演出、管弦楽、歌手、合唱……すべてが高次元でバランスした稀有な舞台
弦楽器のグリッサンドで、妖精の寝息が聞こえるような神秘的な森に耳が誘われ、目には宙を舞う妖精たちが映る。この時点で、もう持っていかれた感があった。話が入り組み、夜と昼、夢と覚醒、ファンタジーと現実の間を無数に往還するこのオペラは、観者がその世界に浸りきれないと、味わい尽くすのは難しい。だが、いきなり有無をいう間もなく、物語の世界に心奪われた。

©大窪道治/2025OMF
セイジ・オザワ松本フェスティバル(OMF)が今夏上演したオペラは、ベンジャミン・ブリテン《夏の夜の夢》。すでに冒頭で終演後の満足感が予想できた。
ブリテン自身がシェイクスピアの同名の戯曲を、パートナーでもあったテノールのピーター・ピアーズとともに翻案し、5幕からなる原作を3幕に切り詰めた物語は、暮れゆく森の場面からはじまる。妖精の王オーベロン(カウンターテナー)と女王タイターニア(ソプラノ)は、インドから連れてきた小姓を取り合っている。オーベロンは妖精パック(俳優が演じる)に媚薬を使わせるが、パックが使い方を間違えたりして、話は錯綜していく。

©大窪道治/2025OMF
現実世界に現れるのは、モーツァルト《コジ・ファン・トゥッテ》に擬せられる2組の恋人たちだ。ハーミア(メゾソプラノ)とライサンダー(テノール)は相思相愛だが、もう1組は様子が違う。ディミートリアス(バリトン)もハーミアに惚れていて、ヘレナ(ソプラノ)には邪険な態度をとる。そこでオーベロンはパックに、ディミートリアスがヘレナを嫌わないように媚薬を使わせたところ、パックは誤ってライサンダーにも薬を塗ってしまい、第2幕では2人の男性がともにヘレナを追いかけはじめ、それを見た女性2人は罵り合う。

©大窪道治/2025OMF
こうした混乱とその収拾がオペラの中心軸だが、妖精が棲む世界と恋人たちがいる現実世界は、重なり合いつつも同じではない。恋人たちに妖精の姿は見えない。演出家で装置や衣裳も手がけるロラン・ペリーは、恋人たちがいる世界を2台のベッドに象徴させ、星空に妖精たちが舞う世界との間を、最小限の視覚的変化で見事に描き分け、それらが表裏一体であることも示した。

©山田毅/2025OMF
ブリテンはそれぞれの世界を、音楽の様式を変えながら描き分け、両者のあわいまで表している。OMF首席客演指揮者の沖澤のどかが捌くサイトウ・キネン・オーケストラが、明晰かつ精妙な音楽づくりで、ブリテンの仕掛けを浮き上がらせ、聴き手に幻想と現実の間を無理なく行き来させる。その音がペリーによる美しすぎるほどの視覚世界と溶け合う。目からの情報と耳からの情報が、これほど高い次元で調和することは、国内外を問わず稀にしかない。

©山田毅/2025OMF

©山田毅/2025OMF
隙のないハイレベルなアンサンブル
現実世界の住人には6人の職人、ボトム、クインス、フルート、スナッグ、スナウト、スターヴリングもいる。彼らが大公シーシアスの結婚式で演じる芝居の準備をする滑稽な味わいは、夜の色が濃いなかで、音楽的にも視覚的にも彩りになる。第2幕では、パックのいたずらでボトムの頭がロバに変えられる。しかも、あろうことか、オーベロンが使った媚薬のせいでタイターニアはその化け物に一目ぼれする。そんな場面で奏されるワルツのなんと瀟洒なこと。

©大窪道治/2025OMF

6人の職人たちが第3幕、和解した恋人たちの前で演じる劇中劇の場面が冴えていた。舞台右にドアがあり、職人たちがいる。舞台左にはベッドがあり、恋人たちがいる。演者と観者の関係が、最小限の装置で効果的に表される。また、舞台奥は鏡面で客席が映し出され、観客も、妖精が棲む幻想の世界と一体になる。複雑に編み込まれた物語が、私たちも交えて溶け合う。

フルートのオブリガートがつくこの劇中劇は、明らかにドニゼッティ《ランメルモールのルチア》の「狂乱の場」のパロディ。ここだけは調性が感じられる音楽で、沖澤が指揮する管弦楽は、前後の幻想性から劇中劇を鮮やかに浮き立たせる。そして、女装したフルート役のグレン・カニンガム(テノール)以下、歌手が適材適所だから、音楽的な齟齬がない。

4人の恋人たちも同様だ。ニーナ・ヴァン・エッセン(メゾソプラノ)、デイヴィッド・ポルティーヨ(テノール)、サミュエル・デール・ジョンソン(バリトン)、ルイーズ・クメニー(ソプラノ)。すべて海外から招聘された歌手たちは、アンサンブルとしてのバランスが驚くべき水準だった。

©大窪道治/2025OMF
バランスといえば、児童合唱が愛らしい声を溶け合わせて妖精の世界を体現し、ソリストたちの向こうを張った。そんななかで、オーベロン役のニルス・ヴァンダラーだけは、中性的な声を力強く響かせ、タイターニア役のシドニー・マンカソーラとともに、現実世界を覆う超自然の存在を印象づけた。むろん、計算づくの配役だろう。

©大窪道治/2025OMF

©大窪道治/2025OMF
終幕でその2人が舞台横の最上階から歌い、私たちも頭上の超自然を意識させられる。こうして最後まで、物語世界から抜け出ることが許されない。見事な狂言回しを務めたパック役のフェイス・プレンダーガストが、締めくくる言葉を述べて幕が下りると、我に返った観客によるスタンディングオベーションの大喝采となった。

©大窪道治/2025OMF
なじみ深いとはいえず、話は複雑。しかし、最後まで観客に我を忘れさせる力が、音楽に、演出に、それらを総合した舞台にあった。

©山田毅/2025OMF
文:香原斗志
写真提供:セイジ・オザワ 松本フェスティバル
【公演データ】
2025セイジ・オザワ 松本フェスティバル
オペラ ブリテン:《夏の夜の夢》全3幕
(原語(英語)上演/日本語字幕付き)
2025.8/17(日)15:00、8/20(水)17:00、8/24(日)15:00 まつもと市民芸術館・主ホール
指揮:沖澤のどか(OMF首席客演指揮者)
演奏:サイトウ・キネン・オーケストラ
演出・装置・衣裳:ロラン・ペリー
照明:ミシェル・ル・ボーニュ
装置補:マッシモ・トロンカネッティ
衣裳補:ジャン=ジャック・デルモット
チーフ音楽スタッフ:デニス・ジオーク
合唱指揮/副指揮:根本卓也
アソシエイト・プロデューサー:彌六、大橋元子
◯出演
オーベロン:ニルス・ヴァンダラー
タイターニア:シドニー・マンカソーラ
パック:フェイス・プレンダーガスト
シーシアス:ディングル・ヤンデル
ヒポリタ:クレア・プレスランド
ライサンダー:デイヴィッド・ポルティーヨ
ディミートリアス:サミュエル・デール・ジョンソン
ハーミア:ニーナ・ヴァン・エッセン
ヘレナ:ルイーズ・クメニー
ボトム:デイヴィッド・アイルランド
クインス:バーナビー・レア
フルート:グレン・カニンガム
スナッグ:パトリック・グェッティ
スナウト:アレスデア・エリオット
スターヴリング:アレックス・オッターバーン
児童合唱:OMF児童合唱団
セイジ・オザワ 松本フェスティバル
https://www.ozawa-festival.com

香原斗志 Toshi Kahara
音楽評論家。神奈川県生まれ。早稲田大学卒業、専攻は歴史学。イタリア・オペラなどの声楽作品を中心にクラシック音楽全般について執筆。歌声の正確な分析に定評がある。日本ロッシーニ協会運営委員。著書に『イタリア・オペラを疑え!』『魅惑の歌手50 歌声のカタログ』(共にアルテスパブリッシング)など。歴史評論家の顔もあり、近著に『お城の値打ち』(新潮文庫)。



