藤原歌劇団創立90周年記念公演のトリを飾る《ファルスタッフ》がまもなく開幕

巨匠ヴェルディの最後のねらいを音楽的、視覚的に見事に表現!

左より:ロビン、バルドルフォ(井出司)、ファルスタッフ(上江隼人)、ピストーラ(伊藤貴之)

 悲劇の傑作を次々と送り出したヴェルディが、偉大なキャリアの最後の最後に作曲した喜劇《ファルスタッフ》。シェイクスピアの戯曲が原作の、酒飲みで強欲だが憎めない老騎士が、ウィンザーの女房たちにやり込められる物語で、劇中の言葉が音楽と溶け合って万華鏡のように千変万化する。まさに極上のオペラである。

 精巧な工芸品のようでもあるから上演は簡単ではないが、藤原歌劇団創立90周年記念公演の《ファルスタッフ》は、このオペラの骨格とディティールがしっかりと押さえられていた。2月1日と2日に東京文化会館、8日に愛知県芸術劇場で上演されるが、上江隼人が題名役を歌う1日&8日組のゲネラルプローベ(最終総稽古)を取材した。
(2025.1/30 東京文化会館 取材・文:香原斗志 撮影:寺司正彦)

左:フェントン(中井亮一) 右:ナンネッタ(光岡暁恵)

 すぐに感じられたのは、上江隼人が歌うファルスタッフのすばらしさだった。イタリアでも評価された日本を代表するヴェルディ歌いの上江だが、さらに突き抜けた感がある。洗練された声が少しの無理もなく発せられ、美しいイタリア語を紡いでいく。それも、悲劇作品で磨いてきたスタイリッシュなレガートに、逐語的な表現を自在に織り込んで、滑稽味をふくむ種々の味わいをにじませる。押しつけるのではなく「にじませる」から味わい深いのである。

 また、上江の表現は縦横無尽だがアクがない。それはヴェルディがキャリアの最後にたどり着いた洒脱な世界との相性が非常にいい。フォード役の岡昭宏も同じバリトンだが、若々しい声によるスタイリッシュな歌唱で、ファルスタッフとの差異が明瞭だ。それでいて上江と同様にアクがないので、ともに洒脱な世界を深掘りできている。

左:クイックリー夫人(松原広美)

 この2人をはじめとして、イタリア語のディクションに関しては、藤原歌劇団の強みが感じられた。なにしろ逐語的な表現のオンパレードのようなオペラだから、ディクションに問題があると、一気に質が低下する。その点、冒頭から歌う医師カイウス役の所谷直生にはじまり、ドラマを大きく動かすクイックリー夫人役の松原広美まで言葉がしっかりしており、安心して鑑賞できたことは大きい。

フォード(岡昭宏)

ファルスタッフの内面を描きつくした上江隼人

 ヴェルディは、断片であっても旧来のイタリア・オペラらしい美しい旋律を織り交ぜることも忘れなかった。その典型が第3幕第2場、フェントンのソロにナンネッタの声が重なる箇所である。若い2人の甘美な恋愛に関しては、音楽に旧来の形式を導入してドラマの流れから切り離したのはヴェルディの卓見だと思う。フェントン役の中井亮一とナンネッタ役の光岡暁恵が、ベルカント・オペラに通じる美しいレガートを聴かせ、ヴェルディがねらったとおりの効果を生み出していた。

左より:メグ・ページ(古澤真紀子)、ナンネッタ(光岡暁恵)、クイックリー夫人(松原広美)
左より:クイックリー夫人(松原広美)、メグ・ページ(古澤真紀子)、アリーチェ(山口佳子)、ナンネッタ(光岡暁恵)

 時任康文が指揮する東京フィルハーモニー交響楽団は、こうした音楽の流れやアクセントに柔軟に対応し、歌唱に寄り添い、ともに色彩を織り成していた。力が入りすぎてはいけない。だが、メリハリは欠かせない。《ファルスタッフ》ならではの難しい注文によく応えていた。

 演奏全体がこうしたツボをしっかり押さえながら進行するなか、上江のファルスタッフは変幻自在だった。テムズ川に投げ込まれての嘆きと諦念、クイックリー夫人におだてられてまた湧き上がる情念、やり込められての這う這うの体、なんとか体面を取り繕ってからの極上のフーガ。その間の内面の変化を、上江は声に加えるニュアンスで表現しつくし、脱帽するしかなかった。

 そんなファルスタッフには小姓のロビンという黙役がいる。岩田達宗の演出では、それを女性ダンサーが演じ、いつもファルスタッフに寄り添いながら、主人の内面を身体で表現した。それは上江が声によって醸し出すニュアンスを視覚化するようで、非常に効果的だった。

 むろん、岩田の演出による効果はそれにとどまらない。美術は2024年12月に神戸文化ホールが主催した公演と基本的に同じものだが、第1幕の宿屋と酒場を兼ねたガーター亭の一室からして丁寧に造り込まれ、しかも、猥雑さが表現されながら洒脱な音楽とマッチするという絶妙のもの。それが回り舞台になっていて、回転するとフォード邸の庭先に、ウィンザーの森に、と見事に転換する。

 じつは《ファルスタッフ》は3つの幕のすべてにおいて、第1場でファルスタッフの世界を、第2場でウィンザーの人々の世界を描いている。こうしてシンメトリーの構成にすることでドラマが整理されているのだが、それを視覚的に鮮やかに表したという点でも、非常にすぐれた演出だった。

藤原歌劇団創立90周年記念公演
ヴェルディ《ファルスタッフ》ニュープロダクション

(全3幕・字幕(日本語/英語)付き原語(イタリア語)上演)

2025.2/1(土)、2/2(日)各日14:00 東京文化会館
2/8(土)14:00 愛知県芸術劇場


総監督:折江忠道
指揮:時任康文
演出:岩田達宗

美術:松生紘子
衣裳:緒方規矩子
照明:大島祐夫
振付:古賀豊

出演
ファルスタッフ:上江隼人(2/1, 2/8) 押川浩士(2/2)
フォード:岡昭宏(2/1, 2/8) 森口賢ニ(2/2)
フェントン:中井亮一(2/1, 2/8) 清水徹太郎(2/2)
アリーチェ:山口佳子(2/1, 2/8) 石上朋美(2/2)
ナンネッタ:光岡暁恵(2/1, 2/8) 米田七海(2/2)
メグ・ページ:古澤真紀子(2/1, 2/8) 北薗彩佳(2/2)
クイックリー夫人:松原広美(2/1, 2/8) 佐藤みほ(2/2)
カイウス:所谷直生(2/1, 2/8) 及川尚志(2/2)
バルドルフォ:井出司(2/1, 2/8) 川崎慎一郎(2/2)
ピストーラ:伊藤貴之(2/1, 2/8) 小野寺光(2/2)

管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団(東京)
    名古屋フィルハーモニー交響楽団(愛知)
合唱:藤原歌劇団合唱部

問:日本オペラ振興会チケットセンター03-6721-0874
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