文:青澤隆明
この夏、楽しみにしていたブラッド・メルドーの来日がなくなって、もうひと月がめぐった。来日への本人の意志は強く、来年2月に延期日程が組まれたところだ。楽しみが先延ばしになったと思って、元気でいたい。
今朝、まだ眠い頭で、ピアノ・ソロでは最新作のはずの“Suite: April 2020”をかけた。ニューヨークを離れ、家族とともに過ごしながら、アムステルダムでパンデミック下の生活を送っていたブラッド・メルドーがまとめた12曲の組曲と、3曲のカヴァーを、4月の2日間で録音したアルバムである。それからもう2年以上が経ったのか、という気持ちと、続く不穏さが混ざる。
ブラッド・メルドーのアルバムはわりとまめに聴いてきたが、彼の音楽もピアノ演奏も、凝縮されているだけに、粘り強く、執拗で、密閉性がある。秘儀性ともいうべき内向性と、稠密さをもつ執拗なオブセッションが、奇妙に快く感じられるというか、痛痒いというか、細く鋭く痛点に当たる。どこか窮屈な部屋に自分を閉じ込めて愉しむ、という感じがずっと付き纏う。
少なくとも私の場合はそういう感覚がいつも抜けないので、ブラッド・メルドーを聴くときには、その種の集中とそれにまつわる逸脱を体験することになる。その感じは、「瞑想」というよりは「冥想」、文字どおり冥を想うというのにも近い。で、このアルバムは、なかでもぐっと温かく、素に近く、巣にも近いかたちの作品だと感じられる。自作組曲をしめくくる“lullaby”、なによりカヴァー3曲を結ぶスタンダード“Look for the Silver Lining”では、とくに飾り気のないプレーンな心が、やさしく温かな歌にひらかれているように聞こえる。そういうところはずいぶんと魅力的だし、のびのびと聴いていると、願いや祈りのような、清らかな空気を吸うような気持ちにもなっている。
だから、本作でのピアノ・ソロはこれまで以上に、もっと心緩やかに聴ける、と言えば確かにそうなのだろうが、ブラッド・メルドーはどんな形態や編成でもブラッド・メルドーで、だからそういう精神というか気のかたちをしていて、そのことは変わりはしない。
ロジックと狂気の鬩ぎ合いにも近い違和の感覚。幻想的というふうにも言えるのだろうが、なんというか、妙に薄気味わるい。幽かに打ち震えている感じ。不協和に。微熱のときの寒気みたいに。才気というのは得てしてそういうものだ。
たとえば、ブラッド・メルドーが長く愛奏しているレディオヘッドのカヴァーを聴くときなどに、あからさまなシンクロニシティというか、高められた共犯関係を感じるのはまさにこの点だ。オブセッションの性質、憑りつかれかたに、同時代ということを超えた親和性がある。精神面でみると前衛というか尖鋭的な実験と表現の意識、心理的に言うと神経過敏なまでに違和感をとらえて離さない執拗なテンションは、まるでブラッド・メルドーのためにトム・ヨークが書いたのではないかと思わせるほどだ。かたやロック・バンド、かたやジャズ・ピアノ・トリオ、そしてそれぞれのソロもそうだが、曲を煮詰めていくときのあの感じは、創作という営みの現場の熱をしつこいまでに粘り強く留めている。
今朝は今朝で、そこに重なってきたのが、起き抜けにたまたま読んだ古井由吉の文章だった。「不協和音は古来、天地の安寧を乱すものと忌まれるそのまた一方で、霊異の出現に伴うものとされていたらしい」。芥川龍之介の遺稿「歯車」についてのエッセイだが、それはそうだろう。得体の知れないものが出現するときの、空間や時間の揺らぎでもある。ブラッド・メルドーにいつも感じてきたお化けの正体は、やっぱりこのあたりにある、と思った。
【Information】
『Suite:April 2020』
ブラッド・メルドー(ピアノ)
ワーナーミュージック・ジャパン
WPCR-18355
2020.9/18(日)発売 ¥2750(税込)
【Profile】
青澤隆明 あおさわ・たかあきら
音楽評論家。1970年東京生まれ、鎌倉に育つ。東京外国語大学英米語学科卒。主な著書に『現代のピアニスト30—アリアと変奏』(ちくま新書)、ヴァレリー・アファナシエフとの『ピアニストは語る』(講談社現代新書)、『ピアニストを生きる—清水和音の思想』(音楽之友社)。