text:林 昌英
星の数ほどの名作があり、多様な楽しみ方ができるクラシック音楽。それらの中でも、多くの日本のリスナーにとって“花形”と言えるジャンルは、やはり交響曲(シンフォニー)ではないだろうか。特に今世紀に入ってから、最新の研究が進んで情報も増え、聴きなれた名作が斬新な解釈で生まれ変わり、逆にほとんど知られていなかったレア演目の体験機会が増えるなど、楽しみ方は広がり続けている。本連載では、そういったシンフォニーの中でも、この数十年で演奏機会が増えた曲、新たに注目され始めた曲、ちょっとしたブームになった曲など、21世紀の今ならではの視点で“シンフォニーの名曲”を見直していきたい。
ハンス・ロット 交響曲第1番 ホ長調
──マーラーと同時代の夭折の天才作曲家──
いま壮年期以上の方は、20歳の頃というとどんな思い出があるだろうか。勉強、趣味、遊び、飲み会、恋愛、仕事または就職活動……有り余るほどの欲求やエネルギー、未来への希望と不安……。ハンス・ロットが20歳で書き始めた交響曲を聴くと、その頃の記憶や感情が妙に刺激されてしまうのは筆者だけだろうか。
今年(2019年)は、2月に神奈川フィル(川瀬賢太郎指揮)とN響(パーヴォ・ヤルヴィ指揮)が偶然同日の昼夜に本作を取り上げて話題になり、9月には読響(セバスティアン・ヴァイグレ指揮)が演奏するなど、ちょっとした「ロット祭り」の年となっている。
オーストリアの作曲家ハンス・ロット(Hans Rott 1858〜1884)は、ウィーンで学び、オルガンの先生はブルックナー、共に学んだ親友はマーラーだった。その才能は別格で将来を嘱望されていたが、1884年、病のためわずか25歳で亡くなった夭逝の天才である。代表作は20〜22歳のときに作られたホ長調の交響曲(第1番と表記されるが、第2番はスケッチが残されているのみ)。しかし本作は、評価を求めたブラームスに酷評されてしまった。ロットは非常に落ち込み、その後精神を病んで(「ブラームスが爆弾を仕掛けた」と妄想してしまうほど)、この世を去ることになる。作曲後に永く忘れられていたが、100年以上を経た1989年に初演、その後CDが登場して注目された。厚みと華やかさがあるオーケストレーション、ロマンティックな情熱、美しい旋律と壮大な展開、そして執拗とも言えるほど繰り返されるクライマックス。後期ロマン派のオーケストラ作品を聴く喜びをたっぷり味わえる音楽だ。
第1楽章は伸びやかで清新な旋律が雄大に歌われる、序奏的な楽章。第2楽章は儚い美しさが胸に迫る緩徐楽章。第3楽章は生命力あふれるスケルツォ。それ以前に類例がないほど大規模であり、スケルツォ楽章で大きく展開・拡大するという発想は独自のもの。第4楽章はさらに長大で、徹底的に盛り上がり続けるエネルギーは尋常ではない。トライアングルが延々と叩き続けるのも本作の特徴。
ブラームスの酷評の理由にも繋がったと思われる、本作の破格な展開やまとまりのなさに、未熟さが感じられることは否めない。しかし、その「未熟さ」こそが本作最大の魅力と筆者は考えたい。娯楽にも不自由したであろう当時、才能ある若者が処理しきれないほどの情熱や欲望を、溢れ続ける楽想として五線譜にぶつけるしかなかった……そんな光景が浮かんでくるような音楽であり、思わず胸が締め付けられるような感動を覚えてしまう。たしかに他の天才作曲家の20歳前後の名作はもっと完成度が高い。ロットももっと生きられたら本作を見直し、バランスの取れた名作に改訂したかもしれない。だが、彼にはその時間は残されていなかった。後世に遺されたのは、才能の爆発の瞬間を生々しく切り取ったような、アンバランスな魅力作なのである。
とはいえ、本作が最初に注目された最大の理由は、内容以上に、一聴すると「マーラーにそっくり」なことだった。マーラーの複数の交響曲に酷似する場面が頻発するのだ。ところが、本作の完成は1882年、マーラー第1番の作曲は1888年。そう、マーラーの方が「ロットにそっくり」だったのである。ロットの発想がいかに斬新で時代を先取りしていたか、おわかりいただけるだろう。
では、なぜマーラーはこれほどロット作品を「引用」したのだろうか。ふたりは朝まで語り明かすほどの親友で、ロットの才能と情熱を誰よりも知り尽くしていたのはマーラーだった。ロットの交響曲について、後年友人宛ての手紙にこんな言葉を残している。
「彼を新しい交響曲の確立者にするほどの作品だ、と僕は思っている。確かに彼の目指したものは、まだ完全に達成されてはいない。……でも僕は、彼が目指していた方向は分かる。それどころか、彼は僕自身の資質ととても近いところにいるので、僕と彼とは……同じ木に実った二つの果実のような気がする。」
(村井翔著『作曲家◎人と作品 マーラー』音楽之友社 より抜粋引用)
マーラーの「ロットの引用」は、意図的という以上の、深い結び付きの証しだったのかもしれない。マーラーの作曲を支え続けたのは、青春を共に過ごした亡き友の形見(音楽)だった──と言うと情緒的に過ぎるだろうか。ただし、彼はこの作品を演奏することはなかった。
引用等の真意の研究は進んでいくだろうし、マーラー指揮者にとってはロット作品の研究や位置づけは避けて通れない要素になるはず。さらに、もしもロットが長生きしていたら、マーラーはどんな作品を書いたのか(そもそも作曲を続けていたのか)、その後の音楽史はどうなったのだろうか──など、想像は尽きない。
マーラーの作曲人生をも変えてしまった、非業の天才ロットの交響曲。その熱狂的な音響は往時の若き天才の輝きであり、1世紀以上の時を経て聴衆に「青春」の記憶を喚起し続けている。
profile
林 昌英(Masahide Hayashi/音楽ライター)
『ぶらあぼ』等の音楽誌、ウェブメディア、コンサート・プログラム他で記事を執筆。出版社勤務を経て、音楽誌の制作等に携わりながらフリー音楽ライターとして活動を続ける。現在は桐朋学園大学音楽学部カレッジ・ディプロマ・コース音楽学専攻に在学中。