甘美な旋律に溢れるプッチーニの隠れた名作オペラを味わう
プッチーニが1917年にモンテカルロで初演した《つばめ》は、この作曲家には数少ない、「大人の女心」を描いたオペラ。主人公マグダは、パリの高級娼婦として特定のパトロンと付き合うが、ある日現れた青年ルッジェーロに夢中になり、すべてを捨てて新しい生活に入る・・・と、ここまで書くと、ヴェルディの《椿姫》によく似た話だが、決定的な違いは、主人公の自己犠牲が、彼女の自発的な行いであることなのだ。
ある日、恋人の母親から届いた手紙に「貴方の選んだ花嫁を迎え入れましょう」とあるのを目にしたマグダは、その優しい筆致に突き動かされて青年との別離を決意。「私は汚れた女です。貴方のお家には入れない」と伝えてから、空を舞うつばめに自分を喩えて、「苦しみの中で舞い飛ぶのは、私ひとりで十分よ」と告げて去ってゆく。その気高さが、客席の胸を揺さぶるのである。
また、《つばめ》には、敵役も居ない。お手伝いのリゼットも、パーティ仲間の詩人プルニエも主人公の人柄を愛し、恋の行方を見守ってやる。そしてパトロンの銀行家ランバルドも、まさしく大人の男。「後悔だけはしないように」と伝えつつ、愛人の駆け落ちを見逃すのである。そうした、物の分かった人々に囲まれるからこそ、マグダも成長し、相手の幸せを願うがゆえに、敢えて退くのだろう。
ところで、《つばめ》といえば第1幕のアリア〈ドレッタの美しい夢〉が何より有名だが、これは、プルニエに閃いた詩想をマグダが引き取る形で歌いだすもの。サロンの場面なのでピアノの音がオーケストラに加わり、ソプラノの朗々たる美声が、洗練された宴の空気を醸し出す。
しかし、本作の肝は、第3幕の苛烈な別れの二重唱である。ここでマグダの演唱に本物の苦しみが滲まないとドラマの真実味は保たれないが、さらに進んで、彼女が「すべてを堪えて引き下がる」姿を没我の境地で表現できたとき、《つばめ》の芸術性はプッチーニの他の作をいきなり飛び越えてしまう。そこで、観る人もみな、「誰も死なないのにこんなに哀しいとは」と呟くのである。
今回、びわ湖ホールが、「大人から子どもまで楽しめる入門編」に《つばめ》を選んだと聞き、「大英断」の一語が頭をかすめた。自分の正当性を主張するのみで退けない人が目立つ今こそ、このオペラの真価も露わになる。配役はダブルキャストが中心で、ホールが誇る声楽アンサンブルの面々が出演するが、その一人として、今回はソプラノ山田知加がヒロイン役を務めるとのこと。持ち前の勁い声音に期待したい。
また、もう一人のマグダとして、燃焼型の名歌手、中村恵理が客演するのも見逃せない。朗らかな歌声と卓抜したテクニックを誇り、《椿姫》でも大成功した中村だけに、この《つばめ》でもさらなる飛躍が望めそう。活躍目覚ましい「びわ湖ホール声楽アンサンブル」のメンバーの出演も期待されるところだ。
そして、イタリア・オペラのホープ、園田隆一郎(指揮)と、在外経験の豊富な伊香修吾(演出)の顔合わせも、作品に新風を吹き込む一助となることだろう。
文:岸 純信(オペラ研究家)
(ぶらあぼ2021年9月号より)
2021.10/8(金)、10/9(土)、10/10(日)、10/11(月)各日14:00
びわ湖ホール 中ホール
問:びわ湖ホールチケットセンター077-523-7136
https://www.biwako-hall.or.jp/