音楽祭の新体制発足と同時にスタートしたユニークな企画
長年、バイロイトの「緑の丘」に演出家・プロデューサーとして君臨してきた巨匠の孫、ヴォルフガング・ワーグナーは、複雑なお家騒動の末に、2008年の音楽祭終了後、自身の二人の(腹違いの)娘であるエーファとカタリーナに後継を託した。ヴォルフガングは10年に逝去するが、エーファとカタリーナの二頭体制は翌09年から始動。親と子ほどに歳の離れたふたりが、ヴォルフガング時代とは異なる新しい試みの一環として立ち上げたのが、将来を見据えた「子どものためのワーグナー」シリーズだった。
6歳から10歳程度の子どもを対象とし、ハンス・アイスラー音楽大学のムジーク・テアター演出部門と共同で、1年に1作を制作し、09年から10年間、順調に回を重ねている。これまでの上演演目は以下の通り。
第1チクルス
2009年: さまよえるオランダ人
2010年: タンホイザー
2011年: ニーベルングの指環
2012年: ニュルンベルクのマイスタージンガー
2013年: トリスタンとイゾルデ
2014年: ローエングリン
2015年: パルジファル
第2チクルス
2016年: さまよえるオランダ人
2017年: タンホイザー
2018年: ニーベルングの指環
09年から7年間で、バイロイトで上演されるすべてのワーグナー作品が完結したことになり、16年からは第2チクルスと称して新しいシリーズが始まっている。16年の《さまよえるオランダ人》でも、17年の《タンホイザー》でも、舞台は現代に置き換えられ、子どもたちにとってより近しい世界へと変貌を遂げていたが、その意味では今年、18年の《リング》の世界は、本来の神話の世界へと戻っており、現代的な要素はほとんど見受けられなかった。
2018年は《リング》を約2時間で上演
11時に始まり、一回の休憩を挟んで14時前には終わる今年の《リング》では、前半が《ラインの黄金》《ワルキューレ》(約1時間)、後半が《ジークフリート》《神々の黄昏》(約1時間)に費やされる。16時間かかる大人の物語は、2時間に凝縮されることになる。もちろん、膨大な作品の情報量をそのまま盛り込むことは不可能なので、登場人物は減らされる。冒頭の《ラインの黄金》ではヴォータン、ローゲ、フリッカ、アルベリヒ、フライア、ミーメ、ファーゾルト、ファフナー、ラインの乙女たちまでが登場する。神々、こびと、巨人族といった登場人物の特徴が視覚的にはっきりと描き分けられているので、個別の役名を覚えられなくとも、それぞれの役割を勘違いすることはないだろう。《ワルキューレ》ではフンディンク、ジークリンデ、ジークムント、ブリュンヒルデは欠かせまい。《ジークフリート》では題名役と小鳥が初登場。《神々の黄昏》ではハーゲンだけに限定されていた。
音楽祭を主催するカタリーナ・ワーグナー、プロデューサーのマルクス・ラッチュが作品を再構成し、マルコ・ズドラレクが作品全体の編曲を担当。ワーグナーの書いた音楽はそのまま活かし、自ら「作曲」して付け加えることはまったくなされていない。ワーグナーの音楽をなによりも大切に考える、バイロイトならではのアプローチと言うべきか。
具体的には、楽曲の一部をそのまま抜き出し、室内オーケストラ編成に編曲したうえで演奏し、合間は地の芝居でつないでいく。物語の前提となる話がもっとも多く含まれる《ラインの黄金》ではこの「抜き出し」が顕著で、ラインの黄金を称える歌、ラインの黄金で指環を作って世を支配するものは愛を諦めなくてはならないと告げる乙女たちの歌、ヴァルハラ城が見事完成したことを喜ぶヴォータンの歌、城を建てる際に交わした約束を守るよう迫るファーゾルトの歌、などは、すべて短く、該当箇所だけが作品から抜粋されている。
その一方で、《ジークフリート》では第1幕の鍛冶の歌が長めに用いられるなど、後に行くに従ってまとまった部分をそのまま使うようになっていく。一方で《神々の黄昏》におけるノルンやギービヒ家を巡るゴタゴタには一切触れられず、序幕&第1幕は完全にカットされていた。指環と名剣ノートゥングを巡る話に収斂され、愛による世界の救済などのテーマが背景に引いていたのは、子どものための改変として致し方ないところか。
制作陣がほどこす工夫は、一方的に舞台側から歌と芝居を発信するだけにとどまらない。子どもたちが直接参加することにも重点を置いており、ライン川の波をかたどった布の端を持って動かしてもらったり、アルベリヒが直接子どもたちにヴォータンの非道さを訴えたり、舞台と客席、双方向のやりとりを随所に取り入れている。
地元マスコミも高評価
バイロイトの地元の新聞、『北バイエルン・クーリエ』紙では、これらの試み全体が好意的に紹介されている(2018年7月25日、Kinderoper: Ein großartiger kleiner „Ring“ von Michael Weiser)。ミヒャエル・ヴァイザー曰く、「演出を担当したダーフィト・メルツは、子どもに理解してもらうため、作品全体を2時間に縮めるという大胆なことに敢えて挑戦し、四部作の各部分を「やすりにかけ」(訳註:《ジークフリート》第1幕でノートゥングを鍛え直す際の言葉遣いを真似ている)、新しく作り上げ、見事成功した。10作目となる「子どものためのオペラ」は、まさに10周年に相応しい内容となった」
子どもはもちろん、大人が観ても充分に面白い「子どものためのオペラ」。来年3月には、バイロイト音楽祭との提携によって、東京・春・音楽祭でこのプロダクションによる《さまよえるオランダ人》が体験できる(この公演には日本人歌手・オーケストラが出演予定/2020年には同提携による《トリスタンとイゾルデ》も上演)。
取材・文:広瀬大介
東京・春・音楽祭-東京のオペラの森2019-
子どものためのワーグナー《さまよえるオランダ人》については、以下のウェブサイトをご覧ください。
http://www.tokyo-harusai.com/news/news_5860.html
東京・春・音楽祭
http://www.tokyo-harusai.com/