視覚と聴覚が競い合う「冬の旅」
力強い声と深い楽曲解釈で知られるバリトン歌手のマティアス・ゲルネ、ザルツブルク音楽祭の芸術監督を務めるピアニストのマルクス・ヒンターホイザー、そしてモーツァルト《魔笛》をドローイング・アニメーションで演出し、昨年は日本でも上演され話題になった南アフリカの美術家ウィリアム・ケントリッジ。この3人が今秋、京都においてシューベルト『冬の旅』で出会う。
なぜ「冬の旅」なのだろう? 幼い頃ヨハネスブルグの家で、父親がレコードでこの曲を聴いていたと、ケントリッジは語る。たしかに、キッカケはそうした思い出かもしれない。だが、シューベルトがその早過ぎる死の前年(1827年)に作曲したこの作には、現代に通じる時代背景もある。徒弟修行の青年が根無し草となり、さすらい、ついには自死するという運命。その表層にはたしかに(「美しい水車小屋の娘」への)失恋があるが、深層には産業革命によってギルド的な職人の世界が壊れ、都市の工場労働へと変容してゆく歴史がある。
歌曲は19世紀初頭における若者の心象風景を、背景の映像は近代化と植民地主義がもたらす経験を描く。ゲルネの歌唱も、ケントリッジのイメージも共にパワフルであり、両者はひとつの舞台作品へと調和的に解消されることはなく、いわば闘い続けている。そのことが200年前のひとりの青年の絶望を、未完の問題として私たちの前に届けるのである。
文:吉岡 洋
(ぶらあぼ2019年8月号より)
2019.10/18(金)19:00 京都芸術劇場 春秋座(京都造形芸術大学内)
7/26(金)発売
問:KYOTO EXPERIMENT 事務局075-213-5839
https://kyoto-ex.jp/