ヴァン・クライバーン優勝から16年、ハオチェン・チャンがみせる深化したピアニズム

©Benjamin Ealovega

 ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで辻井伸行と同時優勝したのは、2009年、まだ19歳の頃。あれから16年、アメリカと生まれ故郷の中国を中心に精力的に演奏活動を行い、真摯にその音楽を深めてきた。

 「私にはピアニストとして、これが夢だと具体的に掲げるようなことはありません。シンプルに、人として音楽家として成長し続けたい、練習していくつかの作品を前よりもよく弾けるようになりたいと考えながら、毎日を積み重ねているだけです。ピアノを弾くというのは単なる仕事ではなく、人生をかけて取り組むべきことで、それはとても長い道のりです」

 今回は8年ぶりの日本でのリサイタルとなる。そのプログラムは、シューマンの初期作品とベートーヴェンの後期ソナタを交互に配置するユニークなものだ。

 「一般的にシューマンと聞くと、彼が精神に問題を抱えていたことが最初に思い浮かび、それによって彼の作品の多くの知的な側面が見落とされがちです。でも実際にはそこに詩的で哲学的な発見がたくさんあると実感してから、大好きになりました。

 一方のベートーヴェンは、ずっと変わらず大好きな作曲家です。そのなかで、二人の間にあるつながりと対比を浮き彫りにするため、このプログラムを考えました」

 これは、哲学書を読む中で思いついたアイディアだという。

 「近代の多くの西洋の哲学者が二人を対比させて論じていますが、それらの多くがベートーヴェンに批判的になる傾向があると気づいたのです。彼らは、ベートーヴェンは典型的な啓蒙主義の人物で、その音楽が必ず“困難を乗り越えて勝利する”結論へ向かうことから、保守的だと見なしています。

 ベートーヴェンが“勝利”の側にいるとすれば、シューマンは“挫折”の側にいる人です。作品には欠如や喪失への感覚が強く現れ、それはつまり、結論が多様な形に開かれているということでもあります。失敗が許されているのです。だからこそ、近現代の哲学者はシューマンの存在価値を評価するのでしょう。ポストモダンの時代、人々はすべてのことに明確な一つの答えがあるわけではないと感じていますから。逆に古い時代の啓蒙思想の頃、人々は絶対的な真実や究極の美が存在すると考えていたから、ベートーヴェンが賞賛されたのです」

 同じドイツで連続する時代に生きた作曲家でありながら、言われてみればこうして1曲ごとに演奏されることはあまりない。その意図を聞いたらますます興味深いプログラムに思えてきた。聴けば新しい発見を与えてくれそうだ。

取材・文:高坂はる香

(ぶらあぼ2025年10月号より)

ハオチェン・チャン ピアノ・リサイタル
2025.11/8(土)14:00 浜離宮朝日ホール
問:朝日ホール・チケットセンター03-3267-9990 
https://www.asahi-hall.jp/hamarikyu/


高坂はる香 Haruka Kosaka

大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動。雑誌やCDブックレット、コンクール公式サイトやWeb媒体で記事を執筆。また、ポーランド、ロシア、アメリカなどで国際ピアノコンクールの現地取材を行い、ウェブサイトなどで現地レポートを配信している。
現在も定期的にインドを訪れ、西洋クラシック音楽とインドを結びつけたプロジェクトを計画中。
著書に「キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶」(集英社刊)。
HP「ピアノの惑星ジャーナル」http://www.piano-planet.com/