名手それぞれの個性花開くソロ、日本が誇る実力派と共演する室内楽
文:青澤隆明
東京・春・音楽祭は例年、室内楽や器楽にもこまやかな目配りを利かせている。ピアノ音楽のまとまったプロジェクトも錚々たる名手と多彩に実らせてきて、昨春はルドルフ・ブッフビンダーがベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲を熱く弾ききった。
そして、これは大事なことだが、老いてもいないし決して若くもなく、欧米で充実した活躍を続けるピアニストを、しっかりとしたプログラムで紹介してきたのも頼もしいところである。さらにソロだけでなく、“巨匠”と呼ばれる年代のベテラン奏者から若手まで、世代を超えたアンサンブルを組み、時代や経験の財産を、未来へと手渡そうという意志を感じさせる。リッカルド・ムーティが東京春祭オーケストラやイタリア・オペラ・アカデミーで体現するものを、室内楽の分野でも濃密に受け継いでいこうと配慮しているのは素晴らしいことだ。

©増田雄介
この春は、ウィーンで大いに愛されてきたブッフビンダーと、長くドイツを拠点とするキリル・ゲルシュタインのふたりが、それぞれにソロと室内楽のプロジェクトを展開していく。
ブッフビンダーは1946年、ボヘミア地方の生まれで、ウィーンの音楽伝統を汲みつつ、70歳代に入ってなお大らかな自由を謳歌するピアニスト。ゲルシュタインは1979年、ソヴィエト連邦のヴォロネジ生まれで、クラシックを学ぶが、ゲイリー・バートンとの出会いからジャズに大きく傾倒して、14歳でバークリー音楽大学の最年少の学生となった後、マンハッタン音楽学校でクラシックを学び直したという異色の経歴の持ち主。同時代作品への関心も示しつつ、それぞれのやりかたで演奏表現の自由を探ってきた名手ふたりと言える。


キリル・ゲルシュタインは、質量ともに豊かな音を明朗に響かせ、弾力あるリズムをもって音楽を躍動させる。いちばんの持ち味は、彼の音楽のしなやかな柔軟性だろう。即興的な自由を大胆に加味することを怖れず、かなり色の強いピアニストである。ロシアとアメリカのよいところがうまく結びついたうえ、ドイツ的な構築性も踏まえている、というふうに彼の出自や経歴を捉えることもできるだろう。同時代の作曲家との交流にも熱心で、チック・コリアやブラッド・メルドーといったジャズの偉才にも作品委嘱や初演を行ってきた。
ところが、さほど日本での実演に恵まれているとは言えないだろう。直近で思い出されるのは2023年7月に、アラン・ギルバート指揮東京都交響楽団と聴かせたラフマニノフの協奏曲第3番。即興的な趣が色濃い自在な演奏で、ゲルシュタインの達者なピアニズムが披露されていった。ラフマニノフのようにストイックではなく、むしろ甘美に快楽主義的な耽溺も感じられたが、すべてが滑らかで艶やかに描き出されるところは名手の手の内というほかない。
東京でのリサイタルは、パンデミックの渦中に入る間際の2021年1月以来となるだろうか。あのときはドビュッシーのエチュードに、ハイドン、ベートーヴェン、シューベルトは「さすらい人」のファンタジーを組み合わせた独自のプログラムを、実に鮮やかに、楽々と弾ききっていた。この後、同年12月には、生徒であり友人である藤田真央とデュオを組んでの来日が予定されていたがもち越され、今年12月にようやく実現する模様だ。
東京春祭には満を持しての初登場となるが、ゲルシュタイン独自のリサイタル・プログラムと、期待の気鋭カルテット・アマービレとのブラームスという、大きく趣も異なる二夜が組まれた。彼のフレキシブルな懐の大きさと、自在で闊達な表現が発揮されることだろう。

リサイタルは、シューマンの「謝肉祭」と、ラヴェルの「ラ・ヴァルス」を中心に据えつつ、“花”と“ワルツ”を主題に織りなされる多彩な構成。時代も国も様式も作風もかなり多様で、チャイコフスキー(おそらくはパーシー・グレインジャーの編曲で演奏されると思われる)とラフマニノフというロシア生まれの選曲もあれば、クルターグ、さらにゲルシュタインと交流の深いトーマス・アデス、その弟子フランシスコ・コーイの作品も盛り込まれている。アデスの「Az ág」は2022年に書かれた掌編、「スリフト」は2011年の作。コーイは1985年、ヴァレンシアに生まれた作曲家で、これが日本初演となるだろう新作はゲルシュタインのために書かれ、昨年12月に彼の手で初演されたばかり。これまでもガルシア・ロルカの詩作に啓発されてきたフランスコ・コーイ・ガルシアだが、「文明に向かう2つのワルツ」はその最新の成果とみられる。多彩な一夜を通じて、どのような花束が編まれ、舞い踊られていくことになるのだろう。
いっぽうで、ドイツで長く教鞭を執るゲルシュタインが、若い世代のカルテット・アマービレと、ブラームスの四重奏曲第2番 イ長調 op.26と五重奏曲 ヘ短調 op.34に集中するのも大きく注目される。

そして、近年来日も多く重ねるルドルフ・ブッフビンダー。この春のテーマはシューベルトである。まずはリサイタルで、「4つの即興曲」D899と変ロ長調ソナタ D960という早すぎた晩年の名作を弾く。2012年秋にウィーン、ムジークフェラインザールでレコーディングにもまとめている得意曲のカップリングだ。
室内楽はN響メンバーとの共演で、三重奏を主に、まずは若い世代、追ってベテラン世代の名手が集うのも興味深い。トリオづくしの第1夜は最近のN響の躍進を担うヴァイオリンの郷古廉とチェロの辻本玲とともに、やはり晩年の変ロ長調 D898と変ホ長調 D929を聴かせる。

そして第2夜は、まずヴァイオリンの堀正文、チェロの藤森亮一とのトリオで、若書きのピアノ三重奏曲変ロ長調 D28、晩年に書かれたもうひとつの三重奏曲変ホ長調 D897「ノットゥルノ」を組み合わせた後、ヴィオラの佐々木亮、コントラバスの市川雅典が加わり、人気の五重奏曲イ長調 D667「ます」で締めくくる多彩な構成だ。

(堀正文:©青柳聡、佐々木亮:©TAISUKE YOSHIDA)
「継続するクレッシェンド」と自身のキャリアを称していたブッフビンダーだけに、近年の演奏では伸びやかな感情表現や即興的な清新さもより自由に息づくようになってきたとみられる。より若き世代のゲルシュタインのブラームスとともに、東京春祭のピアノを含む室内楽に、大らかな存在感を実らせることだろう。
キリル・ゲルシュタイン(ピアノ)の世界 I ー solo
2025.4/3(木)19:00 東京文化会館(小)
●曲目
シューマン:花の曲 変ニ長調 op.19
T.アデス:Az ág (The Branch)
シューマン:謝肉祭「4つの音符による面白い情景」 op.9
G.クルターグ:「遊び 第1巻」より〈花、私たちは…〉
T.アデス:スリフト
ラフマニノフ:リラの花 変イ長調 op.21-5
チャイコフスキー:組曲「くるみ割り人形」op.71より〈花のワルツ〉
F.コーイ:文明に向かう2つのワルツ──ロルカ詩集『ニューヨークの詩人』によせて
ラヴェル:ラ・ヴァルス ニ長調
●料金(税込)
¥6,000(全席指定)
U-25 ¥2,000
※U-25チケットは2/14(金)発売
キリル・ゲルシュタイン(ピアノ)の世界 II ー 室内楽
2025.4/5(土)18:00 東京文化会館(小)
●出演
ピアノ:キリル・ゲルシュタイン
弦楽四重奏:カルテット・アマービレ
ヴァイオリン:篠原悠那、北田千尋
ヴィオラ:中恵菜
チェロ:笹沼樹
●曲目
ブラームス:
ピアノ四重奏曲第2番 イ長調 op.26
ピアノ五重奏曲 ヘ短調 op.34
●料金(税込)
¥7,500(全席指定)
U-25 ¥2,000
※U-25チケットは2/14(金)発売
ルドルフ・ブッフビンダー(ピアノ)シューベルトの世界 I
ソロ・リサイタル
2025.4/15(火)19:00 東京文化会館(小)
曲目
シューベルト:
4つの即興曲 D899
ピアノ・ソナタ 第21番 変ロ長調 D960
●料金(税込)
¥7,500(全席指定)
U-25 ¥2,000
※U-25チケットは2/14(金)発売
ルドルフ・ブッフビンダー(ピアノ)シューベルトの世界 II
N響メンバーとともに
2025.4/18(金)19:00 東京文化会館(小)
●出演
ピアノ:ルドルフ・ブッフビンダー
ヴァイオリン:郷古廉
チェロ:辻本玲
●曲目
シューベルト:
ピアノ三重奏曲 第1番 変ロ長調 D898
ピアノ三重奏曲 第2番 変ホ長調 D929
●料金(税込)
¥8,500(全席指定)
U-25 ¥2,000
※U-25チケットは2/14(金)発売
ルドルフ・ブッフビンダー(ピアノ)シューベルトの世界 III
N響メンバーとともに
2025.4/19(土)18:00 東京文化会館(小)
●出演
ピアノ:ルドルフ・ブッフビンダー
ヴァイオリン:堀正文
ヴィオラ:佐々木亮
チェロ:藤森亮一
コントラバス:市川雅典
●曲目
シューベルト:
ピアノ三重奏曲 変ロ長調 D28
ピアノ三重奏曲 変ホ長調 D897「ノットゥルノ」
ピアノ五重奏曲 イ長調 D667「ます」
●料金(税込)
¥8,500(全席指定)
U-25 ¥2,000
※U-25チケットは2/14(金)発売
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