独自のアレンジで生み出すベートーヴェンの交響曲
関西を拠点に演奏活動をつづけるピアニストの田尻洋一。今日までに、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトのピアノ・ソナタ全曲をはじめ、シューマン、ショパン、ブラームスのピアノ作品全曲演奏を成し遂げてきた。
作品が内包する熱量を最大限に発揮させ、客席とステージが一体となる“熱いライブ演奏”にこだわり、あえてセッション録音によるCDのリリースを避けてきた田尻だが、近年は過去のライブ録音のリマスターCDや、無観客ライブ録音によるバッハの『ゴルトベルク変奏曲』などをリリースし、音楽専門誌や新聞などで高く評価されている。
今年、4月から5月にかけてリリースするのは、ベートーヴェンの交響曲第2番と第7番のカップリングと、交響曲第3番「英雄」に序曲「コリオラン」「エグモント」を加えた2枚のCDである。
「様々な作曲家のツィクルス(全曲演奏会)を開催しているうちに、ピアノ独奏曲のほとんどを弾いてしまい、新しいレパートリーを開拓する必要に迫られました。その時に思い浮かんだのが、交響曲をはじめとするオーケストラ作品を自分で編曲することでした」
田尻は自身の編曲を楽譜に記すことはしない。もちろん、オーケストラ・スコアは暗譜し、演奏の方向性は事前に組み立てるものの、細部については演奏会場の響きやピアノの状態などに応じて最良のものに変化させていく。いわば即興的な要素が強い演奏だが、あくまで原曲に最大のリスペクトを持ち、その骨格を正確にトレースする中で、音の厚みやテンポなどを自在に変化させていく。日頃、私たちが聴き慣れているオーケストラの名曲が、たった一人のピアニストによって再現された瞬間、そこには新鮮な驚きと感動が生まれる。
「ベートーヴェンの交響曲には、ピアノ・ソナタ以上にストーリー性のようなものを強く感じます。作品に込めた作曲者の想い、彼自身が心に描く物語を、ピアノという楽器が持つ能力を駆使して、表現してみたいと考えてきました」
この言葉は、交響曲第2番を語るとき現実味を帯びてくる。「第2番は数多くの人々が登場し、それぞれの思いを語るイメージ。その人たちは、正装し、格式ばって美辞麗句を並べるのではなく、個々が生きる喜びに溢れ、自由で溌剌としている。古典派の端正な佇まいの中に、ベートーヴェン流の豪快さが見える作品だと思います」。
今回リリースされる2枚のCD、ベートーヴェンの巨大な作品に注ぐ田尻の眼差しは、熱く、深い。
取材・文:長井進之介
(ぶらあぼ2022年5月号より)