
まっすぐ誠実に、強く、しなやかに。だからこそ聴き手の深くにすっと響いてくるのだ。その曲に響く吟味された音はこびや音色には、創ったその人の真摯さも暖かみも感じられるよう。──90歳を迎える作曲家・田辺恒弥が、戦後の20歳代に書いた青春の作品から、熟達を究めて自在な広がりを魅せる近作まで……長い創作の軌跡を回顧するソロ・室内楽曲を並べた作品展を開催する。
「私の作曲には『先駆的なものを創ろう』といった考えは昔も今もないんですよ」と田辺は語る。
「私たちがバッハやモーツァルトの音楽を思い出すとき、作曲家の顔や人生ではなく“音楽そのもの”を思い出しますが、そうした彼らの作品が時代を超えてきたのは、専門家でなければ分からない音楽ではなく、人間存在の本質に結びついているからだと思う。私も、そういう音楽を目指してきました」
たとえば今回の作品展の最後を飾る力作、弦楽四重奏のための「バッハ(BWV768)による五つの変容」は、「自分の人生や創作を客観的に振り返ってみると、バッハが出発点でもあり、麓にすらたどり着かないところでもある」と語る田辺だからこその強靱な音宇宙だろう。バッハのコラールから(鋭い緊張感と共に)暗い深淵がひらき、魂の動きをなぞるような弦楽の叫びも満ちて流れ……しかし激しい変容はやがて、美しく熱い祈りの歌へと、甦るように融けてゆく。奇をてらわず、しかし選び抜かれた音の厚みと流れには、聴き手を確かにつかむ説得力がある。
「僕はあくまで“僕自身のリアリティ”の中で創る」と、作曲家は優しい目で、しかしはっきりした口調で語る。オーケストラ曲や吹奏楽曲のほか、世界中で愛奏されているマリンバ作品の数々など、多彩な作品を生み続けてきた彼は、40年以上も武蔵野音大の教壇に立ち、彼の講じる音楽理論に目を啓かれて巣立っていった後進の音楽家もたいへん多い。
その一人でもあり、田辺作品を世界に広めてきたマリンバ奏者・名倉誠人をはじめ、優れた演奏家たちが集まる今回の作品展、「演奏技術をひけらかす作品を創ることができないわけじゃないけれど、むしろそれらを排除して、本質的なものへ……」と言う田辺の信念に応える熱演が期待できよう。陰翳深いサクソフォン作品のほか、日本語の美しい可能性を独自の語法で拓いた歌曲や、ピアノ曲「衝動の幾何学的軌跡」(初演)、子ども向けに書かれながら深い内容を持つピアノ小品集「窓」から……など多彩なプログラム、凛と美しい時間を体感したい。
取材・文:山野雄大
(ぶらあぼ2025年11月号より)
田辺恒弥作品展―ソロと室内楽の領域―
2025.12/24(水)19:00 東京文化会館(小)
問:ムジカキアラ03-6431-8186
https://www.musicachiara.com

