バッハ演奏の第一人者・鈴木雅明がいま対峙するオルガン作品の最高峰

©Marco Borggreve

 昨年3月に予定されていたものの、惜しくも中止となった横浜みなとみらいホールでの待望のオルガン・リサイタルがついに実現する。鈴木雅明は、周知のように世界的なバッハ演奏家であり、指揮者、チェンバロ奏者、オルガン奏者としてその評価を確かなものとしている。演奏曲の「クラヴィーア練習曲集第3部」は1739年に出版され、50代半ばを迎えたJ.S.バッハが満を持して世に出したオルガン作品の最高峰として知られる。この大作の魅力と演奏に向けての意気込みについて、鈴木は対面インタビューで力強く語った。

 「『クラヴィーア練習曲集第1部』(〈6つのパルティータ〉)はすべて1段鍵盤で弾けます。『第2部』(〈イタリア協奏曲〉と〈フランス風序曲〉)は強弱の指示があり2段鍵盤を前提としています。第3部は2つの手鍵盤に足鍵盤の計3段が必要ということでオルガン曲なのです」

 3つ目の練習曲集であることは鍵盤の段数に影響を与えた可能性があるだけでなく、他にもこの曲集には三位一体の神を表す“3”という数字へのこだわりが随所にみられるという。

 「曲集の両端に置かれているプレリュードとフーガはどちらもフラット3つの変ホ長調で、主題が3つ出てきます。そして両曲の間に21曲のコラールが納まっている構造です。これだと合計23曲ですが、バッハは4つの短いデュエットを追加して、全体を27曲としました。つまり3×3×3です」

 曲に込められた象徴的表現についても、自身の楽譜を取り出して詳しく解説する。

 「たとえば『われらの救い主なるイエス・キリスト』(BWV 688)では、“私たちから神の怒りを取り除いてください”という祈りが跳躍する音の連続で表現されます。また『これぞ聖なる十戒』(BWV 678)は預言者・モーセが神から授かった10の厳格な教え・律法をテーマとしているので、コラール旋律は2声のカノンになっていますが、カノン(canon)という言葉には律法という意味があります。そしてそれを取り巻くオブリガート旋律は川の流れのように一貫して動いていきます。これは旧約聖書の『詩編』の第1編に、神の律法を守る者は川のほとりに育つ木のように恵みを受けるということが書いてあって、厳しい律法の恵みの側面を見事に表したものだと僕は思います。こうした作曲技法はバッハ以外の当時の作曲家にもみられるものですが、その意味を何も知らずに聴いてもメッセージが伝わってくる音楽の豊かさといったものがバッハの本当に大きな力です」と、並みいる作曲家たちの中でも突出したバッハ作品の劇的表現の魅力について力説する。

 本曲集では1524年に宗教改革者マルティン・ルターが最初に出版したコラール集に収められているコラールが多く使用され、遠い過去と意識的に対峙しているのも大きな特徴だという。

 「バッハはルターのコラール出版から200年となる1724年の記念の年に、コラールを音楽の軸とする一連のコラール・カンタータを作曲し、ルター派音楽の原点に立ち返りました。だから本当はこの演奏会もルターから500年、コラール・カンタータから300年となる昨年やるべきものだったのですが…」と苦笑するものの、天が与えたさらなる一年の準備期間を経て鈴木の本公演に対する思いは一層熟成されたのではないか。バッハと鈴木の円熟が交差して織り成す至高の芸術。これはぜひ現場で体験しておきたい。

取材・文:近松博郎
(ぶらあぼ2025年5月号より)

横浜みなとみらいホール オルガン・リサイタル・シリーズ 48
鈴木雅明 オルガン・リサイタル
2025.6/5(木)19:00 横浜みなとみらいホール
問:横浜みなとみらいホールチケットセンター045-682-2000
https://yokohama-minatomiraihall.jp