静謐で繊細な作品の数々で、国際的に高い評価を獲得してきた作曲家、近藤譲の第55回(2023年度)サントリー音楽賞受賞を記念した演奏会が、8月28日にサントリーホールで開催される。取り上げられる作品は、「接骨木(にわとこ)の3つの歌」(1995)とオペラ《羽衣》(1994、演奏会形式・日本初演)である。管弦楽はピエール=アンドレ・ヴァラドが指揮する読売日本交響楽団だ。両者は、2023年の「コンポージアム」で近藤の作品が特集された際にも演奏を担い、作曲家から厚い信頼を寄せられている。そのほかのキャストにも、メゾソプラノの加納悦子、舞踊の厚木三杏、ナレーターの塩田朋子、フルートの多久潤一朗、女性合唱団 暁など、近藤唯一のオペラの日本初演にふさわしい名手、名人たちが集う。

《羽衣》は1994年にフィレンツェの五月音楽祭で初演され、その後、フランスのリールやアメリカのタングルウッドなどで再演を重ねてきたが、これまで日本での上演の機会はなく、近藤の音楽に対する評価が高まるにつれ、日本初演を求める声は多くあがっていた。31年を経て、ようやく実現する待望の日本初演に期待は高まるばかりである。近藤がフィレンツェ五月祭からオペラの委嘱を受けた際のリクエストは、世阿弥の古典能に基づくハーフイブニングオペラ(2本立て上演が可能な1時間程度の作品)というものだった。台本は近藤自身が担当し、世阿弥のテキストを自由に再構成したが、時間と空間の設計や、舞台上には女性のみを登場させるといったコンセプトは、演出家のロバート・ウィルソンの提案に応じるかたちで制作が進められたという。
近藤の従来の作曲法は、特定のシステムやルールに縛られることなく、一つひとつの音をときに数週間かけて熟慮し、選択していくもので、彼はそれを「紙の上の即興」と呼んでいるが、《羽衣》では全く別のアプローチが取られた。
近藤「若い頃から映画音楽の仕事にはたくさん取り組んできました。私や池辺晋一郎さん、三枝成彰さんは、芸術音楽の作曲家が映画音楽も書いた最後の世代です。決められた条件のなかで音楽を書く経験は、《羽衣》の作曲において大いに役立ちました。映画やオペラでは、音を書き過ぎることなく、作品に視覚的要素の入る余地を残すことが大切です」

《羽衣》は、日本人なら誰もが知っている物語だが、ストーリーのシンプルさゆえに、近藤はこの作品を「ドラマ」ではなく「抒情的情景」として仕上げていった。前述のように、女性のみが舞台に上がり、男性である漁師の伯陵もメゾソプラノによって演じられる。天女を演じるのは女性のダンサーであり、ナレーターも女性が担当する。そして、台詞が歌われるときには、それが誰のものであってもメゾソプラノによって歌われ、語られるときには、ナレーターによって語られる。こうした視覚と聴覚のズレは、《羽衣》をなにより特徴づける要素であり、この作品の「抒情的情景」としての性格、その抽象性を強めている。
独奏フルートがステージで演奏するアイディアは、囃子方が舞台にのぼる日本の伝統芸能へのオマージュであるが、その響きは尺八や能管を模倣したものではない。
近藤「《羽衣》に日本の能を感じ取ることは難しいでしょう。独奏フルートのパートも、邦楽器と結びつけて書いたわけではありません。しかし、ヨーロッパの聴衆の一部がそうだったように、この作品のなかに能を見出すことは、聴き手の自由なのです。これはケージから影響を受けた考え方ですが、作曲、演奏、鑑賞は独立した行為であり、それぞれの立場に自由があります。ですから、作曲家である私の意図に縛られずに、自由に作品を楽しんでください」

《羽衣》の“前口上”として演奏される「接骨木の3つの歌」は、《羽衣》と同時期の作品で、1983年作曲の歌曲「接骨木の新芽」をヴァイオリン独奏に改めたもの。近藤の1990年代の仕事をより深く知る貴重な機会になると同時に、この上演のオリジナリティを高めるスパイスにもなるだろう。なにより今回の日本初演は、ロバート・ウィルソンのプロダクションとは別のものであり、ダンサーの厚木が中心となって全く新しい舞台が作られる。日本の音楽ファンが30年待ち続けた舞台の幕がいま上がろうとしている。
取材・文:八木宏之
第55回サントリー音楽賞受賞記念コンサート
近藤譲(作曲)
2025.8/28(木)19:30 サントリーホール
◯曲目・出演
近藤譲:
「接骨木(にわとこ)の3つの歌」(1995)
ヴァイオリン:林悠介、打楽器:西久保友広
オペラ《羽衣》(1994)[日本初演・演奏会形式(舞踊付)]
指揮:ピエール゠アンドレ・ヴァラド
メゾソプラノ:加納悦子
舞踊:厚木三杏
ナレーター:塩田朋子
フルート:多久潤一朗
読売日本交響楽団
女声合唱団 暁
合唱指揮:西川竜太
ドキュメンタリー映画上映『A SHAPE OF TIME – the composer Jo Kondo』
2025.8/28(木)17:00 サントリーホール ブルーローズ(小)
(18:50終了予定)
問:サントリーホールチケットセンター0570-55-0017
suntoryhall.pia.jp

八木宏之 Hiroyuki Yagi
青山学院大学文学部史学科芸術史コース卒。愛知県立芸術大学大学院音楽研究科博士前期課程(修士:音楽学)およびソルボンヌ大学音楽専門職修士課程(Master 2 Professionnel Médiation de la Musique)修了。
2021年春にWebメディア『FREUDE』を立ち上げ。クラシック音楽を中心にプログラムノートやライナーノーツ、レビュー、エッセイを多数執筆するほか、アーティストへのインタビュー、コンサートのプレトーク、講演会なども積極的に行なっている。
https://freudemedia.com

