ブリン・ターフェル(バスバリトン)によせて

※4月16日「東京春祭 歌曲シリーズ vol.35」、及び4月19日「Opera Night」の2公演は中止となりました。詳細は音楽祭公式サイトをご確認ください。

チャレンジングな選曲を真正面から受けとめたい

文:岸純信(オペラ研究家)

 2019年3月、東京・春・音楽祭の招きにより、十数年ぶりに来日したブリン・ターフェルは、持ち前の豊かな響きをこれでもかと繰り出して、客席を興奮の渦に巻き込んだ。しかし、筆者は独り、彼の迫力満点の歌いぶりを楽しみつつも、時折り現れる「抑制の利いたフレージング」の方に気を取られていた。「ここまで豪放磊落さを打ち出すのも、ひょっとしたら、一瞬の抑えた表情付けで聴衆をあっと言わせ、一網打尽にでもしたいのか?」 ―― 筆者のこの見立てはあながち間違っていたわけでもなかったよう。コープランドの英語の歌を密やかに歌い上げたターフェルは、そこでいっそう大きな拍手を受けた。斜に構えぬ日本の観客を前に、この大歌手はより自由に振舞っていたのかもしれない。

東京・春・音楽祭 2019「東京春祭 歌曲シリーズ vol.25」より (C)増田雄介

 英国のオペラ雑誌『Opera Now』15年3月号の特集記事によると、ターフェルは「40代は、ワーグナーの大役や《トスカ》のスカルピアなど、ヘビーな役柄に集中した」とインタビュアーに語ったようである。その時彼はひとこと「オランダ人(を演じるの)はもうこれで終わりさ」とも言ったそう。バスバリトンの剛毅な美声を誇る一方で、ヘンデルのアリア集も録音して「複雑なコロラトゥーラも歌えるんだ」と世に示したターフェルとしては、齢を重ねても声の健康度を保つべく、あまりに重い役は外そうと考えたのかもしれない。

 ところが、今春再来日するターフェルは、「Opera Night」と称するコンサートを開催し、ワーグナーの名場面を幾つも歌い上げるという。楽劇《ニュルンベルクのマイスタージンガー》からは庶民派の申し子たるハンス・ザックスのソロ、歌劇《タンホイザー》からは終幕の抒情的でエレガントな名曲〈夕星の歌〉を、そして楽劇《ワルキューレ》からは大神ヴォータンの〈告別のソロ〉を披露するとのこと。50代半ばに達したターフェルの「声の生命力」は、本人の予想を超えて保たれているのだろう。ならば、熱心なオペラファンは会場に詰め掛けねばならない。堂々たる押し出しの良さも含め、生のステージでより際立つ大歌手の個性は、目と耳、そして心で直に受けとめるべきものである。

 なお、この「Opera Night」の選曲でもう一つ特徴的なのは、ヴェルディ《オテロ》の悪漢のモノローグ(ヤーゴの信条)〈行け!お前の目的はもう分っている〉や、ベートーヴェン《フィデリオ》の敵役ドン・ピツァロの強烈な自己主張のソロ、そしてボイトの《メフィストーフェレ》の悪魔の飄々としたアリアといった「極端な性格表現を要する名曲」を集中的に並べ、ヴァイルの音楽劇《三文オペラ》のヒットソング(一般的には〈マック・ザ・ナイフ〉という英語の題名で知られる)も歌い上げるという、客席にも自身にもチャレンジングな姿勢である。

 というのも、これらの曲が歌い手に求めるのは、「言葉やフレーズに応じて、声色を激変させねばならない」という頭脳戦的な解釈であるから。整った発声法で朗々と歌い通してもちっとも面白くない名場面を、ターフェルはこれでもかと並べ、不遜な笑みも浮かべながら「これがどんなに大変なことか、分かりますか?」と客席に問いかけている。
 ならば、このような挑戦的なプログラミングの価値を、我々も真正面から受けとめねばならない。ステージとの間に火花を散らすつもりで、当日は会場に向かいたいものである。

 なお、この「Opera Night」の3日前には、東京文化会館小ホールで歌曲のリサイタルも開催予定。シューベルトやブラームスの繊細なドイツ・リートから、大胆な表現力を駆使するオペラの夕べまで、歴史に残るであろう大歌手の雄弁な歌声を、この機にじっくりと味わってみたい。

【Information】
ブリン・ターフェル Opera Night ※公演中止
2022.4/19(火)19:00 東京文化会館 大ホール

●出演
バス・バリトン:ブリン・ターフェル
指揮:沼尻竜典
管弦楽:東京交響楽団
●曲目
ワーグナー:
 楽劇《ニュルンベルクのマイスタージンガー》よりザックスのモノローグ「リラの花が何とやわらかく、また強く」
 歌劇《タンホイザー》より「夕星の歌」
 楽劇《ワルキューレ》より「ヴォータンの別れ、魔の炎」
ボイト:歌劇《メフィストフェレ》より口笛のカンツォーネ「私は悪魔の精」
ベートーヴェン:歌劇《フィデリオ》より「ああ!ちょうどよい機会だ!」
ヴェルディ:歌劇《オテロ》より「行け!お前の目的はもう分っている」
ヴァイル:《三文オペラ》より「メッキー・メッサーのモリタート」
/他
●料金(税込)
S¥14,500 A¥11,000 B¥7,500C ¥5,000
U-25¥2,500(U-25チケットは2022.2/17(木) 12:00発売)

東京春祭 歌曲シリーズ vol.35 ※公演中止
ブリン・ターフェル(バス・バリトン)&アナベル・スウェイト(ピアノ)
2022.4/16(土)18:00 東京文化会館 小ホール

●出演
バス・バリトン:ブリン・ターフェル
ピアノ:アナベル・スウェイト
●曲目
シューベルト:
 愛の使い D957-1(《白鳥の歌》 より)
 タルタルスの群れ D583
 万霊節のための連禱 D343
 水の上で歌う D774
 鳩の便り D965a(《白鳥の歌》 より)
ブラームス:《4つの厳粛な歌》op.121
 第1曲 人の子らの運命は
 第2曲 私は顔を向けて見た
 第3曲 おお死よ、なんとつらいものか
 第4曲 たとえ私が人の子の言葉で語ろうとも
ヴォーン・ウィリアムズ:《旅の歌》(抜粋)
 第1曲 放浪者
 第3曲 道端の火
 第7曲 私はいずこにさすらうか
 第9曲 私は坂を上って、下りた
G.フィンジ:《花束を運ばせてほしい》op.18
 第1曲 来たれ、来たれ、死よ
 第2曲 シルヴィアって誰?
 第3曲 もはや灼熱の太陽を怖れるな
 第4曲 おい、俺のカノジョ
 第5曲 恋する若者とその彼女
ベートーヴェン:
 グレンコーの虐殺 WoO.152-5(《25のアイルランド民謡》 より)
 クルーイドの谷 WoO.155-19(《26のウェールズ民謡》 より)
 おお、素晴らしい時だった op.108-3(《25のスコットランド民謡》 より)
※当初予定しておりました曲目より変更となりました。
●料金(税込)
S¥13,000A¥11,000
U-25¥2,000(U-25チケットは2022.2/17(木) 12:00発売)

【来場チケット販売窓口】
●東京・春・音楽祭オンライン・チケットサービス(web。要会員登録(無料))
https://www.tokyo-harusai.com/ticket_general/
●東京文化会館チケットサービス(電話・窓口)
TEL:03-5685-0650(オペレーター)

※4月16日「東京春祭 歌曲シリーズ vol.35」、及び4月19日「Opera Night」の2公演は中止となりました。詳細は音楽祭公式サイトをご確認ください。