角野隼斗がアップライトピアノ・プロジェクトを立ち上げ

誰かのための演奏でなく、自分の心と向き合う演奏体験を

 3月31日、青山のスタインウェイ&サンズ東京で「角野隼斗 アップライトピアノ・プロジェクト」の記者会見が行われた。登壇者は、角野隼斗と福田成康(一般社団法人全日本ピアノ指導者協会(ピティナ)専務理事)。

Hayato Sumino

 このプロジェクトは、角野が2023年に行った全国ツアー “Reimagine”で演奏し、その幻想的なサウンドで大きな反響を呼んだ特別なアップライトピアノ(スタインウェイK型)を、ピティナの協力のもと、全国の自治体や企業を通して子どもたちに届けるというもの。このアップライトピアノは、ピアノと自分との「内的空間」を感じることを目的とした「Piano for Myself」というコンセプトに、ハンマーと弦の間にフェルトを挟むことで独自の音色が生まれる仕様となっている。

会見でまず、角野は次のように語った。
「なぜグランドピアノではなくアップライトピアノかというと、アップライトピアノにフェルトを噛ませてこもった幻想的な雰囲気を作るポストクラシカルという音楽が、ヨーロッパを中心に流行っていてそれを数年前に知りました。そして2年前にパリでハニャ・ラニというポーランドの作曲家に出会い、飛び込みでライブで弾かせてもらう機会がありそこで初めてカスタムしたアップライトピアノに触れました。その時の今まで経験したことのないような美しい音に、虜になってしまいました。帰国後すぐにアップライトピアノを買いに行って、調律師さんと試行錯誤しながら音を作っていきました。
 フェルトを貼ったアップライトピアノの魅力は、グランドピアノのように音を遠くに飛ばす必要はなく、自分とアップライトピアノの個人的な空間の中だけで弾いているような雰囲気で、古く狭い部屋の片隅で自分だけの為に弾いているような。懐かしさであったり、親しみや優しさで包まれる心の内に向かうという・・・。グランドピアノとはまったく違う経験が得られると思います」

 全国ツアーを終えこのピアノをどう演奏していくかを考えたという。
「このアップライトピアノの音や魅力、あるいはピアノに対する向き合い方、つまり誰かに聴かせるだけではない自分のためだけに弾くピアノという経験を多くの人に感じてもらえたら僕にとっても嬉しい。そしてそれを広げていくためにこのピアノをいろんな人に貸し出すことにしました」
 ただ角野ひとりではどうすることもできないということで、ピアノをいかに社会に広げていくか、子どもたちに音楽の楽しさをどう伝えるかを日頃から考えているピティナに相談したという。

左:角野隼斗 右:福田成康

 福田は角野へのリスペクトも込めて次のように述べた。
「内容そのものに賛同していることもあるのですが、角野さんのやることには全部付いていく、というのが基本スタンスです。未来がわからない中で誰が将来の流れを作っていくかと考えたときに角野さんがど真ん中、この人の後ろに道ができると思ってきました。ですので角野さんからお声がけいただいたときに、すぐに『やります』とお答えしました」

 ピアノの設置場所のイメージについて角野は、
「このピアノを具体的にどう活用してもらうかというと、ひとつ考えられるのはストリートピアノのような使われ方。立ち止まった人が聴いてくれるストリートピアノは僕も好きなんですが、このピアノは大きな音量を出すためのものではないので、よりこの音自体の魅力を多くの人に感じてもらうというコンセプトでこのピアノを使ってもらえたら嬉しいなと思います。あまり騒がしくないところが好ましいとは思いますが、ある程度の環境音があった方がスパイスになったり。小児病院や教会、学校など。あとはどのような応募が来るのかを僕自身楽しみにしています」

 このピアノがひと目で角野のピアノだとわかるように、全国ツアーの最終日、東京オペラシティのステージ上で書き込んだサインが側面に入っている。そして31日の記者会見の場でこのピアノが「Cateen Piano」と命名された。
 多彩な才能を併せ持つ稀有な存在の彼が放つこの新プロジェクト。日本各地に、そして多くの人々にどのような影響を与えていくのか。ともするとこのプロジェクトが、次なるスターを生み出すきっかけになるかもしれない。

本プロジェクトに寄せて
Piano for Myself

角野隼斗2023 “Reimagine”ツアーが数週間前に終演しました。バッハ、カプースチン、ラモー、グルダ、そして僕の作品を通して、クラシック音楽の“再構築”というコンセプトのもと、クラシック音楽の新しい魅力をお届けしたいという想いで、全国16公演を回りました。

今回2台のピアノで演奏しました。1つはグランドピアノで、もう1つはアップライトピアノ。「アップライトピアノ」の音で、作品を届けるということも、今回のツアーでやりたかったことの一つでした。なぜアップライトピアノなのか。そう思われる方もいらっしゃることでしょう。アップライトピアノというと、いつの時代もグランドピアノの代替品として捉えられてきました。しかし僕はどうも、アップライトピアノのサウンドが1年ほど前から愛おしくてたまらなくなってしまったのです。

近年ヨーロッパのポストクラシカルシーンを中心に急速な人気を得ているバックグラウンドもある中で、僕も数年前にアップライトの音に出会いました。フェルトピアノとも呼ばれるそのサウンドは、今まで聴いたことのないような幻想的、でもそれでいてどこか懐かしい気持ちにもさせてくれる、不思議なものでした。初めて生でその音に触れたのは、一昨年のパリでした。ハニャ・ラニのコンサートに飛び入りさせてもらった時、彼女がカスタムしたアップライトピアノを触らせてもらった時の恍惚は忘れられません。帰国後、僕が普段お世話になっている調律師の桉田泰司さんに即座に相談して、一緒にアップライトピアノを買いに行ったものでした。

今回のツアーでは全国に持って回る必要があったため、新しくアップライトピアノを購入しました。スタインウェイKモデルの、桉田さんと入念に調整と実験を重ねたアップライトピアノと一緒に、全国を旅したのです。

アップライトピアノの音はまるで狭い部屋の隅で一人で会話しているような、特別な気持ちになります。フルコンサートグランドピアノを鳴らすのとは真逆の、きわめて私的でありのままの音があるのです。自分と対話するように演奏し、お客さんは私的空間に入り込んでいるような疑似体験ができる。そんな感覚を提供したかったのでした。

ツアーが終わって、このピアノは一つの大きな役割を終えました。せっかくなので、このピアノに次なる役割を持ってもらいたい。このアップライトピアノの魅力をたくさんの人に伝えたい。
ストリートピアノが流行して久しいですが、街中の人に立ち止まって聴いてもらうための演奏は、むしろグランドピアノ的であったかもしれません。アップライトピアノの魅力を最大限に活かした、自分と対話に没入できるような演奏空間。そんな可能性が、このアップライトピアノにはあると思っています。

このピアノを無料で、お貸し出しいたします。

みなさんのアイディアで、ぜひこのピアノをさらに活躍させてあげてください。

よろしくお願いします。

角野隼斗

角野のサイン入りのピアノ。アクリル板を設置した上で内部が見える状態で貸し出されるという。

第 I 期募集要項

【応募期間】
2023年5月1日〜6月30日
【応募方法】
・5月以降、特設サイト内の応募フォームから企画書を送付

【募集企画】
・コンセプトの趣旨に賛同いただけること
・設置場所での演奏の許諾を得ていて、実現可能な企画であること
・原則として無料のイベントであること

【設置条件】
・関係者の目が行き届く場所に設置し、損傷・事故が起きないように管理すること
・原則として屋内に設置
・設置可能期間は、最大2週間

【費用負担】
・レンタル料金は無料
・東京から開催地までの運搬費用、イベント期間中のピアノ管理費用は主催者負担。

詳細は、4月中旬に公開される特設サイトをご覧ください。

全日本ピアノ指導者協会
https://corporate.piano.or.jp/news/2023/04/cateenup.html

取材&文:編集部
Photo: I.Sugimura/BRAVO