樋口達哉(テノール)インタビュー

新春のオペラはドラマティコのサムソン役に初挑戦

 若々しくスリムな体型のまま、熱くエネルギッシュな歌で客席を沸かせる樋口達哉。東京二期会が誇るテノーレ・リリコ(抒情的なテノール)として、積んできたキャリアの歴史に対して、若々しい青年役のイメージがいつまでも変わらない歌い手である。しかし、その樋口が、来年1月に挑戦するのは、サン=サーンスの《サムソンとデリラ》の主人公、英雄の中の英雄サムソン。かのマリオ・デル・モナコやジョン・ヴィッカーズも手がけたというドラマティックな役だけに、挑む胸の内をここでじっくりと語ってもらおう。

「確かに、今の僕にとっては一番ロブストな(逞しい)役柄です。これまで《ラ・ボエーム》や《椿姫》のようなリリコの役が中心でした。ただ、歳を重ねて声が変化するなか、そろそろ“憧れの役”に挑戦したいという思いが強まっていたのも事実です・・・武蔵野音大に入った頃はバリトンでしたが、NHKイタリア歌劇団来日公演の映像でレオンカヴァッロの《道化師》を観て、デル・モナコの迫真の歌いぶりに圧倒され、『自分もいつか歌いたい』と思ってテノールに転向したんですよ。それで、実は《道化師》をこの10月に演るはずだったのが、コロナ禍で2022年1月に延期になり、一方で4月予定だった《サムソンとデリラ》が来年1月に上演することになりまして、いまはそちらに没頭しています」

 なるほど。逞しい声のキャラクターにもとから惹かれていて、《道化師》が射程距離にあるとなれば、《サムソン》にチャレンジしても不思議ではない。それこそ、デル・モナコもヴィッカーズも、この2作を得意にしていたのだから。

「ヴィッカーズ! サムソンではいま一番の目標です。どんな喉をしていたらあんな声が出せるんだろう・・・まるで、ライオンみたいな!(笑) 今回はセミ・ステージ形式上演ですので歌に集中しやすく、声をどんな風に使うかに意識して励んでいます。あとは髪を伸ばそうかな(笑) サムソンの怪力の源ですね。ただ、肉体改造は考えていません。というのも、いっとき声を出し辛くなったことがあって」

 ?? 筋骨隆々になると発声法が変わる?
「ミラノに留学していた頃、多少時間もあったので自己流でトレーニングをして、体つきを変化させたことがありました。でも、鍛えている最中に、ウッと息を止めるからでしょうか? 筋肉はついても声が上手く流れなくなったんです。それで、筋トレはクラシックの発声には向かないのかなと。トレーナーについてちゃんと鍛えれば別の結果が出たかもしれないですが」

 いやいや、オペラは声が最優先。ぜひとも、今のままでいてもらいたい。
「ところで、いま時間のことが口から出ましたが、今年2月23日の《椿姫》を最後に、舞台出演がすべて延期になり、大学での指導も3月は授業自体がお休みで・・・本当に、何もすることがありませんでした。そういう時に、オーケストラがリモートで演奏するのを知って観てみたところ、それまでは『リモートでは伝えきれない』と感じていたのに、思いのほか伝わるものがあって、ウルっときてしまったんです。表現者としての自分の生き方を再考する機会も得られ、いろんな意味で人間らしさも少し取り戻せたかな・・・」

インタビュアーの岸 純信さんが持参された《サムソンとデリラ》のスコアにサインをする樋口達哉さん

 結果、7月頭からステージが再開。待機中の時期も悪いことばかりではなかったよう。
「そうですね。実際、その4ヵ月間で、声がとても健康になりました。《サムソンとデリラ》の第1幕では、民衆が神を讃える中、サムソンが突然出てきて、一声で圧倒的な存在感を示します。第2幕のデリラのアリアにある二重唱の部分では、フレーズを大きく捉えないと歌い切れないでしょうし、第3幕で目を潰されて石臼を回す場面は、まさしく独り舞台ですね。お話ししたように、自分の声をどんな風に使いこなすか、研究を重ねたいです。

 今回、ジェレミー・ローレルさんが指揮台に立たれますね。いままで、リッカルド・フリッツァさんやダニエーレ・ルスティオーニさん、アンドレア・バッティストーニさんなど、様々な外国人マエストロと共演しましたが、稽古場でたとえ火花が散ったとしても(笑)、皆さん本番では我々が歌いやすいようにうまく音楽に載せてくださいます。だから、ローレルさんとの共演も楽しみです。サムソンという大役を歌うまたとない好機ですから、自分の可能性を信じて挑みます!」
取材・文:岸 純信(オペラ研究家) 写真:吉田タカユキ

【information】
サン=サーンス没後100周年記念公演
東京二期会コンチェルタンテ・シリーズ
《サムソンとデリラ》(新制作/セミ・ステージ形式上演)

2021.1/5(火)、1/6(水)各日19:00 Bunkamura オーチャードホール

指揮:マキシム・パスカル
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

出演
デリラ:板波利加(1/5) 池田香織(1/6)
サムソン:樋口達哉(1/5) 福井 敬(1/6)
ダゴンの大司祭:門間信樹(1/5) 小森輝彦(1/6)
アビメレク:後藤春馬(1/5) ジョン ハオ(1/6)
老ヘブライ人:狩野賢一(1/5) 妻屋秀和(1/6)
ペリシテ人の使者:加茂下 稔(1/5) 伊藤 潤(1/6)
第1のペリシテ人:澤原行正(1/5) 市川浩平(1/6)
第2のペリシテ人:水島正樹(1/5) 髙崎翔平(1/6)

合唱:二期会合唱団

*出演を予定していた指揮者のジェレミー・ローレルは、新型コロナウイルス感染症に係る14日間の待機期間に伴うスケジュールの都合で、来日不可能となりました。代わって本公演の指揮者にマキシム・パスカルが出演します(12/10主催者発表)

問:二期会チケットセンター03-3796-1831
http://www.nikikai.net/lineup/samson_et_dalila2020/index.html