交響曲の“朝”と“悲劇的”な到達点
さて、ハイドンの第6番「朝」は、十数人の小編成によるバロックの合奏協奏曲的な作品。明るく爽やかな音楽は、まさに“交響曲の朝”を思わせる。かたやマーラーの第6番「悲劇的」は、100人近い大編成による重層的で壮絶な音楽。衝撃的なハンマーの一撃は“交響曲の終焉”を示唆するかのようだ。両曲をいかに対照させ、等しい感銘をもたらすか? そこが今回の肝となる。マイスターはこれまで、力づくでない爽快な演奏を披露。特に読響との「アルプス交響曲」は、各場面の音の綾を浮き彫りにした、颯爽たる快演だった。かような特質は、大小各編成で絶妙に音が綾なす本プログラムで、大いに生きるに違いない。またハイドンでは読響の名手たちのソロ、マーラーでは日本随一の壮麗なサウンドと近年増した精緻さが強力な武器になるであろう。
このプログラムは指揮者たっての希望だという。“マイスター=名匠”の手腕に期待がかかる。
文:柴田克彦
(ぶらあぼ + Danza inside 2016年7月号から)
第560回 定期演奏会
7/14(木)19:00 サントリーホール
問:読響チケットセンター0570-00-4390
http://yomikyo.or.jp