今確かに現実に起こっていることは私たちにとって困難で、深く考えさせられる経験でもあります。新しいウイルスがたった数週間のうちに世界中に拡散し、目に見えぬ脅威が生命を危険に晒しているという事実は、人類が地球全体、そして宇宙をコントロールすることなどできないのだと明確に示していると言えるでしょう。この脅威に打ち勝ち、感染を食い止める効果的な治療法が見つかるその時を私たちはただ待ちわびながら、ウイルス拡散のスピードを遅らせるために人と集う頻度を減らすなど、毎日の習慣を変えることを求められています。人々の気分や社会的行動に影響を与え、経済的な面にも波及し、生き残るために必要な金銭面の不安も広がっています。これは先の世界大戦以来の甚大な世界的危機であり、私たち一人ひとりが忍耐と団結を迫られています。多くの問題に対処している間、私たちは自分の感情を安定させ、それを維持させることが必要になってきます。科学者たちがいつか治療法を確立してくれるという希望を捨てずに、それは来年か、もしかするともっと早く成功するかもしれませんが、たとえ物理的な距離は保っていても、互いに寄り添い乗り越えていきましょう。
この数か月は様々な国でコンサートを予定していましたが、どれも延期や中止になってしまったので、ミュンヘンの自宅で多くの時間を過ごしています。周りには森や牧草地が広がり、イザール川から1kmと離れていない場所なので湖と池があり、小川のせせらぎに心癒されています。動植物が季節の移ろいと共に変容していく様を眺めるのは本当に素晴らしく、妻と一緒に散策を楽しみ、時には自転車で出掛けています。ドイツは全てのレストランが休業中なので、自宅で妻が作る日本料理や地中海料理に舌鼓を打っています。読書のほか、楽譜を見て音源を聴き、そしてもちろんピアノの前に座って勉強を深めています。新しいレパートリーに取り組んだり、しばらく弾いていなかった作品のアプローチを考えたりしています。今の生活に退屈することは全く無く、少なくともあと10年はこのような生活を毎日続けられるのではと思います。しかしまだ数週間しか経っていないにもかかわらず、既に友人たちと過ごす時間が恋しく、また再び彼らと美味しいワインと食事と共にアイデアを交わし合えることが待ち遠しいです。
これは私だけではなく、おそらく多くの音楽愛好家の皆さんにとってもそうでしょうが、ベートーヴェンの音楽はインスピレーションの永遠の源です。弦楽四重奏曲の全曲を何度も繰り返し勉強していますが、この作品群は彼の心の奥底に秘めた感情や思考の私的な独白なのです。とりわけ最後の5曲は、私たちの魂に直接働きかけ、慰めと希望を与えてくれる啓示のような作品です。Op.132の第3楽章は「リディア旋法による、病より癒えたる者の神への聖なる感謝の歌」と題され、音楽的な言葉を感受するすべての人々に感動をもたらすでしょう。書き言葉や話し言葉といった言語を超えた先に、音楽という言語が存在するのです。
今はまだ、不幸にも私たちはコンサートホールや劇場で一体となる機会を持つことができません。偉大な音楽作品にライヴ・パフォーマンスで触れられることに慣れてしまって、それが当たり前のことだと思ってきました。この古き良き習慣に再び立ち返ることができる日までは、CDやDVD、インターネットを通じて、宝物のような数多くの録音に出会うことができます。同じ曲で色々な音楽解釈を比べてみるのも興味深いですし、楽譜に書かれている内容がこれだけ多様な側面を持つのだと驚かれると思います。古くからの友人とまた語らえること、そして新たな友と出会うことを夢見て、この困難に打ち勝つその日まで祈りましょう。私もまた日本を訪れ、皆さんとお会いできることを心から楽しみにしています。どうか皆さんお元気で、そして毎日を楽しくお過ごしください!
■公演情報
2020年11月〜12月、来日ツアーを予定しています。
ベートーヴェン 生誕250周年記念
ゲルハルト・オピッツ ピアノ・リサイタル 〜最後の3つのソナタ〜
2020.12/11(金)19:00 東京オペラシティ コンサートホール
詳しくはこちら http://www.pacific-concert.co.jp/foreigner/view/145/