辰巳美納子(チェンバロ)

スカルラッティのソナタは未知なる魅力に満ちた「感動の宝庫」

(c)Masashige Ogata

 「今回の録音演奏はバッハのどんなに難しい曲とも違うアプローチでしたね。どんな作品でも演奏で差をつけることはありませんが、演奏の結果として出てくる音に関してスカルラッティは特別です。その表現のために、使ったことのない奏法を含めた自分にできるすべてを注ぎ込みました」と語る辰巳美納子。チェンバロ奏者として大いなる道標ともいえるドメニコ・スカルラッティの『チェンバロのためのソナタ集 Vol. 2』が発売される。

 スカルラッティのソナタといえば、単一楽章の軽やかな作品集というイメージが一般的だが、どっこいその世界は実に深く多彩なのだ。辰巳曰く「全部で560近くあるソナタの中から、ぜひともこれを聴いていただきたいという曲を厳選しました。知られざる彼の姿とその驚きの世界を伝えられたら…」

 ナポリ派オペラの創始者として高名な父アレッサンドロの六番目の子として生まれ、ヴェネツィアやローマで活動後、ポルトガルの宮廷礼拝堂楽長兼マリア・バルバラ王女の教育係となり、彼女がスペイン王室に嫁ぐと共にマドリッドに移り、生涯音楽の師として仕え続けた。

 「9歳のバルバラ王女に初めて仕えて以来、お互いに常に尊敬しあっていたと思います。長い年月をかけて彼女のために書いたソナタ集ですが、王女が非常に優れた音楽理解者で演奏者でもあったのでしょう。スカルラッティの作品の深みや表現の自由が、最初からどんどん深化してゆくのが本当に素晴らしい」

 「曲がとても多彩な形態なのも面白くて、気怠い夏の夜に聞こえてくる歌のような音楽あり、舞曲風の曲もあり、カスタネットのようなイベリア半島特有の鳴り物が聞こえてくるものもあります。さらに予期せぬ不協和音、転調や音のグラデーション…と言葉では言い尽くせないニュアンスと感動の宝庫なんですよ」

 スカルラッティのソナタの「未知なる魅力」を余すところなく描く楽器は、辰巳が30年来愛奏するブルース・ケネディ製作のフレミッシュ・チェンバロだ。

 「スカルラッティがバルバラ王女と出会ったのも素晴らしい運命ですが、私がこの楽器と出会えたのも、それに匹敵する出来事。世界中にある彼の楽器の中でも五指に入れたいくらいの私の秘蔵っ子です(笑)」

 これほどまでに惚れ込む名器での録音に加え、藤原一弘氏の解説も実に的確。実際のファクシミリ筆写譜を引用しながらの作品解説が、スカルラッティの唯一無二の魅力と面白さをしっかり解き明かしてくれる。

 豊穣にして秀逸なる一枚。
取材・文:朝岡 聡
(ぶらあぼ2023年7月号より)