用なまでの真剣さがあり、だから彼の創造は現実との闘いの色を帯びてくる。レヴィットもそうした切実さをもって、音楽の可能性や社会の現実を生き抜こうとしている。音楽家である以前に市民であることを誇り、そして音楽家であるからこそ可能な方法で、レヴィットは世界に鋭く問い続ける。

 ベートーヴェンのソナタに関しては、2013年の後期5曲を皮切りに、17年11月から19年1月に録音を継いで、32曲の全集を完結した。この壮大な挑戦についてレヴィット本人に聞くと、「巨人の体躯をみていると、自分自身について多くを知ることになる。そうして新たに自分の限界がみえると、それを押し拓いて、その先に超えていこうと努力するのだ」と語った。

 もちろん世界各地のリサイタルでも、ベートーヴェンのソナタを重点的に展開してきた。日本でも紀尾井ホールで、4公演にわたる選集が延期の末、今秋からついに叶えられることになる。

 初年度の2つのプログラムは両日とも、ベートーヴェンの初期の挑戦から中期の爆発までを盛り込む構成。晩年の大曲「ディアベッリ変奏曲」を弾いた2019年の来日時にも、「『ワルトシュタイン』こそは『ハンマークラヴィーア』と並び立つピアノ音楽史上の革命作だ」ときっぱり言っていた。初日の終着点は同曲、翌日は姉妹作ともいえる『アパッショナータ』の燃焼へといたる。まさにレヴィットの才覚と覇気が、ベートーヴェンの創造を強烈に歌いかける極点ともなるだろう。両日のプログラムの道行きそのものが果敢な冒険に違いない。それはなにより人間の生、個人が生きていくことに関わる、きわめて重要な出来事であるからだ。
文:青澤隆明
(ぶらあぼ2022年11月号より)

2022.11/18(金)19:00、11/19(土)14:00 紀尾井ホール
問:ジャパン・アーツぴあ0570-00-1212 
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