“完璧”が代名詞である不世出のソプラノの、最後まで完璧な歌唱
デヴィーアの歌も、これを最後に聴けない。その喪失感と言ったらない。“完璧”“完全無欠”が代名詞だったデヴィーア。実際、国内外問わず、すぐれた歌手や耳の肥えたオペラ通に「理想的な歌手は誰か」と尋ねると、決まって返事はデヴィーアだった。ドニゼッティも、ベッリーニも、初期のヴェルディも、声を精巧な工芸品のように隅々までコントロールし、完璧なフォームで歌って、愛も、苦悩も、絶望も、声の色彩や強弱で深く掘り下げ、かつ比類ない格調があった。文字通り不世出の歌手で、代わりがいないし、現れるとも思えない。
オペラの舞台からは昨年春、ひと足先に退いた。だが、一昨年秋、日本での最後のオペラとなったベッリーニ《ノルマ》における彼女の歌唱は、相変わらず若手が束になっても敵わない水準だった。それなのになぜ、もう歌わないのか。美しく、完璧に歌えるうちに身を引くのが、デヴィーアの美学だからである。
逆に言えば、最後のリサイタルも全盛期とほとんど変わらない完璧さが期待できる。ピアノはデヴィーアの呼吸を知り尽くしたジュリオ・ザッパ。珠玉の歌曲に加え、ドニゼッティの《ルクレツィア・ボルジア》や《ロベルト・デヴェリュー》、ヴェルディの《第1回十字軍のロンバルディア人》や《ジョヴァンナ・ダルコ》など、彼女の成熟した歌唱でこそ聴きたい曲ばかり。いまの自分が芸術的に最も輝ける曲が周到に選ばれている。
日本における最後の印象も“完璧”として残す。デヴィーアは自身の美学を貫くに違いない。
文:香原斗志
(ぶらあぼ2019年3月号より)
2019.3/6(水)14:00 東京オペラシティ コンサートホール
問:日本プロムジカチケットデスク03-5308-4570