新日本フィル ミュージック・アドヴァイザー佐渡裕が会見

街とともに成長するオーケストラを

 今年4月から新日本フィルハーモニー交響楽団のミュージック・アドヴァイザーおよび墨田区の「すみだ音楽大使」に就任した佐渡裕が、5月24日、同楽団理事長の宮内義彦、墨田区長の山本亨ら関係者とともに、本拠地のすみだトリフォニーホールでの記者発表会に出席した。

佐渡裕

 今年は、新日本フィルが創立50周年、すみだトリフォニーホールが開館25周年にあたる。同楽団は1988年に日本で初めて墨田区とフランチャイズ提携を結び、以来地域密着型のオーケストラを目指し、さまざまな形で協業してきた。現在では、毎日夕方になると、区内の防災無線を通じて新日本フィルの演奏する「夕焼小焼」の音源が流れるなど、地元区民にとっても身近な存在となっている。
 この節目の年に、新日本フィルのポストを得た佐渡が、同時に“すみだ音楽大使”にも就任。早速、区内の高校の吹奏楽部に指導に行ったり、「すみだ佐渡さんぼ」と題し、墨田区の名所を自ら訪れて魅力をアピールする動画シリーズもスタートしたりと、大使ぶりを発揮している。

 自身が兵庫県立芸術文化センター(西宮市)で、芸術監督としてホールと楽団をいわばゼロから立ち上げ、実績を積み上げてきた経験からも、「フランチャイズとしてホールを持って、街とホールとオーケストラがしっかりチームを組めることがオーケストラの魅力であり、一番の強みである」と佐渡は強調する。「各町内会長さんにも来てほしい。そして、地元のおばさま方の間で『トリフォニーでやってるシンニチの音、すごいよね!』と話題になることが一番の願い」と語る通り、「オーケストラが街に貢献する」ことを目指す姿勢は、墨田に来ても変わることはない。

 佐渡と新日本フィルとの関係は深い。「小澤征爾という人がいなかったら、僕はたぶん指揮者を目指さなかった」と話す佐渡。1987年にタングルウッド音楽祭のオーディションを受け、新日本フィルの創設者でもある小澤、そしてバーンスタインと出会ったことが大きな転機となり、翌年にはブザンソンの指揮者コンクールで優勝。新日本フィルとは、88年に小澤の招きで初共演を果たしている。1990/91シーズンには定期に初登場。その後、3季にわたり“指揮者”のポストにも就いた。これまでに約100回くらいの共演歴があるというが、10年ほどのブランクを経てふたたび関係を深め、このたびミュージック・アドヴァイザーに就任、そして2023年にはいよいよ第5代音楽監督に就任する。

「ヨーロッパの仕事が増え、兵庫のこともあったので、少し離れていた時期もあったんですが、来年音楽監督就任という話が来て、また再会することになりました。自分が憧れた、そして小澤先生が作られたこのオーケストラの5代目の音楽監督になるというのは、本当に信じられないようなこと。ミュージック・アドヴァイザーはそのための1年の準備期間。墨田から次のクラシック・ファン、オーケストラ・ファンを作っていく、一緒に考えていく ── そういったことを目指していきたい」

左より:宮内義彦(新日本フィル理事長)、佐渡裕、山本亨(墨田区長)

 かつてタングルウッドでは、バーンスタインに「じゃがいものようなヤツを見つけた」と言われたという。「いまは泥が付いているけれど、その泥が取れる日が来たら、世界中の人が毎日聴くような音楽を作るだろう」 ── その師匠の言葉を、「一人でも多く、オーケストラの喜び、クラシック音楽の素晴らしさを届けるのがお前の仕事だよ」と言われたと受け止め、自身の「大きな“宿題”」と表現した。

 聴衆の高齢化など、クラシック音楽をとりまく環境にはさまざまな課題があるが、「いろいろ刺激のある社会の中でも、クラシック音楽の面白さというのは若者にもしっかりと伝わり、喜びを伝えられるものだと確信しています」と力を込める。ウィーンや兵庫をはじめ、世界各地で経験を積んできたマエストロのもとで、地元自治体ともタッグを組みながら「わが街のオーケストラ」として、どのような展開を見せるのか。50周年イヤーに新たなスタートを切った新日本フィルの今後に注目したい。

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新日本フィルハーモニー交響楽団
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