ピアニスト谷昂登、2025北九州国際音楽祭でハーゲン・クァルテットと共演——原点と意気込みを語る

谷昂登 ©井村重人

10月に開幕する北九州国際音楽祭。この地で生まれ育ったピアニスト・谷昂登さんは、13歳で音楽祭に初出演して以来、室内楽に取り組み続けてきました。今年の音楽祭では、2025/26シーズンでの引退を発表した世界的弦楽四重奏団「ハーゲン・クァルテット」とシューマンのピアノ五重奏曲に挑みます。活動の原点となった音楽祭での経験、そして特別な舞台に向けた意気込みを伺いました。

—— 谷さんがピアノを始めたきっかけと、恩師である永野栄子先生との出会いについて教えてください。

 ピアノを始めたのは兄の影響です。師事した永野栄子先生はモスクワ音楽院で学ばれた先生で、当時小さい子を教えるのは、ほぼ初めてだったようです。一般的な教材というよりも、永野先生は私が進んで弾きたい曲を優先的に弾かせてくれました。私は、子どものころから短調の音楽や暗い雰囲気の曲が好みでした。先生は丁寧に指導してくださいましたが、「ステージで弾く本番では、全てを忘れて弾きなさい」とおっしゃっていたのが印象的な教えです。
 永野先生の影響は大きく、ロシア・ピアニズムの系譜にあるギレリスやネイガウス、ソフロニツキーの演奏に興味をひかれ、幼いころからいろいろなCDを聴いてきました。それ以来、YouTubeで往年のピアニストたちの演奏を聴き続けています。先日、霧島国際音楽祭にてレッスンを受けたヴィルサラーゼ先生の音楽にも多くの刺激を受けています。

―― 現在はドイツに留学し、ケルン音楽大学で学んでおられますね。

 ドイツでの学びで印象的なことは、構成感、構築力についてです。曲全体の中でのフレーズの長さ、モチーフの関係性などを整理し、それを聴衆に届ける演奏には何が必要か。そうした構成について学びを深めています。この2年はブラームス、シューマンから勉強を始め、シューベルトやベートーヴェン、バッハへと辿り、ドイツ音楽の基本を勉強してきました。

5歳頃の谷さん。北九州市立響ホールでの発表会にて(本人提供)
2024年夏、ケルン大聖堂をバックに(本人提供)

―― 谷さんと北九州国際音楽祭との関わりについて聞かせてください。

 最初に出演したのは13歳の時で、2016年の特別プログラムで「動物の謝肉祭」でした。そこで、同郷でもある篠崎史紀(まろ)先生と共演することができて光栄でした。私にとっては北九州国際音楽祭が室内楽の経験の始まりでした。最初は第一線で活躍されている方々との共演に不安や緊張がありましたが、彼らの音楽を身近で感じ、室内楽の魅力にひきこまれました。弦楽器とのコミュニケーションの取り方やバランス、リハーサルを通じて音楽作りをとても緻密に教えていただきました。そして、それが今の自分の基盤になっています。

 これまでの公演で一番印象に残っているのは、2022年の特別演奏会で、シューマンとドホナーニのピアノ五重奏曲を共演したことです。ヴァイオリンはまろ先生と倉冨亮太先生、ヴィオラが佐々木亮先生、チェロが桑田歩先生でした。リハーサル以外の時間では、歴史的な演奏家についてや、様々な視点からの音楽の捉え方のお話なども伺うことができ、大変勉強になった時間を過ごしました。まろ先生にはSPレコードを聴かせていただいたこともあり、音の響きの違いにとても感激したのを覚えています。

2016年の特別プログラムの様子。「動物の謝肉祭」で永野先生(右)とピアノパートを担当した谷さん(左)

―― その思い出のシューマンのピアノ五重奏曲を、今年の音楽祭ではハーゲン・クァルテットと共演されます

 私が室内楽の勉強を始めた頃から演奏を聴いてきた素晴らしいカルテットなので、この共演のお話をいただいた時にはすごく驚きました。彼らには語るような音、上品さや華麗さもある音楽といった印象を持っています。
 この作品は、ピアノと弦楽四重奏とが一対一になるようなところや、ピアノと一つの弦楽器がデュオになるなど、さまざまな場面が混ざり合っています。第1楽章の最初のメロディが第4楽章でまた戻ってくるところはドイツ的な構築力を感じますし、一方で多様な音楽的キャラクターもあり、浮き沈みが激しい展開にはシューマンの多重人格的な音楽の魅力を感じます。シューマンは私がすごく共感する作曲家の1人です。曲想には苦しみの果てに見出す希望や、手に届かないものへの憧れがある。そのコントラストが美しいと感じます。

ハーゲン・クァルテット ©Harald Hoffmann

―― 谷さんにとって北九州国際音楽祭とは?

 まろ先生を中心としたオーケストラ企画など、特徴的なコンサートが多く、個性的なカラーのある音楽祭です。思いの込もった演奏を伝える素晴らしいアーティストが集まる音楽祭で、その演奏を身近に聴けるのは貴重な機会だと思います。
 北九州市は豊かな自然に囲まれ、海も近い街ですが、明治時代のレトロな西洋を感じることもできます。また、祭りが盛んな街ですので、伝統を引き継ごうという精神に溢れているところもヨーロッパと通ずるところがあると思います。ぜひ、多くの方にいらしていただきたいと思います。

―― 8月30日には、篠崎さんが指揮する九州交響楽団との共演もありますね。

 九響さんとは一度、チャイコフスキーのピアノ協奏曲で共演させていただいたことはありますが、今回はモーツァルトのピアノ協奏曲第17番を演奏します。
 モーツァルトは苦悩や悲しみの感情を昇華させているように感じます。第3楽章のモチーフはモーツァルト自身がとても気に入っていたという記録が残されていて、彼自身も納得のいった協奏曲だったようです。私自身は、管楽器セクションがモチーフの中でそれぞれの楽器の特性を生かし、分担させている箇所や即興性に富んでいる点が気に入っています。

取材・文:飯田有抄
写真提供:北九州国際音楽祭/北九州市立響ホール


2025北九州国際音楽祭
ハーゲン・クァルテット(弦楽四重奏)with 谷昂登(ピアノ)

2025.11/15(土)14:00 北九州市立響ホール

ハイドン:弦楽四重奏曲第74番 ト短調 op.74-3 Hob.Ⅲ:74「騎士」
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第16番 ヘ長調 op.135
シューマン:ピアノ五重奏曲 変ホ長調 op.44

問:北九州市芸術文化振興財団 響ホール音楽事業課093-663-6661
https://www.kimfes.com

九州交響楽団
第79回北九州定期演奏会

2025.8/30(土)15:00 J:COM北九州芸術劇場


出演
篠崎史紀(指揮&ヴァイオリン)
谷昂登(ピアノ)

曲目
モーツァルト:
 ロンド ハ長調 K.373
 ピアノ協奏曲第17番 ト長調 K.453
ベートーヴェン:交響曲第7番 イ長調 op.92

問:九響チケットサービス092-823-0101 ※残席僅少
https://www.kyukyo.or.jp


飯田有抄 Arisa Iida(クラシック音楽ファシリテーター)

音楽専門誌、書籍、楽譜、CD、コンサートプログラム、ウェブマガジン等に執筆、市民講座講師、音楽イベントの司会等に従事する。著書に「ブルクミュラー25の不思議〜なぜこんなにも愛されるのか」「クラシック音楽への招待 子どものための50のとびら」(音楽之友社)等がある。公益財団法人福田靖子賞基金理事。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学院修士課程修了。Macquarie University(シドニー)通訳翻訳修士課程修了。