自身の美学を込めた選曲の妙
アレクサンドル・メルニコフのリサイタルは、いつも驚きを運んでくる。しかし、それはそのこと自体を前面に押し出したものではなく、彼自身の知性の繊細さと謙虚さを映し出すように、綿密な熟慮と行き届いた技巧で叶えられる作品の真相に迫る演奏表現だ。
そして、あのピアノの音である。たんに色彩ということだけでなく、質感と運動の描き出しの鮮やかさが、メルニコフの響きの想像力に独自の個性を与えている。彼独特の選曲眼は、豊饒な音楽の鉱脈を結び合わせる美学的態度の表明となるが、そこには時代楽器演奏での知見を深めた精密な耳が大きく関わってくる。
トッパンホールで3度目となるソロ・リサイタルは、ラフマニノフが20世紀の始まりに書いた難大曲「ショパンの主題による変奏曲」を結びに、構造面を含めた類似点が見出される先行作、シューマンの「交響的練習曲」を対置させる構想。シューマンに加えて、プロコフィエフの「束の間の幻影」、ベートーヴェンのホ短調ソナタop.90は、若き日に交流した前世紀の巨匠スヴャトスラフ・リヒテルが得意とした曲目でもある。
だが、「リヒテルへのオマージュ」というような言葉は、常套句や紋切型をきらうメルニコフにはそぐわない。強靭で堅固なリヒテル、柔軟で自在なメルニコフのピアニズムはいずれも端倪すべき個性の証しで、大きくは人間と時代の感性の変容も伝えてくる。混迷を極める世界情勢を生きぬくなかでも、芸術は時代を超えて人間の想像力への信頼と異なる者どうしの共感を改めて豊かに結ぶものであろう。
文:青澤隆明
(ぶらあぼ2024年3月号より)
2024.3/13(水)19:00 トッパンホール
問:トッパンホールチケットセンター03-5840-2222
https://www.toppanhall.com