Aからの眺望 #29
さよならがいつくるのかなんてわからない

ⒸTaira Tairadate

文:青澤隆明

 おひさしぶりです。お変わりありませんか?
 ぼくはたぶん、きっと元気です。
 きのうはジャン=クロード・ペヌティエの最後のコンサートに寄せて、ごく短い文章を書きました。そのまえには、92歳の小林道夫さんが、白井圭さんとシューベルトを弾く話をまとめました。小林道夫さんは「まだまだ弾きたいし」とおっしゃっていたし、「さ、由布院かえって、さらわなきゃ」と言ってインタヴューを結ばれました。合わせがあって、演奏会があって、楽譜が目の前にあれば、やることはきっとひとつ。そのひとつが、実にさまざまなことの絡み合ったひとつであるにしても、それはやはりひと繋がりなのです。 
 それで、なにをさらおうか、と私も思って、さらうものが特にない気がしているうち、いつのまにか夕方になり、ぼさぼさの髪を切りに行って、知人が若くしてがんになったという話などをききながら散髪してもらって、それから電車で初台までやってきました。

 オペラシティの客席に着くと、まもなく暗くなって、かの人がステージに登場しました。そして、姿をみせるや、長いドレスの裾が絡まったのか、糸を歯で嚙み切ろうとしたのです! 2階席に座っていたので、うまく切れたのかどうか、私の目にはよくわかりせんでしたけれど。
 それが、ナタリー・デセイの最後のリサイタルのはじまりでした。客席からは微笑みが漏れ、たちまち場の心をつかむと、モーツァルトが1曲目のはずなのに、ピアノから聞こえたのはシューベルトのファンタジー! ソプラノの名花はピアノに近づき、長年デュオを組んできたフィリップ・カサールの隣にちょこんと座ると、連弾の上のパートを弾き出しました。それだけでぼくはもう、なんだか感極まってしまった、と告白しておきますね。
 ピアノから離れてステージのまんなかに戻り、そのまま続けて予定された1曲目、『フィガロの結婚』のバルバリーナのカヴァティーナ「なくしてしまったわ」を歌いおえると、デセイは「これがたぶん、最後のリサイタル……になるのかどうかしら?」と客席に向かって語りかけました、「でも、私たちがいっしょにするリサイタルは、これでおしまい」
 そして、どうしてこんなサプライズをしたのかというと、モーツァルトの同曲に触発されて、シューベルトがこのファンタジーを書いたのだから、とデセイは話しました。あの、魔法のような声で。

 そのあとも、「フィガロの結婚」から、スザンナ、ケルビーノ、伯爵夫人と、あわせて4人の役柄それぞれを歌い継いでいきました。モーツァルトの頭のなか、1人でオペラを演じるように、それぞれの人物の異なる心境を巧みに演じ分けて歌ったのです。
 それから、カサールと磨いてきたフランスの歌曲――ショーソン、ラヴェル、ルイ・ベッツ、プーランク――を素晴らしく魅力的に色づけていきました。「ハチドリ」、「天国の美しい三羽の鳥」、「傷ついた鳩」、そして「かもめの女王」とさまざまな鳥たちが出てきました。そして、前半のクライマックスとしてプーランクでもう一曲、コクトーの詩によるモノローグ「モンテカルロの女」! その強烈な感情表現は、デセイの歌うドラマの真骨頂でした。

ⒸTaira Tairadate

 急に秋が去って、いきなり冬めいてくると、なにかが研ぎ澄まされているような気がして。それで休憩になった隙に、ふと思い立って、ロビーのベンチでこの手紙を書いています。いまベルが鳴った、というかチャイムが係の人の手で鳴らされたのですが、きっとまた続きを書きます。たぶんね。
 そう、Who knows? と彼女は言ったのでした――。

 コンサートの後半はアメリカン・クラシックスで、つまりは英語の歌が続きました。メノッティのオペラから「モニカのワルツ」、バーバーの「ノックスヴィル、1915年夏」、そしてプレヴィンのオペラ『欲望という名の電車』の「魔法が欲しい」を、デセイは歌う女優として鮮やかに演じきりました。「次の人生ではアメリカのミュージカルを歌う……」と語り、「ミュージカル、ダンス、プレイ、シング。たぶん私の次のステップはタップダンス?――Who knows?」と言い添えて。
 歌というのはつまり、誰かの人生を生きることです。そうして誰かの人生を生きることが、自分を新しく生きることでもある、というようなことを思いました。感情の振れ幅をいっぱいに生きることで、ずいぶんたくさんの人生を味わうことができるのだろうなって。

 美しい声はそれだけ聴く者を魅了します。しかし、その声が感情やドラマを超えて、人間の存在そのものに響くとき、歌い手は真の芸術家としての祝福を受けるのでしょう――。
 ナタリー・デセイについて、私は以前そんなことを書きました。たしか2007年のことだから、いまから18年まえ。いちどだけ、直にお話しする機会があったのです。
「自分を定義するときに、”歌う役者”という言葉を私はつかいます」と彼女は言いました、「役者の感情と身体で演技や解釈をするのに加えて、声の技術と感情も使わなければいけません。俳優は台詞を語るときに自分の音楽をつくりますが、歌はすでに作曲家がその想像力の一部をつくっているという意味で、いくらかは楽なのかもしれませんけれど」。
 最初にソプラノ歌手である自分の声を発見したのは?とたずねると、「そもそもの初めは、小さいときではなく、私は二十歳で、演劇をやっていました。当時は女優になりたいと思っていて、ある舞台で歌をうたう役をもらった。それで歌っていると、もっとその声を開発したほうがいいんじゃないかと言われたのです。ふつうの役者よりは、声のほうにより特別な才能があると思われたようです」と彼女はこたえました。どの劇作ですか、ときくと、モリエールの『シチリア人、または恋する画家』、あまり知られていない作品です、と。「やっぱり自分はなにかの役柄を演じきることに、非常に情熱を傾け、そのこと自体に私は夢中になってしまうのです」とナタリー・デセイは言いました。

 それから、彼女は「ごめんなさい」と言って、ふっと音もなく立ち上がると、あたりまえのように部屋のカーテンを開けました。「光が入るほうが好きなの」。ソプラノの声はむかしから天国に近いとされますものね、と声をかけると、「きっとそのせいでしょう」と彼女は微笑みました。ごくあたりまえの自然な素振り、それなのに、いまも映画のシーンのように眩く思い出すのです。

ⒸTaira Tairadate

 それにしても、そうした役柄を通じて、たくさんの女性たちはあなたのなかをどのようにすり抜けていくのでしょう? 歌の感情はときにとても激しくて、あなた自身も幾度も死ぬことになりますよね。
「慣れるのです。ほんとうに死ぬときに、少しは楽になるのかな、そういう意味で慣れることができるのかな、と期待しつつ……」と彼女はほほ笑みました、「死について、私はそういうふうに考えているのかもしれません」

 それは、コロラトゥーラの名花として知られたデセイが、ベル・カントへとその表現領域を広げていた頃のことでした。「つねに新しい地平線を求め、新しい世界を探検していきたい」。彼女の美しい意志は、歳月を重ね、人生を深めても、きょうのきょうまで変わっていないのですね。
「人間として自分を実現していくものを自分の職業としたいな、と私はずっと思っていたんです。だから、よりよいアーティスト、よりよい歌手になることを試みながら、やはりより善い人間になりたいと思って続けています」 そのさきに、さまざまなチャレンジと変化を重ねて、きょうのステージが巡ってきたことは、やはりとても善いことだろうと思いました、生きることは美しい、と――。

 ナタリー・デセイはフェアウェル・コンサートのアンコールに、アーンの「リラの木のナイチンゲール」、それからメノッティの「私を盗んで、素敵な泥棒さん」、そして十八番とするドリーブのオペラ『ラクメ』から「あなたは私にいちばん甘い夢をくれた」を歌いました。
 チャーミングというのは魅了するということですから、歌い手はやはりなにかしら魔法をかけているのです。マイクをもっても、生の声でも、彼女のうたはとても繊細で美しく……でも、魔法というものは、やはり説明できるものではありません。
 わかっていることはひとつ、私がステージに求めるものもまた、なんらかの魔法であるに違いないのです。音楽も、歌も、やっぱり魔法の世界に属していてほしい。
「世界でもベストのホールで、私たちはベストを尽くしました。アリガトウゴザイマス!」と明るく言って、美しき歌の鳥は軽快に飛び去っていきました。なにも悲しいことなんかなく。
 鳥が立つには、もちろんそこに空があるから。私にはそれが青く澄んで、曇りでも雨でも上のほうでは、くっきりと晴れていることがわかります。ナタリー・デセイの生きる歌が響くさき、声や思いの飛び立つさきは、そうであるほかないでしょう?

ⒸTaira Tairadate

青澤隆明 Takaakira Aosawa

書いているのは音楽をめぐること。考えることはいろいろ。東京生まれ、鎌倉に育つ。東京外国語大学英米語学科卒。音楽評論家。主な著書に『現代のピアニスト30—アリアと変奏』(ちくま新書)、ヴァレリー・アファナシエフとの『ピアニストは語る』(講談社現代新書)、『ピアニストを生きる-清水和音の思想』(音楽之友社)。『ショスタコーヴィチを語る』(青土社)で、亀山郁夫氏と対談。そろそろ次の本、仕上げます。ぶらあぼONLINEで「Aからの眺望」連載中。好きな番組はInside Anfield。
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