昨年12月30日、長きにわたる指揮活動に自らピリオドを打った井上道義。その井上が、2024年「音楽クリティック・クラブ賞」特別賞に選出され、7月27日に大阪府内で行われた贈賞式に登場した。

同賞は、関西で活動している音楽評論家・音楽ライターなどで構成された「音楽クリティック・クラブ」が毎年、前年の1月~12月に関西圏で行われたクラシック音楽の演奏会の中から、優れた個人・団体を顕彰するもの。対象公演の中で最優秀と認められたものに贈られる「本賞」と、著しい成長を示し今後の活躍が期待されるものに贈られる「奨励賞」が設けられており、前者は古くは朝比奈隆&大阪フィルのベートーヴェン・チクルス(1977年)、近年では山田和樹が住友生命いずみホールで行った「シューベルト交響曲全曲演奏会」(2022年)など、関西で大きな反響を呼んだ数々の演奏会が名を連ねている。
かつて京都市交響楽団および大阪フィルハーモニー交響楽団にポストを持ち、各楽団で数々の名演を残してきた井上。ラストイヤーの2024年にも、京響でのオール・ショスタコーヴィチ(6月)や関西最後の演奏会となった大阪フィルとのベートーヴェン「田園」&「運命」(11月)などで注目を集めた。現役の演奏家に贈られる「音楽クリティック・クラブ賞」だが、「この1年に果たした業績の大きさを長く記憶に留め、またこれまで関西の音楽界に果たした絶大な貢献の大きさを顕彰するため(贈賞理由より)」、特別賞の贈呈が決定したという。
目を奪うような白のジャケットという、“キザな夏服”(本人のブログより)で贈賞式に出席した井上。次の通り、受賞のコメントをのこした。
賞をいただくのはうれしいです。若い人は受賞するのがうれしいだろうけど、ジジイになって受賞するのも、やはりうれしいです。私は大阪では賞をいくつもいただきましたが、今回のクリティック・クラブ賞が他の賞と何が違うのかって言うと、あの日の演奏が良かった、あの会場でのコンサートが良かったとかじゃなくて、去年全体の私がなんとなく良かった。で、演奏会だけじゃなくて幕の閉め方が良かった。そういうようなことが評価されたんだろうと思います。
「クリティック」というのは、私は今すごく大変な時期だと思います。批評するってことに一番大事なのは、やっぱり書いたものを出せる場所があるかどうかですね。音楽家で言えばホールがあるか、オーケストラがあるかみたいなものです。皆さんは最近新聞読みますか? 新聞っていいですよ。クラシックやってるんだから、そういう保守的なメディアは大事にしなきゃいけないと思うし、それでなくても今、音楽の専門誌がどんどんなくなっている。じゃあどうなるんだというところで、僕は賞をいただいてありがたいんですけど、これから先は賞を出してくれた皆さんの将来の方が心配です。そうなるとオーケストラでいい演奏をした、いい指揮者が出てきた、それを誰がどういうコンセプトでもってまとめあげるか、という場所がなくなってしまう。これはクリティックだけの話じゃなくて、世界中の政治も、言ってみればレストランも危険な状態です。なぜなら、人はその人の立場でしかものを言わないから。そのくせ誰かがこれだーって言ったらみんながわーってそこに行く。そうじゃなくて大事なのはコンセプトだろうと。
「私は○○新聞の批評家だから」っていうのじゃなくて、その人自身が持っているコンセプトをずっと言い続けることが批評だと思います。私はそれを音楽でずっとやってきたつもり。だからショスタコーヴィチが好きだったんです。そういうコンセプトがあって、人はいつか感動に結びつくんじゃないかなと思います。
そういった意味では私は関西のホールでたくさん音楽会をやらせてもらったけど、ホールがもっと主体的になってほしいなと思います。例えば今日のこういった集まりの中にもっとホールの人を呼ぶべきだと思うし、来てもらうべきだと思う。そういう「和」を関西は作った方がいいんじゃないかな。ぜひやってください。
こんなところですね。言い忘れたことはあるかな。十分に話したと思います。ありがとうございました。

同年の奨励賞には、12月に大阪のあいおいニッセイ同和損保 ザ・フェニックスホールで行われた「フォーレ/ピアノ五重奏曲全曲演奏会」が選出された。贈賞式には同ホール自主企画公演グループの栗山賀容子とともに、出演者の一人、ピアニストの水谷友彦が出席、代表として賞状を受け取った。フォーレの2曲のピアノ五重奏曲に挟み込んだ、ベネズエラに生まれフランスで活躍した作曲家、レイナルド・アーンの秘曲について、水谷は「コロナ禍の時にプルーストの『失われた時を求めて』を読んでみようと思い立ち、何回も挑戦していたのですが、彼と深い関係にあったこの作曲家に五重奏曲があることを知っていたので、フォーレと組み合わせたら面白い視点から五重奏を俯瞰的に見ることができるのではないかと思いついたのです」とその選曲の意図を説明。そして、「今日は僕ひとりですが、他の4人の素晴らしいメンバー(郷古廉、小川響子、中恵菜、水野優也)あってこそ成り立った演奏ですし、プログラムに注目して来ていただいたお客さまあってこその受賞だと思います」と感謝の意を述べた。

引退から約8ヵ月、変わらぬ「道義節」を披露した井上。そのユーモアと懐の深さで人々を引き付けてやまないマエストロ、そして彼が紡いできた演奏の数々は、これからも関西のクラシックファンの心に残り続けるだろう。

文:編集部
取材協力・写真提供:音楽クリティック・クラブ

