小菅 優(ピアノ)

ベートーヴェンをより好きになってもらえる、そんな演奏会にしたい

©Marco Borggreve
©Marco Borggreve
 2010年に開始した小菅優によるベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲演奏シリーズが、フィナーレを迎える。
「自分でも驚いているのは、全てのソナタを演奏してゆくうちに、私にとって神のような存在だったベートーヴェンに対して、彼も普通の人間だったのだと感じるようになったことです。32曲のソナタからは、彼が多くの苦悩を乗り越えてきたことがよくわかります。人の心情や、世の中で起きることに対して持つ感情というのは、いつの時代も共通しているのだと感じて、親近感がわいてきたのです」
 大作曲家と自身の葛藤を重ねあわせるのは精神的負担の大きい作業だが、「ベートーヴェンが好きだから、辛さは覚悟のうえで取り組んできた」という。そしていよいよ、最後の3つのソナタにたどり着いた。
「3作品それぞれが異なる個性を持っていますが、共通しているのは、人間の優しさ、善良さ、純粋さを歌っているところです。苦悩を越えた後の救済や平和を感じます。前回取り上げた『ハンマークラヴィーア』は一つの山でしたが、あの大規模な作品を書いたあと、短い中でこれほど内容の詰まった作品を書く境地に達したわけです。また興味深いのは、32曲あるソナタの第1番がドで始まり、第32番の最後の音もドで終わるところ。32番は天に昇るように結ばれ、“33番”の存在など考えられない見事な形で完結します」
 小菅の奏でるベートーヴェンは、強くしなやかであたたかい。驚くほどに多彩な音色が現れ、時に優しく、時にユーモラスに語りかけてくる。
「ピアノ曲ではなく、オーケストラや室内楽のような感覚で作品を捉えています。そして、自分の音をよく聴きながら、思い描いた音を出してゆく。本番では、考えてきたことを全て捨ててステージに立ちます。指に刻まれたものを頼りに、その時の心境、ホールやお客様の雰囲気に応じて、自然に音楽を創ります」
 もともと彼女がこのシリーズを始めたのは、同世代の人たちにベートーヴェンの真のメッセージを届けたいと考えたことからだった。実際、コンサートには多くの若者が足を運んでいる。
「現代は情報が溢れ、有名なソナタの一楽章などを手軽に聴くことができますが、それでベートーヴェンの本当のメッセージが伝わるとは思えません。全ソナタを辿ることで、人間が持つ昔から変わらない感情について、少しでも考えてもらうきっかけを作りたかったのです。このシリーズが終わった後も、演奏を聴いた方が何かを考え、ベートーヴェンをより好きになる、そんな演奏会にしたいと思っています」
 自らの演奏が人の心に届いた、そのずっと先のことまでを、今の小菅は見据えている。
取材・文:高坂はる香
(ぶらあぼ + Danza inside 2015年2月号から)

ベートーヴェン・ピアノ・ソナタ 全曲演奏会シリーズ 最終回(全8回)
3/19(木)19:00 いずみホール
問:いずみホールチケットセンター06-6944-1188 
http://www.izumihall.co.jp
3/21(土・祝)18:00 紀尾井ホール
問:カジモト・イープラス0570-06-9960 
http://www.kajimotomusic.com