100周年プレシーズン、N響の未来を見据えて
NHK交響楽団は、2026年に創立100年を迎える。その前年の今年5月、アムステルダムのマーラー・フェスティバル参加を含めたヨーロッパツアー公演を敢行。その熱気冷めやらぬ帰国翌週、第1コンサートマスターを務める郷古廉と長原幸太に、ツアーの成果や、100周年を迎えるN響の現在と未来について語ってもらった。

Kota Nagahara Sunao Goko
取材・文:林昌英 写真:中村風詩人
—— 長原さんと郷古さんのこれまでのご関係は?
長原 郷古さんが15歳のとき、当時、僕がコンマスをしていた大阪フィルにソリストとして来られて。彼の先生のゲルハルト・ボッセの指揮で、ハイドンのヴァイオリン協奏曲。「うわぁ、天才が来たな」というのが最初の印象でした。それが今こうやって一緒に弾けるようになって嬉しいです。音楽に対してストイックだし、楽譜の裏まで読み込んで、それを体現できる。
郷古 初めて長原さんにお会いしたときのことはよく覚えています。特に彼の指揮者を見る目つき。鋭い目で指揮者の一挙手一投足をよく観察して、あらゆる音楽的なものをキャッチする。その印象は今も全然変わりません。コンサートマスターの席に長原さんが座ると、彼のもとに何かが集まっていくような感覚で、そこにいるだけで音が変わる。長原さんにはその天性のものと、日々の積み重ねの両面からそういう存在になっている。心から尊敬しています。

―― 郷古さんはずっとソリストとして活動していらっしゃいましたが、オーケストラに興味を持ったのはいつからですか?
郷古 10代の頃はそういう考えはありませんでした。ただ、14歳のデビューから10年以上経った20代後半ぐらいのとき、弾きたいと熱望していたコンチェルトはだいたい演奏させていただいて、自分は音楽家人生が終わるまで協奏曲のソリストだけで満足できるだろうか、多くの作曲家が心血を注いで書いたオーケストラ作品を演奏せずに終えるのはもったいない、と考えるようになりました。
―― 逆にコンサートマスターのキャリアが長い長原さんにとって、オーケストラでヴァイオリンを弾くということは?
長原 実は、最初はオーケストラには興味がなかったんですよ。昔はソリスト至上主義的な教育だった時代で(笑)、一人で孤高の頂を目指すような人生を歩むものだと思い、20歳ぐらいまではソロ活動ばかりでした。ただ、オーケストラに世代交代の時代が来て、当時の僕のような生意気な男がオケに誘ってもらって参加したら、“オケってこんないい曲があるんだ!”と一気にのめり込んでしまい、今に至るわけです。未経験の曲は今でも山ほどあって、その度にこんないい曲に出会えたと感動があり、常に新鮮な気持ちでいられます。さらに、表現者としての幅が広がります。曲からのインスピレーションに加えて、オケは大勢の方々との出会いがあり、みんなの考えを吸収して自分の血肉にするのが醍醐味ですね。

―― ツアーはお二人ともN響では初めてですね。ツアー全体の印象などは?
長原 演奏面では、8公演が毎回同じ演奏にはならず面白かった。違うホールにすぐに適応するメンバーのフレキシブルな対応力にも驚かされました。ドレスデンでは楽員も事務局員も一緒に100人規模の宴会が実現したんですよ。知らない人とも喋れたし、いい空間だった。
郷古 そんなに集まったのはN響史上初かもしれません。このツアーはメンバーの距離がかなり縮まり、N響の新しい時代に向けて、改めて結束力が強まりました。演奏面でも、みんながその場ごとのインスピレーションで音楽をできたのは嬉しかったし、何といってもコンセルトヘボウのマーラー3番と4番。あの緊張感と“やってやるぞ!”みたいな感覚は忘れられません。演奏も本当に素晴らしかった。
―― 今回のツアーでは、ひと月近くお二人が一緒のプルトで、お互いのコンマスぶりを間近で見ていかがでしたか?
郷古 経験から来るものも含めて、やはり視野の広さがすばらしいです。あと“今こんなところを聴いているんだ”と意外に感じるところもありましたが、そのポイントにすごく説得力があって参考になります。特に今回のマーラーの3番のような巨大な編成で、いろんな予想外のことが起きても、コンサートマスターとしてしっかり締められます。神経質にならず、ちゃんと手を差し伸べる、しかもさりげなく。その技がすごいと思って見ていました。
長原 隣りで弾くときはなるべく寄り添うのが仕事と思っていますが、彼には独自の音があるので、この音で行きたいんだってパッとわかる。大事なことはヴァイオリンを弾けるだけに留まらない存在感、唯一無二の音があるかどうか。彼の音にはもう一瞬で吸い寄せられる。それが本当に楽しかったですね。

―― 首席指揮者のファビオ・ルイージさんについて
郷古 就任から3年目で、彼のN響に対する信頼度というか、距離はすごく縮まってきています。今回のヨーロッパツアーはルイージとN響の一つの結晶という意味もありました。我々も彼の音楽的な方向性がわかってきて、すると彼はこれもやってみようとか段階ごとに要求が高くなって、それにまた我々も全力で応える。いい循環で良い関係が築けているんじゃないかなと思います。
長原 僕は後から入ったので、最初は一歩引いた位置から見ていましたが、ファビオはこのオケを信頼しているな、そしてオケは彼が欲しい音をわかっていると感じられました。良好な関係に見えたし、僕としてはストレスなく入れました。
郷古 マーラー3番を振ったときの彼の気迫は、今まで見たことがないような姿でした。ちょっとこっちが引くぐらいに(笑)
長原 初日のリハーサルから汗だくで、すごくマーラーが好きだっていう気持ちが伝わってきましたね。
―― 改めて、N響に入ってみて、以前と印象の変化などはありますか?
長原 自分が学生の頃にはN響は怖いオケみたいなイメージがありましたが、ここに来て思ったのは、怖いんじゃなくて、みんなが己に厳しいオケなんだなと。自分に厳しく、他人にも厳しい。プロである以上は当たり前のこと。そのレベルが高いので、はたから見ると怖く見えたんだと思います。
郷古 その意味での厳しさっていうのは今でもめちゃくちゃあります(笑)。毎回同じじゃないし、良い意味でのぶつかり合いが来シーズンさらに生まれてくるのかなと楽しみです。ある意味では己を殺して集団に合わせるのは日本人の美徳でもあるし、それが良く作用している部分も大きいけど、常に闘いがあって反発があって、個性が立ってなきゃいけなくて。すごく矛盾したものを抱えているのがオーケストラだと思うんです。

―― N響は来年100周年。節目に向けて今のN響をどういうふうに感じていますか?
郷古 今回のヨーロッパツアーにフルメンバーで行ったことで、良いところや課題をそれぞれが感じて、次のステップに進んでいくと思います。N響は今すごく結束力があって、コンサートマスターも我々の時代になって、これがN響という音を、そのプレゼンスをみんなともっと共有していきたい。
長原 この先は、楽員各々が学んだり指揮者から得られたものを、最初からフルスロットルで出してもらいたい。せっかくN響100年を迎える今、メンバーもだいぶ若返ってきていますし、とにかくみんな持っているものを全部出してほしい。例えば、ヨーロッパではこういう響きだったなとか感じたものを、自分なりに課題を持って、照れずに出す作業をたくさんしていけば、全体がもっと豊かなものになると思います。

郷古 N響独自のカラーが作れたら、さらに面白くなると考えています。
長原 N響はアジアでナンバーワンであり続けなきゃいけないと思います。クラシック音楽家を目指す若者の絶対数が減る中で、自分も将来入りたいと憧れられる日本のオーケストラという存在でありたい。
*****
現在N響はゲスト・コンサートマスターに川崎洋介という経験豊富で身体性もすばらしい奏者も加わっている。「3人のキャラクターが全然違うのがいいですし、スタイルは違うけれど同じところを目指している感じがする」と郷古が語る通り、いずれ劣らぬ名手かつ個性的な3人の柱は見応えも抜群。100周年という大切な節目を通過点として、新たな時代に入るN響はこれまで以上に楽しみな存在となる。

【Information】
NHK交響楽団
問:N響ガイド0570-02-9502
https://www.nhkso.or.jp
※今後の公演の詳細は上記ウェブサイトでご確認ください。

林 昌英 Masahide Hayashi
出版社勤務を経て、音楽誌制作と執筆に携わり、現在はフリーライターとして活動。「ぶらあぼ」等の音楽誌、Webメディア、コンサートプログラム等に記事を寄稿。オーケストラと室内楽(主に弦楽四重奏)を中心に執筆・取材を重ねる。40代で桐朋学園大学カレッジ・ディプロマ・コース音楽学専攻に学び、2020年修了、研究テーマはショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲。アマチュア弦楽器奏者として、ショスタコーヴィチの交響曲と弦楽四重奏曲の両全曲演奏を達成。


