お客様には“ヴァイオリンであるということ”さえも意識されたくないと思っています
J.S.バッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」を全曲演奏するというだけで、スペシャルな印象を受け、客席でやや身構えてしまうという方もいらっしゃるだろう。そう思わせるだけの存在感がある音楽であり、私たちは作曲者および演奏者と共に貴重な時間を過ごすのだ。そして、演奏者がJ.S.バッハの音楽へ真摯に取り組んでいる佐藤俊介であるなら、聴いておかなくてはならないコンサートになる。2013年より、97年の歴史を有するアンサンブル「オランダ・バッハ協会」でコンサートマスターを務め、この6月に音楽監督へ就任した彼は、13年〜22年の10年間で全作品を演奏するという同アンサンブルの一大プロジェクトに参加。バッハ研究・演奏の最前線で走り続けているからだ。
「一人のヴァイオリニストとして参加しながらも、楽員すべてのパートも理解しなくてはいけないコンサートマスターという立場になり、まずバッハの音楽に対する意識は大きく変わりました。特にカンタータを毎週のように演奏する中、音符とテキスト(歌詞、言葉)の関係や宗教的な裏付けなどに対する理解が深まり、器楽曲であっても音楽の流れや音符一つひとつの意味を考えるようになりました。音をどう伸ばしたり切ったりするか、立ち上がりをどうするかなどを考えるとき、そのヒントをカンタータに求めたり、拠りどころにすることは多いです。カンタータの旋律を他の器楽曲と共有している場合、『この音にあたる単語の子音や母音はどうなっているだろう』ということも考えられますし、器楽曲であってもどう発音するべきか、音をどう膨らませればいいのかなど、多くのことが明快になるはずです」
そうした彼が11月15日に東京・浜離宮朝日ホールで行う「無伴奏」全曲コンサートは、自身にとっても貴重な体験になるとのこと。10年の「東京・春・音楽祭」においては2日間にわたって全曲を演奏したが、今回は1日で全曲。しかも前記のように13年以降の活動をふまえた演奏である。「音楽的にもメンタルの面でも、聴かせどころを意識した上で流れやバランスを考慮し、自然な流れの音楽を生み出せるようになった」というが、今回のコンサートでもそうした進化の過程が楽しめるはずだ。
ところで佐藤俊介といえば1984年生まれであるため、すでにピリオド・アプローチが世界的な潮流になっていた時代を生きている。その空気を敏感に察知してか、モダン/ピリオド奏法のどちらにも取り組んできたが(今回のコンサートはガット弦を張ったピリオド楽器での演奏となる)、もしかするとその境界さえも超越した奏者ではないかと思われる。
「たしかに、バッハの曲を『豊かな音で弾きこなす』というスタイルには違和感を覚えていました。ただし自分にとってはモダンもピリオドもなく“単なるヴァイオリン”という意識が強いですし、お客様には“ヴァイオリンであるということ”さえも意識されたくないと思っています。バッハの音楽を奏でる道具として、たまたま自分はヴァイオリンを手にしたということですから。ただし作曲された時代の様式や曲の背景にあるものは、できるだけ伝えたいと考えています。たとえば舞曲ではもともとのダンスを身体で意識し、それを演奏に反映したい。楽譜では2小節にわたるパッセージがある場合、ダンスのステップでは始まりから終わりまでというひとつの単位がちょうど2小節分の流れだったと知れば、演奏も変わってくるでしょう。楽譜に書かれている即興的なモティーフや装飾音も、その場で即興演奏をしているように聴かせることが大事です。そうしたエスプリを忘れてはいけないでしょうね」
その場で生まれたばかりの名曲を聴くような体験をしたい方、聴き慣れた(と思っている)J.S.バッハの名作に新しい何かを求めている方は、お聴き逃しありませんよう。
取材・文:オヤマダアツシ 写真:中村風詩人
(ぶらあぼ2018年8月号より)
【Profile】
モダン、バロック双方の楽器で世界的に活躍。バロックではコンチェルト・ケルンのコンサートマスターを務め、今年6月からはオランダ・バッハ協会の音楽監督も務める。モダンではベルリン・ドイツ・オペラ管、バイエルン放送響、フィラデルフィア管などと共演。第17回ヨハン・セバスティアン・バッハ国際コンクール第2位及び聴衆賞受賞(2010年)。出光音楽賞、S&Rワシントン賞など受賞歴多数。2013年よりアムステルダム音楽院古楽科教授を務める。録音も数多く、秋にはJ.S.バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全曲収録したCDを発売予定。
【Information】
佐藤俊介 J.S.バッハ 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ & パルティータ全曲演奏
2018.11/15(木)13:30 浜離宮朝日ホール
問:朝日ホールチケットセンター03-3267-9990
http://www.asahi-hall.jp/hamarikyu/