草書体のシューベルト
ピアニストの伊藤恵が2008年より毎年開催してきた『新・春をはこぶコンサート』。シューベルトを軸にしたこのシリーズが4月の第8回で最終回を迎える。そこで伊藤が取り組むのは第1回のプログラムと同じ、シューベルトの最後の3つのソナタだ。
「第1回で、初めて3曲を一晩で弾きました。シューベルトは若くして亡くなったこともあり、死や孤独の概念が音楽に占める割合が多い。それらを表現するには、08年の時点で私が彼より年上になっていたとはいえ、非常に難しかったです」
しかしながら、ミュンヘン国際音楽コンクールで第19番を演奏し、日本人初の優勝を果たしている。
「ミュンヘン国際の後、シューベルトを人前で弾くことを20年間封印してきましたが、いつの間にか彼のお母さんともいえるような歳になって、このまま弾かないのも寂しいなと思うようになりました。10年前から思い切って取り組むようになりましたが、今思えば、若い時だからこそ出来たことも沢山ありましたね」
シリーズ開始から8年という歳月は長いようで短い。しかし、この期間に伊藤は様々なシューベルトの作品に誠実に取り組み、彼が作品の中に込めた死や孤独、そして絶望の中にある希望といったものに深く向かい合ってきた。伊藤のアプローチのさらなる深化に強い期待を寄せずにはいられない。
「以前、ある方が『伊藤さんのシューベルトは楷書体のようだから、草書体になるといいね』とおっしゃったのです。実際、シューベルトの音楽から私の自由な世界をどれだけ見つけるかが重要なのですよね。今思い出しても第1回の時の緊張は凄くて、とにかく『弾いた!』という感じでした。これらの作品は、それぞれの音に込められたイメージ、内容、テンションがあまりにも深く、命がけで書かれたことを強く感じます」
これまでシューベルトに対して直球勝負を続けてきたという伊藤。「とにかくできることを精いっぱいやるしかないのですが」と笑いつつ今後の抱負を語ってくれた。
「これからは“変化球”も投げていきたい。今回、そしてこれまで使用してきた紀尾井ホールの空間は、まるで演奏することを歓迎してくれているようで本当に神秘的です。ですから“紀尾井”なのに、“気負い”はないですね(笑)。ホールの助けも借りながら、新しい私のシューベルトをお聞かせできるのでは、と思っています」
今後も「ライフワークとして大切に弾き続けたい」という3つのソナタ。伊藤の変化し続けるアプローチが楽しみだ。
取材・文:長井進之介
(ぶらあぼ + Danza inside 2015年4月号から)
新・春をはこぶコンサート 最終回 伊藤 恵 ピアノ・リサイタル
4/29(水・祝)14:00 紀尾井ホール
問 カジモト・イープラス0570-06-9960
http://www.kajimotomusic.com/jp/ticket